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本質的な癒しについて ―(2)本当の自分に気づくことと本質的な癒しとの関係―

2023年5月15日

前回は、強い自己否定やそこから発症したパニック障害で苦しんだ私が、感情や感覚、思いと向き合っていく中で、全ては心の中にある感情や感覚、思いの投影であること、そしてこの感情―感覚―思いは実体がなく、本当の自分(真の自己)とは全く関係がないのだという理解をしていったことによって、症状が劇的に良くなっていったことをご紹介しました。

 

第2回目の今回は、このような「本当の自分」に気づいていくというプロセスが、自分の悩みや症状の癒しをしていくことと、どうつながっているのかについてお話してみたいと思います。

 

本当の自分とは

それでは、「本当の自分」とはどんなものなのか、私たちが見る「夢」や、「映画館のスクリーンとその上に映し出されている映画」を例にしながら、見ていきましょう。

 

例えば、夢を見ている間は、その夢の中で走ったり、もがいたり、楽しく過ごしたりして、その物語を生きますね。恐竜に食べられそうになっている夢、敵に追われて崖まで追いつめられている夢を見た場合、これが現実だとしたら大変なことです。ですが、目が覚めると、それがどんなに怖い夢であったとしても、夢をみていたとわかってホッとします。それは、「現実には何も変化はなく夢をみていたのだ」とわかっているからです。

 

これを、映画館のスクリーンとその上に映し出される映画に例えてみると、

私たちが見ている夢とはスクリーンに映し出される映画であり、

夢をみていたのだとわかっている私たちはスクリーンとなります。映し出される映画は都度変わるのですが、スクリーンは映画の内容によって破けたり、燃えたりなどせず、一定で何も変わりません。

 

これを、前回ご紹介したヨガ哲学の言葉に当てはめると、

ヨガ哲学の言葉
「私たちが普段『自分』と思っているのは一体何なのか? 肉体、呼吸、五感、心、経験が自分なのか?」という問いを投げかけ、
 
この問いに対して、
 
「これらはすべて変わりゆく物であって、本当の自分ではなく、本当の自分は、これらの変化を観て、これらを経験する者。変化する物の中にありながら、どんなことがあっても変化しない存在が自分自身。変化する物のすべてを、本当の私だけが、変化することなく観ている」(「やさしく学ぶYOGA哲学 ヨガスートラ」向井田みお著(P61))と「本当の自分」について説いている

 

「変わりゆくもの、本当の自分ではないもの」が”夢”や”スクリーンに映し出される映画”ということになり、

「これらの変化を観て、これらを経験する者。変化する物の中にありながら、どんなことがあっても変化しないもの」「変化するもの全てを見ている変化しないもの」が”夢を見ていたのだとわかっていること”や”スクリーンそのもの”ということになり、それが「本当の自分」ということになります。

 

本当の自分に気づくことと本質的な癒しとの関係

「自分(普段の私たち)」や「自分が作り出す物語」は、感情や感覚、思いの連動と集積によって成り立っています。これらは、変化したり、変容したり、消えたりするという性質のものである以上、夢や映画と同じなのです。それが、どんな自分や物語であったとしてもです。つまりそれが、うまくいっていない自分や苦しい物語だろうと、逆に、うまくいっている自分や楽しい物語だろうとも、です

 

エクハルト・トールが、「自分が何者でないかを見きわめるなかから、自ずと自分は何者かという現実が立ち現れる」(『ニューアース』エクハルト・トール著(p37))と言っているように、普段の私たちが実体性がないとわかればわかるほど、本当の自分(真の自己)は、スクリーンである変わらないものである、という理解が現れてきます。

 

これが理解できてきたときに、私の中で、「私という物語を生きる」ことに、いい意味で力を抜くことができたのです。「諸行無常」という言葉がありますが、あらゆるものが移り変わっていくという、そのありように抗わずに、任せてよいのだなといった信頼や、そこからの安心感に包まれました。

また裏を返せば、自分がいかに本来は実体がない夢や映画という物語を信じ、その物語をよい物語にしようとエネルギーを費やしてきたのか、ということにも気づかされ、それ自体が、私を私たらしめているものなのだなという自分という存在への理解やその健気さに労りの気持ちも生まれました。

 

こういった、物語(夢や映画)は本当の自分ではなく、本当には何も起きておらず、本当の自分はスクリーン(変化することなくただ見て、それらを経験するもの)の方だということに気づくことで訪れた癒しは、それまでにない深い癒しとなりました。それを「本質的な癒し」と呼ぶならば、それまで求めていた癒しは、言ってみれば「一般的な癒し」と言えるかもしれません。

一般的な癒しは(これはこれでとても大切なものでもあるのですが)、物語(夢や映画)をいわゆるネガティブなものからポジティブなものへと変えることで得られる癒しと言えるかもしれません。

そこでは、物語(夢や映画)はポジティブに変わったとしても、それはやはり「夢」であり「スクリーンに映った映画」であって、いつまたネガティブなストーリーが上映されるかもしれません。変わらないもの、変化しないものがあるのだということに理解や実感がないと、変化することや変わるということは脅威となります。そのため、普段の私たちは、たとえ楽しい物語(夢)を生きていたとしても、いつまた物語(夢や映画)が変わってしまうかもわからない、といった欠如感や不安、怖れというものを感じてしまうのです。時にはよい物語を維持しようと執着し、それが苦しみにもなってしまうこともあるでしょう。つまり、決して、絶対的な満足感、安心感、信頼、充足感を得ることはできないのです。

 

このように、私にとって、本当の自分(真の自己)に気づいていくというプロセスは、私がずっと持ち続けてきた「本当に安心できるということはどういうことなのだろう」と問いに対しての答えをくれるものでもありましたし、物語(夢や映画)を変えるだけの癒しとは違う、より深い安堵や絶対的な安心感、癒しをもたらしてくれたものになったということです。

 

最後に

ここまで、18歳から約20年余りにわたる私の苦しみの癒しのプロセスをご紹介しながら、より深い癒しを知ったことですごく楽になれたこと、そしてその深い癒しとは何かについてお話をしてきました。

 

私は、普段はもちろん思考や解釈、イメージなどと同化して私(物語、夢、映画)を生きていますが、これからも自身や自身の物語を構成している感情、感覚、思いの集積などの解放、解体を通して、本質や絶対的な安心の場に体験的に触れていくということを続けていきたいと思っています。

 

皆さんも頭の理解のレベルでもよいので、時々、思考や解釈、イメージ、物語を信じず、脇に置いて、本当の自分とはスクリーンの方であるということを思い出すことを意識してみるのはどうでしょうか?

 

なぜなら、この「本当の自分」は、無条件の愛、受容、慈しみ、信頼、英知、静寂、愛ある力、生命そのものなので、それを意識することで、いつもうっすらとある欠如感や不安、怖れを埋めようとする自動反応的な動きから自身を休ませることができますし、このような動きに巻き込まれていなければいないほど、本質や絶対的な安心の場とは切り離されていないのだなという感覚が持ちやすくなるからです。

そしてまた、自分という存在の実体性がないことがわかることで、逆に、私という存在、物語(夢)を力を抜いてもっともっと楽しむこともできるのではないかと思います。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 

 

 

 


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本質的な癒しについて ―(1)私自身がパニック障害を克服するまでー

2023年5月7日

今回は、「本質的な癒し」について、2回に分けて書いてみたいと思います。

 

強い自己否定やそこから発症したパニック障害からの不安感や恐怖感に苦しんだ時間が長かった私にとって、「癒し」というものや「本当に安心できるということはどういうことなのだろう」という問いは、いつも身近にあり、この問いをしながら、自分の学びや癒しに取り組んできました。

 

そうして取り組む中で、単なる「癒し」ではなく「本質的な癒し」とは何なのかを考えるようにもなりました。

第1回目の今回は、私が「本質的な癒し」を知って、症状が劇的に良くなっていったプロセスをご紹介します。そして第2回目で、「本質的な癒し」が、自分の悩みや症状の癒しをしていくことと、どうつながっているのかを話してみたいと思います。

 

自己否定の始まり

私が初めてのパニック発作を経験したのは、27歳の時でした。それ以降、予期不安や恐怖感に悩まされる状態になったのですが、このパニック発作やパニック障害を発症することに影響があったのは、私が自分を肯定するということができない時間を18歳くらいから過ごしたことにあると思っています。それ以来「こんな自分はだめだ」とか「自分は何をやってもうまくいかない、ダメ人間だ」といった自己卑下と、劣等感で苦しみながら生きていたのです。

 

きっかけは大学入学でした。志望した大学に入ったにもかかわらず、そこで出会うクラスメイト、同学年の学生たちが「みんなそれぞれの価値観やそれに基づいた目的をもって生きている」ように見えて、そのことに衝撃を受けたのです。

 

自分の捉え方で物事を見てしまう「投影」

どうしてこのように映ったのでしょうか?

私は地方の進学校に通っていたのですが、高校での学びはいつの間にか、大学に合格するための勉強という位置づけになってしまいました。学びが、手段から目的に変わってしまい、大学合格がいつの間にか「ゴール」になってしまっていたのです。そうやって過ごす中で、自分がどう生きたいのかといったことを完全に見失っていきました。ですから、入学すると、私は何をしたらよいのかが全くわからない状態になってしまいました。それはまるで、コンパスを持たない舟が、急に大学生活という大海原に放り出されたような感じでした。

そんな私の目に飛び込んでくるのは、ちゃんと目的や将来の展望をもっている友人たちの姿でした。たまたま出会った人たちがそういう人たちだった、ということがあるのかもしれないですが、コンパスを失っている私にとっては、彼らの姿は自分とは真反対に映ってしまうのです。

 

当時は心の仕組みについて知らないので、それが自分の心の内の投影である(自分の捉え方で物事を見てしまうという仕組み)とは思ってもみません。目的がなくなり、どう進めばよいのかがわからなくなっている私には、周りの人たちがちゃんと目的や意思をもっている人だ、と映り、それが事実であるということになってしまうのです。

 

そしてそのことは、自分に衝撃を与え、これまでの自分の世界観や自分という存在に対しての自信を失わせていきました。自分のことがちっぽけに思え、自分の存在の小ささを思っていたたまれなくなり、「こんな自分はだめだ」「何をしても無理だ」といった自己否定へとどんどんはまりこんでいくこととなりました。

 

抱えきれないネガティブな感情や感覚、思いを抑圧するために使う「防衛」と「攻撃」

今ならば、友人たちの姿に触れたときのショックや衝撃、恥の気持ちなどが、自己否定への引き金となったと理解でき、そのショックや衝撃を受けた際の感情などを解放したり、さらには、そもそも手段が目的に変わってしまった理由(自分がどう生きたいのかといった意思やビジョンをもちにくくなっていた理由)を探って癒したりすることができたと思います。ですが、当時はそのようなことは全く知らなかったので、自分の目に映ったものを事実と信じ込んで、ショックや恥の気持ちなどを抑えておかなければなりませんでした。こうしたときに私たちの心は、防衛しながら攻撃するという仕組みが働くのですが、私の場合、攻撃の矛先が特に自分に対して向いたわけです。「自分がダメだからだ」という風にです。

 

そして大学入学以降、この「私はダメな人間」という思いを信じこみ、周りはできる人たちであふれているようにしか見えず、私は劣等感まみれになって生きることになっていきました。そして、この劣等感をさらになんとかするために、何かスキルを身につけようとあがいてみたり、でもその一方では、劣等感が強くあるので、何かにチャレンジするということも難しく、まさに八方ふさがりの状態で苦しんでいました。

 

「私はダメな人間」という思いから、様々なネガティブな思いの糸が出てきて、それらの糸が絡まりに絡まって、もはやほどけない状態になっていました。「私はダメな人間だ」というネガティブな思考を信じ込めばこむほど、その世界観が事実にしか見えなくなってしまう、そんな状態にあったということです。

 

そんな状態を約10年間続ける中で、パニック発作が起きました。それからは発作が起きた電車などの場所が怖くなってしまい、「ここに閉じ込められたらどうしよう」などと不安が襲ってきて、生活も制限されるようになりました。そして、ここでもそんな自分を責め続けるのです。

 

逆に言うと、それほど苦しい状態になっていても、どうやってこの苦しみから解放されるのかの術がわからずにいたということでもあります。私は「私はダメな人間」という思いを信じ切って、パニック障害からの不安感を抱えながらもそれからも約15年間を過ごすのです。

 

苦しみを生み出す「本当の原因」

そんな私に変化をもたらしたものは、苦しみを生み出す本当の原因を自分の潜在意識の中に探って、感情や感覚、思いを解放したり、変容をさせたりしていく心理カウンセリングの手法でした。
(これは私の現在のセッションでも採用している手法でもあり、これまでの記事でもご紹介している、気づきの問いかけとセラピーを組み合わせたOADという手法になります。)

そこに至るまでには、長い道のりがありました。

初めのうちは、自分でも自分の状態をなんとかしたいと、本を探して読んでみたり、リラックスできるようにヒーリングを受けてみたりしました。でも、症状が根本的に良くなることはありませんでした。

その後、家族の海外留学に伴い、イギリスに行くことになりました。この時も状態は改善していないので、エジンバラ大学で「カウンセリング研究」という修士コースに通い学問的な角度からも学んでみたりしました。けれども、どんなに知識を入れても、やはり症状は良くなることはありませんでした。

 

そんな中、いろいろ調べるうちに、出会ったのが、私の師匠である溝口あゆかさんのブログでした。そこから、私は溝口さんが主宰される講座に参加するようになりました。

そこで知ったのは、私たちの心の仕組みについてでした。具体的には、先にも書いた「私たちは自分の捉え方で物事を見ている」ということや、その捉え方に影響を与えるものはビリーフやセルフイメージであり、それらは潜在意識にあって気づいていないのだということでした。

そして、こうした仕組みを理解できればできるほど、ビリーフやセルフイメージを自身の心に探ることができるということや感情解放のセラピーを用いて癒すことができるということでした。

それは、私の中にあった、心とは「捕らえどころのない扱いにくいもの」という認識を、悩みを生み出す元までたどることもできる「構造的で論理的に把握ができるもの」という新しい認識へと変えてくれました。

そして、自分のことをわかっていると思っていたけれども、本当は何も知らないのだということに衝撃を受けるとともに、この心の仕組みを理解することが、本当の意味でもっと自分をわかっていけることにつながると思えたのです。

 

そうしてわかったことは、ここまででおわかりのように、私のパニック障害の「本当の原因」は、大学受験を目的化してしまうことと関係がある「自分がどう生きたいのかがわからないままになってしまう」ところだということでした。ここが違っていれば、大学入学時の経験も違ったものになったでしょうし、そこからの自己否定にも苦しまなかったでしょうから。

 

そしてこれは私の幼少期の親との関係や家庭での経験と関わっていました。ここでは詳細は割愛しますが、私は、ピリピリとした緊張感のある雰囲気の家庭で育ったので、人の顔色を見たり、自分がどうふるまえば家族の関係が安定するのかということにばかりに注意がいく子でした。いつも自分よりも相手の気持ちを優先していたのです。ですから、自分がどうふるまいたいか、どう生きたいかという発想をもつことがわかりにくい状態になっていたと思います。そんな私にとって、外からわかりやすい指標や目的が与えられ、その結果を出すと周りが喜ぶ(例えば成績が上がると親が喜ぶなど)ということがあると、ますます自分が何をしたいのかがわからないまま、与えられたゴールに向かってただ突き進むということになっていたのです。

 

ですので、私に必要だったのは、自分自身がどうしたいのかを決めてもいいと思えることや、自分にはそれができると信じられる自己効力感などの力を取り戻していくことだったのです。そのために大事なことは、自分よりも人の気持ちを優先してきた自分自身に理解を示しつつ、私の中に刷り込まれていた「自分の気持ちを優先してしまったら愛されなくなってしまう」といった思いから自分を自由にしていくことであり、そのためにこの思いに付随する怖れや不安感などの感情を解放していくことでした。

 

向き合えば向き合うほどわかったこと~投影~

このように感情や感覚、思いと向きあい、解放していく中で、「自分の気持ちを優先してしまったら愛されなくなるのでは」という思いの真実味が薄れていきました。それに伴って、状況への別の視点が自然に出てくるなど認知の変化も起きてきました。例えば、私の場合、「大人たちには大人たちなりの事情があったのかも」とか、「私がどうだからかということとは無関係なのかも」といったようにです。

このような認知の変化によって、気づけば、自己否定や自分責めにエネルギーを使うことがなくなっていました。また、パニック障害の症状である予期不安や乗り物への恐怖、広場恐怖に苦しめられることもなくなっていきました。

 

さらに、感情や感覚、思いと向き合えば向き合うほど、認知が自然と変化していきますので、いかに私という存在が、感情―感覚―思いとの連動であり、かつ、その集積で成り立っているのかということや、私の世界観というものはそれらを通して、作られているのだということに改めて気づかされていきました。

つまり、「今自分が見ている世界は、自分の感情―感覚―思いが投影されたものなのだ」という私たちの心の作用について、実感を伴って理解が進んでいきました。それは例えば、自分の中にさびしさがあれば、道端の花が一人ぼっちで咲いているように見える、といった風に、全ては自分の心の投影であって、そこには事実はない、という理解でもありました。

 

向き合えば向き合うほどわかったこと~変化するものと変化しないもの「本当の自分」~

また、一方で、「感情や感覚、思いというのは、解放されるのだな」という経験をすればするほど、それらの「変化する」という性質がわかってもきます。つまり、変化するものである以上、それらに実体性というものがないのだ、ということも実感していくことになりました。

 

そして、こうした、【私たちの存在自体は、感情や感覚、思いとの連動で動き、それらの集積で成り立っている】ということと、【これらの感情や感覚、思いに実体性がない】ということから実感したことは、私たちの存在自体が、全く実体性がないものなのだということでした。このことが実感を伴って理解できていったのです。

 

そして、本当の自分(真の自己)とは、これらの感情や感覚、思いとは全く関係がないのだという理解も並行して立ち上がってきたのです。

 

これは例えば、ヨガ哲学の中で、

 

「私たちが普段『自分』と思っているのは一体何なのか? 肉体、呼吸、五感、心、経験が自分なのか?」という問いを投げかけ、この問いに対して、

 

「これらはすべて変わりゆく物であって、本当の自分ではなく、本当の自分は、これらの変化を観て、これらを経験する者。変化する物の中にありながら、どんなことがあっても変化しない存在が自分自身。変化する物のすべてを、本当の私だけが、変化することなく観ている」(「やさしく学ぶYOGA哲学 ヨガスートラ」向井田みお著(P61))と「本当の自分」について説いているのですが、このように言われていることが、自分の感情や感覚、思いと向き合ったり、解放されていくという経験の中で、体験と実感を伴ってわかっていったのです。

 

 

ここまで私がどのように強い自己否定やパニック障害の症状からよくなっていったかの過程についてご紹介をしてきました。

次の回では、本当の自分に気づくことがどう本質的な癒しとなるのか、その関係についてお話をしていきたいと思います。

 

「本質的な癒しについてー(2)本当の自分に気づくことと本質的な癒しとの関係」につづく

 

 

 

 


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苦しみの根本の原因がわかると、本当に楽になる

2021年12月12日

私たちは、自分の中に自己否定があると苦しむ、というしくみを持っています。
基本的に不快な感情や感覚は感じたくないと思っていますので、ネガティブな思いや感情、反応が出ている時に、そんな自分を否定したり、バッシングしてしまいがちです。そして、それによりさらに苦しみが増す、ということになってしまいます。

では、こうした、ネガティブなや感情、反応がでたときに、抵抗したり、否定的に見ないでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?

まずは、私たちの心の仕組みを、詳しくみていきましょう。

 

 

私たちの心は構造的で論理的

みなさんは心のことってどんな風にとらえていますか?なんとなくふわっとしたものととらえている方も多いのではないかと思います。

ですが、実は、心は、この思いがあるから、この思いが生まれて、その思いに従うからこういう言動になる、といった風に、すごく構造的(階層になっている)かつ論理的なものなのです。

例えば、潜在意識で「私は人を不快にさせる存在だ」と信じていれば、「自分の主張はしない方が安全だ(主張は控えるべき)」といった思いが生まれ、主張や表現をしなくてもよいような、浅い人間関係を築いていく、という傾向になるでしょう。

ちなみに、こういう傾向の中ででてくる悩みの例としては、「人との関係が深まる感じになると怖くなってしまう」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」とか、「(こんな私と)つきあってくれた人のことがどうしても忘れられない」といったようなものです。

 

一方で、「私は受け入れてもらえる存在だ」と信じていれば、そこから生まれる思いや、その思いからの言動は、前者とは全く違ったものになることがわかるかと思います。

 

このように、心は潜在意識にある思い(ビリーフやセルフイメージ)から、顕在意識4%の部分へと階層的につながっていて、このビリーフやセルフイメージとマッチする形で、4%の領域に私たちの行動、判断、世界や人の見え方が表れるのです。

 

 

わかっていないから苦しい

その一方で、前回の記事でも書いたとおり、私たちは、4%の領域の思いや感情にしか気づいていないので、それらがどのビリーフやセルフイメージから生まれていて、どんな階層の思いで構成されているのかについてわかっていません。

つまり、「人との関係が深まる感じになると怖くなる」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」、「つきあった人のことがどうしても忘れられない」という反応についてはわかるのですが、どうしてそのような反応になるのかの本当の理由には気づけていないのです。

 

私たちは、基本的にわからないものに振り回されるというのは、非常に気持ちが悪いと感じます。

そこでこの気持ち悪さをなくしたいという思いが働いて、気持ち悪さを感じている自分に抵抗したり、否定したりする力が働くので、苦しくなってくるのです。

 

これは、言ってみれば、雨漏りで部屋が水浸しになっているから、雨漏りの原因や場所を特定して修繕をしないといけないのに、この物件を紹介した不動産会社に文句を言ったり、この物件を選んだ私がバカだったと自己憐憫に浸るばかりで、雨漏りの対処をせず、雨漏りがさらにひどくなって水浸しになっている(苦しくなる)、といったことと同じかもしれません。

 

苦しんでいる自分自身に優しくしてあげることができればいいのに、それがなかなかできにくいのは、こうした心の動きによるものです。

 

ですが、反対に、その苦しみの理由がわかれば、自分に影響を与えていたビリーフやセルフイメージは、振り回す力を失い、単純に「向き合う対象」へと変わります。雨漏りの原因や箇所が特定できれば、雨漏りが力を失うのと同じです。

 

スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分が何がほしいのかわからないものだ」と言っています。実際、自覚されていなかったものが、見えたときに、「あ~そうそう、これこれ!」とか、「そう言えばそうだったかも」と思って、妙に納得できたり、ストンと腑に落ちた感覚になった経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。

それと同じで、ネガティブな感情や反応が起きる本当の理由がわかると、自分の言動や動きがビリーフやセルフイメージに基づいたものだったということが理解できますし、そう理解できると、怖かった私、腹を立てていた私、忘れることができなかった私に対して、「だったらしょうがないよね」と自然と受容の気持ちが起きていきます。

 

 

ピンポイントの原因特定が苦しみからの解放につながる

このように私たちの心は、顕在意識4%の部分に悩みや反応となって現れる「潜在意識にある思い込み」(ビリーフやセルフイメージ)をピンポイントに解き明かせれば、これを変容させていけばよいのだな、とわかるので、落ち着くことができます。

 

では、心の階層的な構造を辿りながら、ピンポイントのビリーフやセルフイメージを見つけるためには、どうしたらいいのでしょうか?

 

それには、まず階層の一番上に出てきている4%のものに気づくことから始まります
自分の言動、反応、解釈に気づくことです。

例えば、捻挫の場合は、筋がどんな風にねじれたかがレントゲンなどでわかりますが、心は、心を映し出すレントゲンがないので、自分がレントゲンの目にならないといけません。

 

そして、「階層」を意識するということも大切です。つまり、「今この反応、解釈がでているけれども、ということは、何か前提としている解釈や思いこみがあるということだな」と立ち止まったり、「ということは、どういうことなのだろう?」という問いを立ててみたりすることです。そのことにより、心の下の階層へとおりていくことができます。

 

 

私たちは根源的にどんなものも赦している

「なぜ苦しかったのかの理由はわからないけど、なんとなくラクになりました」はもちろんよいですし素晴らしいことです。でも、本当の意味でラクになるのは、苦しみを生んでいた原因を見つけ、また、それをなぜ信じていたのかを理解できた時だと思います。

なぜなら、そうすることで、雨漏りの原因が取り除かれ、それが再び水浸しになることを防ぐことができるばかりだけでなく、雨漏りや水浸しという状況の被害者意識からも抜けだせるからです。

私たちは根源的にはどんなものも赦すことができるクオリティを持っているはずなのです。しかし、ビリーフやセルフイメージを信じることから生まれる怖れが大きいと、そのクオリティは見えにくくなっています。「どんなものも赦している」というクオリティへ至るには、「見つけ」、「理解していく」が大切になってきます。なぜなら、私たちの中にある怖れは、見つけられ、理解され、赦しや愛へと変容することをずっと待っているのですから。

 

 


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今の自分にOKが出せない理由

2021年11月19日

自分自身を振り返ってみても、私たちは、今の自分にOKを出すことが難しく、自分の足りないところを埋めようと、知識やスキルをつけようと懸命になったり、解決策を見つけようと必死になったりしがちです。でも、いくらそれをやってみても、本当の意味での安心感は得られません。
どうしてそんなことが起きるのでしょうか?そして、本当の安心感を得るには、どうしたらいいのでしょうか?

 

思い込みを強める「怖れ」の正体

たとえば、あなたが、「自分は気がきかない」と心の深いところで信じているとしましょう。

この思いを信じているあなたが仕事をする場合、どのような行動になるでしょうか?

 

・抜けがないように気をつけようとする

・機転がきく部下が気になってしまう

・全ての仕事の依頼を引き受けようとする

・困っている人がいないかいつも周りを気にしている……などをするかもしれません。

 

この行動へと向かわせるのは、潜在意識にある「自分は気がきかない」という思い込みです。思い込みなので、事実ではありません。事実は、「私がオフィスのデスクに座っている」「私が〇〇の仕事をしている」「私が△△のプロジェクトに関わっている」といったことです。一方で、こうした思い込みを信じ込む背景には、私たちが持つ「怖れ」の存在があります。この怖れの正体は、実は「死」なのです。

 

この「死」には、2つの種類があります。一つは「肉体の死」もう一つは「精神の死」です。肉体の死とは、文字通りに肉体を失うことで、現在の先進国では、動物に襲われたりすることはない反面、かなりの部分は経済的に食べられなくなってしまうことを指しています。精神の死は、仲間から受け入れられなくなったり、評価されなくなり、自分の存在価値がなくなったと感じて精神的に死ぬことを意味します。

 

気がきかない、ということは、仕事を失って稼げなくなって肉体的に死ぬことにつながりますし、役に立てず、評価を失って精神的にも死ぬことにつながります。ゆえに、気がきかない状態から脱出したい、そう思われることを避けたいと、必死になるわけです。

 

 

消えない不足感、不安感を埋めるために私たちがすること

「死」への怖れによって「気がきかない私はだめだ」という自己否定は強められ、これがないから幸せではない、これが手に入るまでは自分を認められない、といった「不足のストーリー」も生まれます。

 

・なぜ自分はできないのだろう。もっと自分に能力があったなら→資格を増やそう

・なぜこんな会社を選んじゃったんだろう。もっと自分にあった会社があるのではないか→転職活動をしようか

・もっと上司が評価してくれる人だったらよかったのに→部署変えを申請しようか

・マウントをとらない部下だったらよかったのに→あの部下とはあまり付き合わないようにしよう

・・・・・・

 

などなど、自分や相手、状況に対する不満や要望は数えだすときりがありません。

 

しかし、根本に怖れがある限り、「私は気がきかない」という思い込みから抜け出すことができないので、このようにいくら不足感を埋める行動をしても、自分では満足感や達成感を得ることができず、常に不安感が消えずに、やがて疲れ果ててしまいます。

 

 

「怖れ」から「愛」に

こうした不足感や不安感から抜け出して、本当の安心感を得るには、どうしたらいいでしょうか?

 

大切なのは、出発点を「怖れ」から「愛」に変えてみることです。それにより、間違った解釈に立った思い込みから抜けだすことができます。

 

もし「死」への「怖れ」がなければ、つまり気がきかなくても、肉体的にあるいは精神的に絶対に死なないと保証されているとしたならば、私たちはどんな風に職場に存在し、どんな行動をとるでしょうか。

 

おそらく、仕事を失わないように、や、評価を失わないようにといった視点の行為から、より「私はどうありたいか」の視点に変わるのではないでしょうか?

例えば、なぜ私はこの仕事と関わっているのかといった自分のビジョンや、このプロジェクトに携わる動機やミッション、情熱、といったことが、立ち現れてくるかもしれません。相手中心の状態から、自分主体の状態へと、変化が起きてきます。

 

 

「愛」の感覚を思い出す

ここでちょっと、「怖れ」がない状態をイメージしてみたいと思います。

 

すごく感動したり、気持ちが動いた瞬間、映画や本、芸術、食べ物などに感銘を受けた時、心を奪われるような景色や情景に触れた時のことを覚えていますか?

その瞬間、身体はどうなっていたでしょうか? 何をとらえていたでしょうか?

 

周りの音が耳に入ってこないくらいに全身でその瞬間にただいたかもしれないですね。

頭の中が真っ白、言葉を失うぐらいの何かが体を充満していたかもしれないですね。

 

この時、思考はうるさく何かを語っていたでしょうか?

怖れや欠如感がこの瞬間、存在していたでしょうか?

 

おそらく思考が限りなく鎮まっていて、ただその感動や感銘が体を通した感覚として経験されていただけではないでしょうか?

 

素晴らしくて細胞が目覚めるような感じ

わぁ~とため息が漏れるような、圧倒されるような感じ

 

などのように。

 

この限りなく思考を通さない、ただこの感覚の連続の経験、またそれを経験することができる部分が私たちの中にある、私たちそのものであるということを思い出し、そちらをベースにしてみるのはどうでしょうか?

 

苦しければ苦しいときほど、命なき命を生きる状態から、この命の輝き、生命の流れそのものであるということを思い出したいと思うのです。

 

 

イエズス会の司祭であり心理療法家でもあったアンソニー・デ・メーロが「愛とは対象がない 愛は存在そのもの」と言います。
一般的には、愛するとは、誰かや何かという対象に向かう感覚であり、対象がなければ起きないこと、というイメージかと思いますが、彼はそうした対象がなくても自分の中から湧き上がるものが愛、なぜなら私たちが愛そのものである、ということを言っていたのではないかと思います。

 

ここで、「対象」という言葉を「条件」という言葉に変え、「愛」を「感動」や「感銘」に変えてみると、わかりやすいかもしれません。私たちが感動や感銘の中にいるとき、全く条件を出すことなく、思考も通す必要もなく、ただ、命の流れや生きる力の源に手が届いていると感じることができますが、これが「愛」の感覚に近いかもしれません。

この時、怖れや思い込みの実体はすっかり薄れてしまうことでしょう。そしてまた、この時、本当の意味で、今の自分や自分が直面している状況を受け入れることもできることでしょう。

 

ワークのご紹介もしておきます♪

○○がないと、△△があれば・・といった「不足のストーリー」や不安感から抜け出すワーク
実際に起きていることに目を向けたり、感じたりしてみましょう
今ここの体の感覚に意識を向けるとやりやすいでしょう例えば、手の平を触っている感覚、椅子に座っている時の感覚に集中する

 

○○がないと、△△があれば・・の思いから自己像を見つけるワークのヒント

「それがないとどんな自分になってしまうのか?」、また「それはどんな自分だからか?」という自己像を探る問いかけをしてみます。あたかもこの自分像がいると信じているために、これがあれば、こうあってくれればという要望が生まれているからです。

 

※信じてしまうのは、そこに感情―感覚―思いがくっついているからなので、感情解放のセラピーなどが役に立ちます。

 

例えば、「誰かに助けてもらわないと無力な自分(だから)」という自己像が見えてきたとしたら、この自己像(自分)が感じている感情―感覚―思いを解放をしていくと、変容していきます。

 


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自分と向き合うとはどういうことでしょう?

2021年11月3日

温泉で出会ったおばあさんの話

先日、数カ月ぶりに温泉に行きました。

湯船や脱衣場では、興味がなくても人々の会話が耳に入ってくるものです。それはそれで、その場に居合わせた人たちと時間を共にする感覚にもなり、好きだったりします。

 

今回も、脱衣場で隣にいた80歳くらいのおばあさんが、誰にともなく話していました。おばあさんが話していたのは、こんな話でした。

 

「やっと来れたんですよ。ここのリゾート権をもっているのに予約が大変だった(1日前に予約した私は、ごめんなさいと心の中で謝りました^^)。お父さん(旦那さんのこと)が5月で亡くなったので、一緒に来れたらよかったのだけど。でもね、息子たちがいるからね、今日は家族で来れてよかったのよ。お父さん、ここ好きだったから、もう本当に一緒に来れたらよかったのに……。でもね~予約が大変だったのよ」

 

私は身支度が整ったので、

「来れてよかったですね」、「お父さん残念でしたね」と言いながら、「お先に」とその場をあとにしました。

 

 

その人の世界をつくっている96%のもの

私たちの心は顕在意識が4%で、あとの96%の潜在意識が自分の行動や反応を支配していると言われています。その96%が無意識であるからゆえに、様々な反応や解釈、行動が、この96%から生み出されている、ということにも無意識。

 

例えば、96%の部分に焦りがあれば誰かがうまくやっているように見えたり、不満や自身を否定するような思いがあると他人の些細な言動にイラっときてしまったり、反対に余裕があれば軽口をたたかれたとしても簡単に許せたり。そういうこともこの96%の部分が関係をしているのです。4%に何が現れてくるかは、96%に何があるかによって決まるのです。

 

また、特に96%の部分に、知らずに抑えているものがあると、何らかの形で埋め合わせをしたいという衝動やニーズも生まれます。依存症や摂食障害なども、基本このメカニズムが働いているのです。

 

いずれにしても、表に現れていることは、無意識の領域から生まれているのですが、無意識であるが故に、本当の意味で、どうして自分が今こういう行動をしているのか、なぜこのような表現をとっているのかについて、振り返られることはほぼほぼありません。

 

前述のおばあさんも、どうして自分が話しかけたくなっているのか、いろんな話題の中でどうしてこの話をしているのか、自分では分かっていないのでしょう。

 

 

私をキレさせたもの

こうしたことは、おばあさんに限らず、私も含めて、実はすべての人にあてはまることなのです。

私の例をお話しすると、私が大学2年か3年の時だったと思うのですが、友達に初めてキレて声を荒げた、ということがありました。約束していたバイト帰りのごはんが、都合が悪くなったから行けないと言われたときでした。相手は中学時代からの友人で、甘えもあったとは思いますが、自分でも自分の反応に驚くほど相手にひどい言葉を投げてしまったのです。

 

その頃の私はといえば、自分が何がしたいのかがわからず、色々試すがピンとこず、そしてますますわからなくなるという鬱々とした生活を送っていた時期でもありました。「自分には力がない」「自分は空っぽだ」「自分一人では何もできない」という思いや心もとなさ、不安感、焦りを持て余していたのです。相手の言葉が、そんな私に「あなた一人でやって」と言っているように聞こえ、相手への攻撃を生んだのだと今はわかります。

でも、あの時は、腹が立っているのは約束を破った相手のせいで、自分の無力感が刺激されているからだとはみじんも思っていませんでした。

 

 

おばあさんの96%にあったもの

おばあさんの話に戻りますが、おばあさんの96%の潜在意識には、何があったのでしょうか?

想像の域は出ませんが、このコロナ禍というご時世で、緊張しろ、緩めるなと言われ続けた疲れやストレス、そして、夫を亡くした喪失感や寂しさなどもあったことでしょう。そしてそれらがあれば、今回旅ができたというのは当然、嬉しいことであるでしょうし、様々な感情の中、過ごしてきたことへの称賛やねぎらいを求めたくもなるのだと思います。「お父さんがこの宿が好きだったから~」と話したのは、「自分だけ楽しんじゃ申し訳ない」と自分をいさめる気持ちが働いたのかもしれません。でも逆に言うと、それぐらいおばあさんは嬉しい気持ちで一杯でもあったのでしょう。

そんなふうに、自分では意識されていない、いろんな感情の重なりがある、ということです。

 

 

自分の意識されていない部分に光をあてる問いとは

表に出てくる反応や行動は、目に見えるものなので、わかりやすいものです。でも、それらにはいつも目に見えないワケがあり、理由があリます。さらに、そのワケや理由を支えているビリーフや価値観、記憶、セルフイメージなどがあるのです。そしてそれは、意識されていない96%の部分にあり、それらを通して事柄や人、状況を見、その結果4%に反応や行動としてでているのです。そういう意味で、意識されていない96%の部分に光をあてていくことは、本当の意味での“自分をわかっていく“ことでもあります。

 

今、こんなふうに反応したり、行動したり、解釈したりしているけれども、

 

ということは、

 

◎どういうことが私の中で起きているからだろうか?

 

◎このように反応するのは、私の中でなにか前提としている価値観などがあるからだろうか?

 

◎何か気づいていない感情や思いがあるからなのではないだろうか?

 

まずは、立ち止まって、このような問いを立ててみませんか?

そうすると、これまで意識されていなかった部分に、光があたり始めます。そして、これらの問いに答えるためには、自分に向き合わないとなりません。

 

 

自分に向き合ったことで得たもの

私は、あの声を荒げた数年後、朝起き上がることができなくなったり、パニック発作を経験することになりました。自分と向き合わず、本当の意味で自分をわかっていないことから生じる苦しさや生きづらさは、体、精神に影響を及ぼします。自身の経験から、また日々伴走をしているクライアントさんからも、それがわかります。

 

自分と向き合うかどうかは、最終的に本人が決めることだと思います。

 

私の場合は、あの生きづらさを経験したり、パニック障害になったことで、自分と向き合い始めました。それを経て、今、確実に言えることは、自身に起きたこと(キレたこと、不安で一杯だったこと、色々なことができなくなり深い自己否定の中にいたこと、などなど数限りなくあること)について、誰も悪くなかったのだな、という平和な境地にいられている、ということです。

 

この境地を多くの人たちと分かち合いたい、という思いが働くので、どうしても自分と向き合うこと、無意識の領域に気づいていくことについて語る時、ついつい熱くなってしまいます。

 

 

ちなみに、くだんの友人との友情は今も変わらずに続いています。


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呼吸がうまくできるか不安です~相手が上、私が下になっていない?~

2020年2月22日

こんにちは!

パニック障害の方にとって、
美容院に行く、
歯医者に行く、
病院で検査をしてもらう(胃カメラとか大腸がんの検診、MRIなどなど)などは、
ハードルが高いものと感じていらっしゃる方も多いのではないかと思います。

 

多くは、美容院、歯医者、検査について、
「自分のコントロールがきかない状況におかれる」と感じるので、
それによって発作のようなものが出ないか、出たらどうしようか、
という予期不安を抱く、という流れが働くというものだと思います。

その結果行くのをすごくためらう、
予約は入れたものの気乗りしない、
予約取り消そうとまで思う、、なんてことまで起こりますよね。

 

さらに、コントロールがきかないところでも冷静に対応ができるように、ということでいろいろな方法を考えたり、冷静に対応ができているかどうかのバロメーターとして身体の状態を基準に置いたりもするのです。

今日はそもそも
美容院、歯医者、病院の検査(医師など)をどう見ている?というお話です。

私たちはついつい
サービスを受ける、治療をしてもらう、検査を受ける、
といったときに、
無意識に、心の中で自分が立場が下で、相手が立場が上、
ということになっているということがあります。

自分を振り返ったときにそのようになっていないか、を探ってみるとよいです 🙂

私も気づくとなぜか医師の方が立場が上で、自分が下、
だから相手の言うことは正しくて、こちらか何か要望を言ったり、質問をすることができない
と思いこんでいる、あるいは思いこんでいることにも気づいていない!ということも多々ありました(今も知らないうちにそうなっていることがあって自分の思いこみにびっくりすることもあります!)

 

みなさんはどうですか?よく振り返ってみるとそうなっていたりしませんか?!

 

このように心の中で相手が上、自分が下、ということになっていると、

当然、
自分の状態について説明するとか、
不安になることがあるので、その時は治療を一旦ストップしてほしい、とか
時々声をかけてほしいとか、
自分のペースを尊重してほしいとか、

といったことが言いにくくなってしまう、我慢するのが当たり前だと思う、
ということになってしまいます。

 

でも実際は、
例えば、私たちは一人の顧客として、
サービスを受けたいという意思があり、
そのお店や医院を選び

そして美容師さんや医師は、
自分がこれまで習得したスキルや知識を提供しますよーとお店や医院にいる

サービスを享受したいというニーズがあって、
サービスを提供したいというニーズがあって、
それが合致している(選び、選ばれ)という関係性があるだけ

そういう意味では、
立場が上とか下とかが関係なく、完全にイーブン、対等!

(たとえ、どんな素晴らしい美容学校を卒業していても、どんなランキングの高い学校を出ていたとしても関係なし♡
むしろ自分のためにスキル、知識を積んできてくれてありがとう!という感謝すらでてくるかもしれません^^)

 

この「対等な関係性なんだ!」ということを認識して、
美容院に行く、歯医者に行く、検診に行くなどの状況をもう一度イメージしてみましょう

 

立場の上下はどうでしょう?

自分の中に力が戻ってくる感じがしませんか?

 

その状態で、自分の中に要望や希望がある場合、
どうしたいか、何ができるかもよくイメージしてみましょう

あるクライアントさんは、

歯医者さんに行くのに、

「自分の状態を説明した上で、不安になったら一旦止めてほしい、と言いたい」
「時々声をかけてくれたり、自分の状態を確認してほしい」

と思ってはいたのですが、
これを言ってはいけない、言うのはばかられると思われていました。

そして、これらを我慢する代わりに、呼吸がうまくできていれば治療に対処ができるかも、と。

コントロールがきかないところでも冷静に対応ができる方法をいろいろ考えたり、
冷静に対応ができているかどうかのバロメーターとして身体の状態を基準に置いたりもするのです。
このクライアントさんの場合は、「呼吸がうまくできているかどうか」を基準に置かれていた、ということです。

しかしながら、呼吸は、不安感を抑圧するためのお守りのような存在ですから、
呼吸がうまくできるかどうかが、今度はすごく気になり始めるわけです。
セッションにいらしたときは、
「歯医者に行ったときに、呼吸がうまくできるかどうかが不安」とおっしゃったのですが、
これは本当のテーマではないわけです。

 

そこで、改めて、歯医者さんと自分について、
無意識に心の中で上下関係になっていたこと
(自分が下と思っているので、当然「コントロールできない」という世界観になり、不安感も伴ってしまう)、

でも、サービスを提供する、受けるという点においては、
本当は「対等の立場にある」ということに気づかれたことによって、

「あれ?不思議。。。自分の要望をちゃんと言ってもいいと思える」
「だとしたら、呼吸がどうかはあまり問題じゃなくなる、あれ?あんまり気にならない!」

となられました 🙂

 

というわけで、
こんな風に、いつの間にか無意識に相手が上(下)で、自分が下(上)といった
自分の心の中で、誰かや何かと上下関係を作っていないかな?
というのを確認してみることは大切ですね

これを見逃したままサービスを受けようとしても、

私はあなたにすべて任せてしまいます、あなたの状態に頼りますといった、
相手に力を明け渡してしまっている状態にあるわけですから、

この無力な状態を無意識に補ったり、
抑圧しておくための(向き合わないための)何かを見つけたり、
気を付けたりしなければいけなくなるわけです

ここにはそれなりのエネルギーを知らず知らずのうちに使いますので、
疲れてしまって、

もうサービスを受けることをやめようかという話にまでなってしまう・・・

でもそれは、
本末転倒な結果になってしまいますね

 

今回のクライアントさんの場合は、
思考のレベルで認知が変化したケースですが、

もしそれでもやっぱり上下関係があるように思えるという場合は、
権威とか学歴とか、職業、また自分がパニック障害であることに対して、
どんな風に思っているのか?感じているのか?を探っていくといいですね

もしかすると、自分の中にある無力感や恥ずかしいなどという気持ちを通してこれらを見ているのかもしれません

無力感や恥を持つのが悪いということではなく、
どうしてそう思っているのだろう?と自分に寄り添い、対話していく(セラピーを使うのもよいでしょう)ことで理由もわかってくるでしょう。

そして明け渡してしまった力が自分に戻ると、
サービスの授受も信頼と感謝をベースにしたものに変化します
そんな状態で美容院、歯医者、検診に行ける方がシンプルで自分にとっても優しいですよね

ということで、
誰かや何かの上になっていない?下になっていない?と、
無意識に当たり前にしてしまっている自分の思いこみを確認してみること
これ、大切ですね♪

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます!

自分にやさしくお過ごしくださいね♡

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「パニック障害」はわかってもらえないもの?~楽に向き合う方法~

2020年1月18日

こんにちは!

 

「パニック障害」・・・
これが、改善するように、
不安が軽くなるように、

いろいろ工夫をしたり、
本を読んだり、情報を集めたり、
医療機関にかかったり、
セッションを受けたり、

自分なりにいろいろされていたりすると思います。

 

 

最近は、

パニック障害について芸能人、アスリートなどが自分も自身がそうです、といった公表をしたり、メディアに取り上げられたりする機会も増えて、「パニック障害」という名前が世の中に認知がされていくのはいい流れだなと思っています。

 

その一方で、メディアでは取り上げられることがだいぶ多くはなっているものの、
時に、
わかりやすい症状をもっている人がうらやましくなったり、

ましてその人が手厚くサポートを受けているのを見ると、うらめしくなったり、

甘えている!(甘やかしている!)と相手に(サポートをしている人に)腹が立ったり、

症状についてや、困っていることについて、他者が無関心だと悲しくなったり、腹がたったり、

「それは○○と同じじゃない?」と他の症状と同等に扱われたりするとモヤモヤしたり、

「じっくりゆっくりやっていけばいいよ」と言われてイラっとしたり、

効果や実感をあまり感じられない方法や情報だったとすると、そのことにがっかりしたり、いらだちを感じたり、

 

このように感じることが多かれ少なかれあったりしませんか?

このときに、心では何が起きているのでしょう?
今日はこれについてみていきたいと思います(*^^*)

 

「パニック障害」を私はどう見ている?

例えば、
予期不安がでてきたり、できないこと、苦手なことを作り出して生活を制限するパニック障害ですが、
この「パニック障害」を私はどう見ているでしょう?

いつかはきっとよくなるもの、と思っている?
外からはわからないからよくわかってもらえないもの、と思っている?
実際に経験したことがないとわからないもの、と思っている?

 

今回よく感じがちな例として取り上げている
わかりやすい症状の人がうらやましくなったり、
サポートが薄いと感じてしまうのは、

「外からはよくわかってもらえないもの」とか、
「実際に経験したことがないとわからないもの」
という思いで
「パニック障害」を見ているときですよね(パニック障害への投影・解釈)

 

まずは、
「そういう解釈をしている」ということに気づいてあげましょう

どうして私はそんな風に解釈するのだろう?

さて、このような解釈があると、
症状と向き合うときに、どんな感情をもっているでしょう?

・一人でやっているという「孤独感」があったり、
・だれにも理解されていないんだろうなぁという「あきらめ」があったり、
・自分だけが一人で向き合っている感じがしていますから、「心細さ」、「不安感」もあったり、
・「焦り」や「悲しみ」、「怒り」などもあったり、

本当はこれらの感情も感じているのですが、無意識なので、
これをも「パニック障害」に投影をします

なので、これらの感情を刺激されることが起きると、ものすごく反応してしまう、ということが起きるわけです

例えば、
誰かが「パニック障害なんてよくわからない」と言うと、その言葉に傷ついたり、
自分がパニック障害だと伝えていたにも関わらず、その人があたかも忘れているような言動をしてきたときに、「言ったのにわかってくれていない」と傷ついたり、腹がたったり

 

でもこれらが起きるのは、
自分の解釈、感情に「無意識」だからなので、
それらに気づいて、ケアをしていってあげるとよいですね 🙂

 

一人でやっているという「孤独感」があったり、
だれにも理解されていないんだろうなぁという「あきらめ」があったり、
自分だけが一人で向き合っている感じがしていますから、「心細さ」、「不安感」もあったり、
「焦り」や「悲しみ」、「怒り」

こんな風に思っている、感じている、ということに気づいたり、
感じていることを許したり、

EFTをご存知の方はEFTを使ってよく感じながら、感情を流していってあげてもよいでしょう

 

本当の思い、気持ちに気づくと、症状の犠牲者にならない

これらの感情、感覚に光が当てられて、ケアすると、

例えば、
他の症状と自分の状態を比較しなくてもすんだり、
不必要にだれかのサポートや理解がいらなくなったり、
自分がいかに困っているのかをわかってもらうことに無理なエネルギーをかけなくてすんだり
他者の言動が単なるその人の意見なんだな、と自分とはいい意味で切り離してみることができたり

このような変化が自然と起きてきます

この状態で、
症状の改善に向き合うことをしていく方が、

パニック障害の症状はあるかもしれないですが、
自分への信頼をベースに取り組むことができますね

 

私たちは自分と一致している時というのが一番自然で
だからこそ無理なく力も発揮でき、
色々な情報や選択にもオープンな状態で取り組むことができるものです
そしてその時、本当の意味で、情報、医療、セッションが活きてくるでしょう

自分にとって楽なペース、自分らしいやり方で取り組んでいけるといいですね

 

苦しい向きあい方になっているな~と感じていらっしゃる方は、

パニック障害をどうとらえている?というところから、

心の中で、パニック障害の犠牲者になっていないかな?

その犠牲者感を作り出している思いや感情は何かな?

というところを探ってみられるとよいですよ♪

 

今日も最後までお読みくださりありがとうございます!

深呼吸して~ 自分にやさしく♡

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何が投影されているのだろう?~トンネルが怖い~

2019年11月23日

こんにちは!
都内は冷たい雨です~
実家の母と話ましたら、快晴だとのこと、日本は長いな~!

さて、これまでも私たちは、潜在意識にある思いや感情を通して世界を見ている、
そして、それらは潜在意識にあるため普段は気づいていない、
そんな心のしくみがあるんだよ、
ということを度々このブログでも書いてきていますが
今日もその辺りのテーマで行ってみようと思います(*^^*)

パニック障害でよくあるのが、
狭いところが苦手、暗いところが苦手というのがあるかと思うのですが。
例えばトンネルなどみなさんはどうですか?

あるクライアントさんは車でトンネルに入っていくことが怖く、できれば車の運転をしたくない、
でも車がない生活は日常に支障をきたすので、困っている、と
出口が見えない長いトンネルは特に避けたい、と

この時クライアントさんの眼には、
いわゆるコンクリートでできてる建造物とか、
半円形の立体空間とは映っていないのですよね

この空間になんらかの「解釈」が「投影」されているので、
結果として「入っていきたくない」「怖い」という反応が起きている
ということです

*いつも私たちは、トンネルが反応を起こしていると考えてしまいますが、
「トンネルへの解釈」が反応を起こしている、ということです♪

では、どうやって反応を起こしている解釈を見つけていくかですが、
この解釈は私たちの潜在意識にあって、

なので、その潜在意識の中で、
この空間をどうとらえているのか?
例えば、心の中では、この空間にどうされそうと思っているのか?
自分はどんな存在になってしまっているのか?それはなぜなのか?
を探っていきます。

そしてこれらに導いてくれるのは、
体感であったり、感情だったりするのです。
体感や感情が潜在意識への入り口と言われるのはそのためです
私たちの体と意識ってつながっていてすごいなと思います(*^^*)

話を戻して、
探っていくときに、トンネルにどうされそうか?その時にどんな体感がでてくるか?などを引き出していくのですが、
そうしていると、
自然と、自分では全く忘れていた記憶が浮上してきたり、
トラウマの経験がでてきたり、ということが起こります。
(繰り返しになりますが、この記憶やトラウマにある思いや感情を通して、トンネルの空間を見ている。
結果として、トンネルが苦手、避けたい、怖いという反応が起きている、ということです)

 

例えば「おしつぶされそう」(トンネルは生き物ではないので、押しつぶしてはこないはずなのに、心の中ではこういうイメージになっているということです)
「私はおしつぶされて小さくなっていなきゃいけない」など….

そしてここには感情もくっついています。
例えば、怖いとか、怖い以外にも、悲しいとか悔しいとか、、、

このクライアントさんの場合は、
それらを感じていると、家族関係が荒れていた時期があって、その環境の中で、小さくびくびくと我慢しながらいた記憶がでてきました
家族も怖い
でもそういう家族を自分が持っているいるということを誰にも知られたくない

ご本人もまさか現在のトンネルへの反応と、この幼少の経験とが関係があるとは思っていらっしゃらなかったですが、感情や感覚が一致しているという点において納得感がおありです。

ここが、私たちの潜在意識ってすごいなと思うところなのですが、
未完了だったり、切り離してしまった感情や思いを解消させたいと、
現在、起きていること(見えていること、反応していること)の中に現れてくるのですよね

傷ついていた私の心、
我慢していて閉じ込めた本当の私の思い、
それらに気づいてほしい!
それらを聴いて!
自然な形に戻らせて!
自分らしさに還らせて!

 

トンネルに怖さを感じないような様々な方法、ツールを用いたとしても(音楽を聴くとか、アファメーションをするとか、自分は大丈夫と言い聞かせをしたりとか、これらはもちろんサポートにはなると思いますが)
すっきりしないのは、
反応を引き出すこれらの声、思い、感情が潜在意識にあるためです

根本的に、反応がなくなるには、
心の中でどのようなイメージ、ストーリーとなっているのかを、感情、感覚を頼りに探っていく、
そして、イメージの中にある思いや感情を受容したり、解消したりすることが鍵♡、
ということが以上からもわかるかと思います。

今このクライアントさんは、トンネルに投影をしている
幼少期の家族関係で傷ついたご自身の経験の癒しに取り組んでいらっしゃいます。
マトリックスリインプリンティングやフォーカシングなどのセラピーを使ったりしています)

どうしてトンネルが怖かったのかも、今、納得感がありますので、
(ワケがわからず怖がっていた状態(この時って無力感をすごく刺激されてなお嫌だと思います)ではもはやない)

そういう意味でも、
何が反応を引き起こしているのかを心に探る、というのは、
力をご自身に取り戻しながら向き合っていけるので、
癒しが「苦行」にならず、
癒しのスピードアップもサポートしてくれますね

ということで、今日は、

◎反応を起こすのは、トンネル(状況、物事)ではなく、
それらへの解釈であること

◎その解釈は潜在意識にあって、普段気づいていない、ということ、

◎そしてそれら気づけていないものにリーチさせてくれるのは
感情や感覚であること(これらを状況、物事に投影されている)

◎これらを解消すれば、投影が変わる(トンネルへの反応がでなくなる)、ということ

でした~(*^^*)

 

今日は長くなってしまった
最後までお読みくださりありがとうございます!

深呼吸して~ 自分にやさしく♡
暖かくしてお過ごしくださいね

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~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

パニック発作、予期不安から解放されるためのパニック障害セミナー
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【対象者】パニック障害、不安症の方、またそのご家族など
【お申し込みフォーム】
パソコン・携帯共用:http://ws.formzu.net/dist/S2276840/

ブログ 活動と実績

苦しみをもたらすのは状況?解釈?

2019年11月17日

ずーとつながっている仲間がいるということがあると思うのですが、今日は「心や精神についての興味」という点でも長くつながってこられたお仲間のみなさんからお声がかかって、
心のしくみについて講座を開催してきました
 
「マウンティングされた時にどう対応するか?」のハウツー本は沢山あるけど(「マウンティング」は、今回話題によくあがったコトバだった)
 
でも本当の苦しみは、
「マウンティングされた」と解釈したとき
・・・そう、ついついこれを忘れちゃう
 
そんな解釈を生み出す心のしくみってどうなっているの?を
解説していきました
 
ご主人さまもご参加くださって、男性目線の質問なども出て、活気がありました^^
 
2時間の講座はあっという間♪
お茶タイムでも、手作りケーキ、マドレーヌ、バームクーヘン、おせんべいもぐもぐしながら
子供たちにも、親たちにも、知ってもらいたいわねーなんて妄想を走らせながら盛り上がりました
 
私は、結婚後住んだのが船橋市だったので、
船橋駅に下りたときには、
あの頃の空気感がよみがえってきて
とーってもなつかしくなりました

よき一日だったな♡

今回も最後まで読んでくださりありがとうございます

深呼吸して~ 自分にやさしく♡

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ブログ 乗り物恐怖 心のしくみを理解し安心をとりもどす 気づきの問いかけ

だから不安が消えなかったんだ ~「意味づけ」を見落とすなかれ~

2019年6月2日

今回も「だから不安が消えなかったんだ」シリーズで行きたいと思います(*^^*)
過去記事はこちらです
①「だから不安が消えなかったんだ
②「だから不安が消えなかったんだ~発作というイメージ~

パニック障害とは切ってもきれない不安感、恐怖感ですが、
これらがなかなか消えないのは、
これらがいわゆる「症状」「反応」にあたる部分だからです。

 

症状、反応がでるのは、
それらを生み出すもの、原因があるということですよね

私たちは、一見、状況や人、モノが不安や恐怖感をもたらすと思っていますが、
実はそうではなく、、、

 

なぜなら、昔は平気で電車に乗れたり、高速も運転できていたのですから、
そういう意味で、電車や高速が不安感や恐怖感をもたらしているのではなく、

電車や高速(を運転する)ことに対しての自分なりの「意味づけ」が昔とは変わったからなんです。

そして、その「意味づけ」が、
不安感や恐怖感を生み出しているのです

 

ここを見落としていると、どういうことになるかというと、

対象物を避けようとしたり、
反応や症状である不安感、恐怖感を抑えるようとしたり、
それが抑えることができるツール探しに邁進したり、
でも本当の意味ではすっきりしないので、
余計不安がひどくなったり、ツール探しに疲れてしまったり、
悪循環になっちゃうんですよね。。。私もこれやってました(*^^*)

 

意味づけですが、すごくざっくりな例ですが、
例えば、電車が混んでいる→不安だ、怖い、という反応がでるわけですが、
ここの真ん中に自分なりの【意味づけ】があるのです

例えば、
電車が混んでいる→ 意味づけとして、
空気が薄くなってしまう(私が吸える空気が減っていく)という意味づけがあれば、
「電車が混んでいる」という状況に対して、不安感、恐怖感がでる

こんなつながりです。

ということは、
意味づけが、苦しい意味づけから、全然別の意味づけに変わったり、意味づけ自体がなくなったりすれば、当然反応も違ったものになりますし、
電車が混んでいるという状況もただそれがそれとして捉えられるようになり、
結果、反応も全く違ったものになったり、でなくなったりする、ということです。

 

意味づけがなぜ見落とされてしまうのか、ですが、
それは、反応や症状の部分がすごくエネルギー量が大きくて~別の言い方をすれば、感情や感覚の大きさが大きかったり、それによってさらに思考が刺激されて、さらに感情や感覚が渦巻いてしまう、
ということが起こるからなんですね
だから、この部分をなんとかしなきゃという発想にもなりがち

また、この意味づけは、
潜在意識にある、様々な気づいていない思いや感情、感覚から生み出されているので、
気づけていない、ということもあります
特に潜在意識の深いところにあるビリーフやセルフイメージは影響力があるにもかかわらず、それに全く気づけていないんですよね

それでは、気づけないからそのままなのかと言ったらそういうことではなく、
ひとつの意味づけは、またその下にある意味づけによって支えられているという構造をもつので、

そういう意味で、この意味づけを解体していけば、
本当の意味で、
反応、症状を生み出していた、思いこみや、ビリーフ、セルフイメージが見えてくるんです

※その解体に私は、心のしくみをベースにした「気づきの問いかけ」やEFTやフォーカシング、マトリックスリインプリンティングなどの体(感覚)にもアプローチできるセラピーを使ったりしています。

なぜなら意味づけ自体も思いー感情―感覚が構成要素なので
(例えば、先の例ですと、
「私が吸う空気が薄くなる」(←これは思い)-不安感(←感情)―肩に力が入る感じ(←感覚)という感じ。
セラピーはこの不安感や肩に力が入る感じといった感情や感覚の解放に使っていけます。そうしているとこの不安感に紐づく記憶が自然とでてきたり、潜在意識にあるセルフイメージなどがわかってきたりするのです。それが電車の中での発作の記憶ということもあるでしょう)

ということで、
反応や症状の部分である不安感、恐怖感を本当の意味で解消していくには、

その状況、モノ、対象物に対してどんな意味づけを見ていくことが必要でしょう

まずは、「この状況、コレは私にとってどんな意味があるのかな?」と自身に問うてみるとよいです。
そうすることで、不安感、恐怖感を生み出している私が気づいていないものたちへの探求の入り口に立てますです♪

 

気づいていないものに出会っていくことで、
今私を苦しめていると思えている不安感、恐怖感との関係性が変わっていくんです
なぜならこれらの感情を生み出す本当の理由を自分で理解できたり、尊重できたりしていくので

その時、不安感、恐怖感というものへも、あってよかった、悪いものではなかったと見え方も変わっていく

私も、そして、誰も、何も悪くなかったんだなという視点は一番私たちをラクにさせますね♡

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます♪

深呼吸して~ 自分にやさしく♡

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パニック障害ランキング

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パニック発作、予期不安から解放されるためのパニック障害セミナー
予期不安、広場恐怖へと広がる理由、発作の原因について
心と体の観点からしくみを理解しませんか?
しくみから、改善へのアプローチがみえてきますよ♪

2019年6月23日(日)13:30~16:30@東京 東池袋

☆セミナーについて:https://bit.ly/2GTvxkd

☆開催概要
【日程】2019年6月23(日)
【時間】13:30~16:30
【会場】あうるすぽっと 3F 会議室B1
東京都豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル3F
http://www.owlspot.jp/access/
【参加費】8,000円
【対象者】パニック障害、不安症の方、またそのご家族など
【お申し込みフォーム】
パソコン・携帯共用:http://ws.formzu.net/dist/S59511152/