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赦すために大切なこと

2023年7月3日

今回は、私の中で起きた「赦し」ついて、最近の体験をご紹介しながら書いてみたいと思います。

 

先日、ピアニストの友人のコンサートに行きました。

演奏とお話を交えたコンサートだったのですが、一つの作品を演奏される前に、曲紹介とともに彼女のピアノの先生の話がありました。

その先生は、生徒の間で、「レッスンに行かない時も先生が住んでいる最寄り駅の近くを通るだけで、胃が痛くなる」と言われているほど、とても厳しく、怖い方だったそうです。そして、今回演目を選ぶにあたって、久しぶりにこれから演奏する作品の譜面を取り出してきたところ、そこには、この先生の直筆のコメントなどが残っていて、当時のことを思い出した、という話でした。

 

この話を聞いて、私も自分が教わったピアノの先生のことを思い出しました。

 

私は小学校1年から高校2年までピアノを習っていました。こういうと、「相当弾けるだろう」と思われるかもしれないのですが、そんなことはなく、私にとって、ピアノといえば、「苦行」。この一言で表すことができるほど嫌な思い出しかないものなのです。

なぜなら、とにかく楽しくなかった。先生の指導方法は、暗譜をして、指の形もきっちりとして演奏しないと注意され、とにかく全部が完璧でないと絶対に次に進めない、というものでした。私は、音楽の道を目指していたわけではありませんでした。「ちょっと弾けるようになったらいいな」ぐらいで通っていた私にとっては、レッスンは苦痛でしかなく、「失敗しないように」という思いばかりが先行するので、「演奏している」という経験や演奏する楽しみを味わうことができませんでした。

結果として、曲そのものが体や肚に落ちていませんから、作品が自分のものとして(記憶としても)残りませんでした。大げさに言っているのではなく、あんなに長く続けたのに、「これだけは弾ける」というものがひとつも残らなかったのです。

 

その後、大学受験を理由に、高2でやめたのですが、それ以降、私のピアノの蓋は閉じられたままになりました。

 

さて、コンサートの話に戻ります。

彼女が、先生がいかに厳しかったかの話の最後に、「あれも(あの先生の指導も)愛だったのかなと、こうして何年も経って思えるようになった」と言いました。

 

この言葉を聞いた時に、「ああ、彼女はもう先生を赦しているんだな」と思いました。そして、ふと「私も先生のことを赦せるとしたらどうだろうか」という思いがよぎったのです。同時にそんな発想がでてきたことに少し驚きもしました。ですが、実際「赦す」ということをイメージすると、ふわっと体が軽くなる感覚がありました。(ここでも我ながらちょっとびっくりです。)

 

そして、自分の中の声を探ってみました。すると、そこにあったのは、「自分の演奏を通じて、楽器、曲、音を楽しむという経験がしたかった」といったものでした。

それまで私は、「ピアノの前に座ると体が固まるのはあの先生のせいだ」、「何も実にならなかった時間は自分の人生からなかったことにしたい」と、怒りやあきらめにも近い気持ちがあったので、当然「許せない!」という思いが出てくるものだと思っていました。ところが、よく探ってみると、単純に「やっていて楽しい!」と思える瞬間がなかったことが、悔しい、残念だ、というものだったのです。上達するとか、上手く弾けることよりも、です。

 

自分の心の声がわかって、それを言葉にすると、先生やピアノの犠牲者だと思い込んでいたところから離れることできて、「犠牲者である私」に固執して力が入っていた部分が和らぎました。そして、視野も開けた感じがして、色々と当時の実際のところが見えてもきました。

例えば、私が習っていた時代は、昭和50年代。先生は、昭和30年代、40年代を現役ばりばりで過ごした方だったと思うのですが、先生自身が演奏家を目指していない子供たちへの指導方法にあまり長けていなかっただけなのではないかとか(特に自分が自然とできることって、できない人がどんなところで困っているのかが、わからなかったりしがちです)、母は母で、自分の恩師ということもあり、なんらかの遠慮や忖度が働いていたのかもしれないとか、私も母に気をつかって、上達しない分、せめてレッスンを続けることで母の面目を保とうと、やめたいとはなかなか言い出せなかったとか。あの頃、いろいろと作用していたであろう要素に客観的に思いを巡らせることができるのです。そして、結局はだれも悪くなかったのだな、ということもわかってきます。あの時、あの時代、あの環境の中で、各々が各々の中で勝手に想像したり、解釈したりして、物事が起き、関係性が動いていただけなのだな、と。

 

こんな風に見えたときに、先生やピアノ、母を責め続けることを、もう手放しても大丈夫かもと思えたのです。さらに、「自分の演奏を通じて、楽器、曲、音を楽しむ」という経験をできなかった自分を責めていたことにも気づき、それももう手放せると感じました。あの時は楽しむことができなかったのだけれども、今は、他のことを通してその経験もできている。後悔や恨みのメガネをはずせば、逆にもっと「楽しむという経験」が経験できるな、とも思えました。だから、そんな自分も赦そうと。

そしてさらに私の体が軽くなるのを感じました。

 

 

以上が、友人の「厳しかった先生」の話をきっかけに、私の中の本当の声に気づいたことで起きた赦しのお話です。彼女が弾くショパンの調べとともに、赦しが私の中に自由という風をふわりと吹き込んでくれる体験となりました。

 

 

 

 


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