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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~#4 回復への道

2022年6月23日

ここまで3回にわたって「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき」というテーマで、3つのケースをご紹介しながら、私たちは「ビリーフを生きている」ということについて心の仕組みとビリーフとの関係から読み解いてきました。

シリーズ最後の今回は、このようなビリーフからどのように自由になっていくのかについて書いていきたいと思います。

 

ケース毎のアプロ―チ

ケース#1:婚約を破棄されたお母さんの場合

 

「人は去っていくものだ」「幸せは長続きしないものだ」という思いを強く持ったであろうお母さんですが、小さい頃に生みの親が次々と亡くなったという経験は、お母さんにとって、生き残れるかどうかという恐怖を非常に刺激された出来事であったろうことは容易に想像できます。このお母さんの場合は、親を失う経験で感じたであろう感情や感覚、思いを、解放をしていくことがポイントになります。実際には、親の死に直面している当時の小さい頃の自分をイメージし、その時に感じていた感情や思いを当時の自分に現在の自分が聞き出していきます。その際、タッピングを使うのですが、現在の自分がイメージの中で、当時の自分をタッピングして、当時の自分の感情や感覚、思いを解放していきます。

 

ここで感じた感情などが解消されないまま、婚約者が去っていったという経験が重なることで、さらに傷が深まることになったことでしょう。だからこそ、お母さんは諦める、我慢するという人生を生きるしかなったということでもありますね。

すでにお母さんは、90歳近いとのことですので、感情の解放などをするためにセラピーを受けようと考えるのは難しいかと思いますが、親を失うという経験での感情などを「解放」しない限り、このビリーフを生きることがずっと続くことになるのです。

 

ケース#2:仲間に選ばれるかどうかをいつも案じてきたAさんの場合

 

Aさんは、「班割り、係ぎめ、遊びやスポーツのグループぎめがあるとき、いつも緊張と情けなさで生きた心地がしなかった」と言っていますが、Aさんの場合も、まさにこの時の感情や感覚、思いを解放していくことが大事です。やり方はケース#1と同様、自分は選ばれるのかどうなのかと、他人の判断を待っていた当時の自分をイメージして、その自分が感じていた感情をタッピングしながら解放していきます。それはものすごい緊張感やいたたまれないような心地の悪さ、怒りなどといったものかもしれません。どんな感情や感覚、思いを感じていたのかは、イメージした当時の自分に問いかけるとちゃんとわかるのです。

そして、こういったものが解放されていけば「頼れるのは私だけ」といったビリーフが緩むでしょう。それによって、無理な頑張りもしなくてすみ、頑張りのはけ口としての「寝る前にネット動画を観ずにはいられない」という依存的行動が要らなくなっていくでしょう。

 

ケース#3:悪いことをしたと自分を責めているBさんの場合

 

Bさんは、自分がいじめをしていたことに罪悪感があるわけですが、自ら好んでいじめをしていたとしたら、罪悪感は感じないはずです。しかし、罪悪感があるということは、好んでいないのに、それをしなければならなかった「理由」があるということです。この理由がわからない間は、「自分が悪い」とずっと自分を責め続けることになってしまいます。この罪悪感から解放されるには、決してしたいことではないのに、他者をいじめることでどんな自分の感情や思いに向き合わなくてすんだのか? 他者をいじめることを選択するほど、本当はどんな気持ちがあったのか? を理解し、そしてそれらを解放していくことが必要です。

ここも上記2つケースと同様に、当時の自分の感情を解放していくことになるのですが、イメージする自分というのは、他者にどんなに感情をぶつけていても、決してすっきりしていない自分、になります。Bさんの場合、不安感やさみしさがずっとあった小学生の自分でした。Bさんのご両親はいつも忙しく(地域の名士だったお父さんは平日も休日も自宅いなかったとのこと)、学校から帰ってきても一人おうちで帰りを待っていなければいけなかったそうです。他者を傷つける行為は、この不安感やさみしさからのものだったのだということを理解できたことで、罪悪感に苦しまなくてよくなりますし、ひいては、強迫観念や行為によって自分に罰を与えなくてよくもなりますね。また、小学生のBさんが抱いていた不安感やさみしさを解放していくと、どんなに両親が忙しくても自分は愛されているといった感覚や安心感が自然と出てくるので、昇進の話に対しても「愛されている自分」という自分の視点から、この話を聞くことができる、という風にもなっていくのです。

 

自我の性質とビリーフ

「私たちは、ビリーフを生きる存在である」ということを書いてくるとあたかもビリーフが悪者なんだ、そういったものを持たない方がよいのではないか、といった思いが出てくるかもしれません。

しかし、わたしたちは生まれてから成長していく過程で、多かれ少なかれ、必ず何らかのビリーフを持つものであり、そのことから免れることはできないのです。それは、私たちの「自我」の性質と関連があるからです。この「自我」について触れておきたいと思います。

 

「自我」とは普段の私たちのことです。

私たちの根源には、本質(ありのまま)から離れてしまったという“誤解”があり、そこから生じる、怖れや不安、欠如感といったものが、いつもあるのです。

これまでの記事でも書いてきていますが、いつも肉体として生き残れるのか、精神的に生き残れるのか(=どれだけ周りに受け入れてもらえるかなど)のサバイバル(生き残り)の怖れストーリーが常にあります。

 

普通にしていても愛をベースにした状態ではなく、怖れをベースにした状態がデフォルトとなっているのが「自我」である、ということです。そしてそれがそもそもの「根源的な苦しみ」なのです。

 

そして、この“誤解”がある以上、「自分とはこういうものだ」「〇〇とはこういうものだ」といった自分や物事を定義づけるものが必要になります。それがビリーフです。「ビリーフから免れない」と先に書いた理由がここからも理解できるかと思います。

 

元々のベースが不安や怖れがある上に、人生を生きていく中で、生き残りの不安を刺激される出来事に私たちは遭遇します。その時に、人はその苦しさを和らげ、自分を守ることを考えます。それは、何らかのビリーフを形成し、信じるという方法で、です。

 

ケース#1のお母さんが「私は一人ぼっちと信じておけば、もう傷つかない」、ケース#2のAさんが「人とは自分の基準で選んでくるものなんだと信じておけば、もうさらに傷つかなくてすむだろう」、ケース#3のBさんが「自分は悪い子としておけば、不安感やさみしさに向き合わなくてすむ」と思うのは、まさにこれです。Bさんの強迫行為は、この不安感やさみしさから自分を守るための行き過ぎた形とも言えます。

 

私たちが究極に求めている本質への回帰

 

私たちは、もちろん傷つきから回復したいと求めます。一般的なカウンセリングや心理学はここを目的としていると言えるでしょう。しかし、自我の性質という観点から考えた場合、私たちが深いところから希求していることは、さらに踏み込んだ「本質から離れてしまったという“誤解”を解いていきたい」ということなのです。

 

では、それにはどうしたらいいのでしょうか?

 

まず前提となるのは、私たちが特に苦しくなっている時や、その苦しみが何かの症状として出ている時は、普段ですら意識されていない本質が、傷つきによって、なおさら見えなくなっている時だということです。ですから、この傷つきにある感情や感覚、思いを入り口に、そこから本質を覆っているものを解放していくことで、ビリーフや怖れのストーリーを変容させていくことが必要ですし、それが、本質(ありのまま)に近づいていく、回帰していくことにもつながっている、ということです。

 

また、感情や感覚、思いは、生来変化する性質のものであるという点で、非常に実体のないものである、ということもポイントです。傷つきによってできたビリーフや、それを支える怖れのストーリーもこれらで構成されているのですから、実体がないのです。だからこそ、こうした感情、感覚、思いが解体されていくと、見えなくなっていた私たちの本質というものが立ち現れてくるのです。それは、怖れがなく、なんらかのビリーフや定義、概念にもはや規定をされていませんし、それらに依拠する必要もないのです。そういう意味で「真の自己」と言ったり、「愛そのもの(愛ベース)」と言ったりできるかと思います。最も安定し、安心があり、受容があり、静かな場所でもあるでしょう。

 

まとめ:ネガティブなビリーフから自由になるには

今回は、冒頭にケースごとにアプローチを説明するとともに、私たちの苦しみの元と関連がある自我の性質や“誤解”について解説をしてきました。

 

ビリーフを生きることで生じる苦しみから解放され、ネガティブなビリーフから自由になっていくには、

 

・そのビリーフを持つことになった経験は何なのか(どんな怖れのストーリーなのか)
 
・またその経験(ストーリー)の中にはどんな感情、感覚、思いがあるのか、を探り、それらの感情、感覚、思いを解放したり、変容させていくことが必要である

 

ということが理解できたかと思います。

 

 

一見、表面にでてくる悩み、苦しみ、症状といったものは、やっかいなものと見えがちですが、それらが、傷つきを癒すきっかけとなるのみならず、本質や愛への回帰へとふり向かせてくれるものなのです。悩みや苦しみをきっかけに、ビリーフや定義づけから限りなく自由になって、本質や愛をベースに動いていきたいですね。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~ #3ケースC 「悪いことをした私は幸せになってはいけない」

2022年6月9日

今回はシリーズ最後のケースのご紹介です。

 

昇進を素直に喜べないBさんと強迫性障害

Bさんは、40代の女性です。Bさんは、外出するとき、何度も戸締りを確認しないと外出できなかったり、何か不安を想起させる思いが出たときに「おまじまい」をして想念を打ち消さないとすっきりしない、ひどい時は、その想念に取りつかれて不安定になってしまうという生活を送っていらっしゃる方です。その一方で、仕事について、それなりにキャリアを積み重ねてきた方で、そういう状態に自負もあるだけに、この強迫観念が浮かばなければずいぶん楽になるのにと思っていらっしゃいます。

 

そんなBさんの前に、昇進の話が持ち上がりました。ところが、嬉しいはずなのに、最近は強迫観念が強まり、不安感や恐怖感は高まり、眠れなくなるなど、疲労困憊の状態です。このまま昇進の話を受けてよいのだろうかとまで思ってしまう、ということでセッションにいらっしゃいました。

 

 

本来喜ばしいはずの昇進なのに、素直に受け取ることができないことと、強迫観念が浮かんだり、それを打ち消すための行動をすることとの間に何か関連はあるのでしょうか?

 

 

Bさんの話を聞いていくと、Bさんには自分の中で「汚点」「黒歴史」と思っていることがありました。

Bさんは小学生の頃いじめっ子だったそうです。イライラしたりすると、だれかをのけ者にしたりして、自分の気持ちのはけ口を求めていじわるをしていたそうです。しかしそういうことをしているということを親(ちなみに、お父さんは、地域での名士だったそうです)にも先生にも言えず、弱いものいじめを止められない悪循環の中にいたそうです。憂さ晴らしができたような一時の快感がある一方で、そういう自分であることを恥じてもいましたし、罪の意識もあったと言います。特に、大人になって、自分がしていたことについて冷静に判断できるようになってからは、さらに否定感が伴うようになって、後悔や罪悪感が強くなったそうです。大学進学と同時に故郷を離れたBさんでしたが、自分のこういう行動を知っている人に会いたくないので、実家にもあまり帰らず疎遠になっているとも。

「汚点」からは物理的に距離を取れていて、かつて自分がそんなことをしていたと知っている人は誰もいない環境にいるのに、自分自身に嘘っぽさや、自分をごまかしているような感覚を感じ、自分の人生が上手く運んでいても、だれかの不幸のもとに今の自分の人生があるかのようにさえ思えて苦しいのです。

 

このBさんのビリーフと、ビリーフからとる行動

 

このような経験があるBさんに強迫観念や強迫行為が始まったのは、小学3年生ぐらいの頃だと言います。初めは、通りの角で直角に曲がったり、本やノートの角を触る、鉛筆などの長さを順序良く揃えるといったものだったそうで、それができないと気持ちがすっきりしない、といったようなものだったそうです。道徳の「善い行い、悪い行い」といった内容の授業で、自分の行いについて改めて自分は悪いことをしているんだ(いたんだ)と認識したときからだそうです。「この授業は、すごく自分がわがままで悪いことをしているんだと思わされた出来事だった」と言います。そして、これがBさんの中に「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」という思いを持つきっかけになったようです。そしてそれ以来、自分のことを罰し続けなければいけないことになりました。自分がしたことについて、親や先生に告白することもできず、一人自分が罪の意識を抱え続けていたことになります。ちなみに、それ以来、いじめることはしなくなったそうなのですが、クラスの中で引っ込むような感じになり、のびのびできない居心地の悪さも感じていたそうです。

 

 

Bさんのように罪の意識があって、恥の意識や罪悪感に苦しむ人の場合、どのように世界を見たり、行動をしたりするのでしょうか?

 

例えば、

・周りの目が気になる。・周りに遠慮をする。・相手、周りが自分をコントロールしてくるように感じる。
 
・自分が主張したり、我が出る、我を出すことを怖れる。またそのような行動をしている人を羨ましく思ったり、逆にうとましく感じる。
 
・自分が誰かを傷つけていないか自分監視をする。また他者が誰かを傷つけていると見えた場合、怒りが出たり、傷つけられている人に対して同情心が起きる。
 
・「幸せ」や「満足度」について、自分が決めた、自分にふさわしい度合いにこだわる(それ以上のものが手に入ったり、訪れることになると怖くなる)。
 
・自分を赦してくれるような状況、相手に惹かれる。エスカレートすると依存的になることもある。
 
・誰も自分のことはわかってくれないだろうと孤独感、分断感を感じ、苦しむ(あきらめや孤独感を通して周りを見る)。
 
・自分は罪深いと信じているので、自分を罰する行動や、償いをするための行動へと自身を駆り立てる。

 

Bさんの場合は、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」と信じているために、そんな自分に何かいいことが舞い込んできた場合は、なんらかの「罪滅ぼし」(自分を罰し、制御をかける)をしないと、それを受け取れないと思っていると考えられます。その罪滅ぼしの一つが、強迫観念を持ち、強迫行為ということになっているということです。

 

強迫観念がでたり、「おまじない」といった強迫行動をとらなければいけないのは、生活を多いに制限されますので一見不自由さを伴う不快なものではあるのですが、一方では、「悪いことをした」、「罪を犯した」と信じているので、自分が罪を償うために必要な行動となっており、頭ではなんとかしたいと思っているけれども手放しにくいものになってしまうということです。

 

今回、昇進の話が出てから、強迫観念・行動が強まった理由が、Bさんのビリーフとの関連で改めて理解ができるかと思います。

 

 

 

さて、このBさんが、昇進の話など自然と受け取れるようになるには、これまでも書いてきていますが、やはり、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」というビリーフから自由になっていくことでしょう。

 

では、どのようにビリーフから自由になっていくのかを、次回、シリーズ最後の回として書いていきたいと思います。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~#2 ケースB「私に幸せはマッチしない」

2022年5月25日

今回は前回に引き続き、シリーズの2つ目のケースのご紹介です。

 

仲間に選ばれるかどうかをいつも案じてきたAさんがやめられないこと

 

Aさんは50代の女性です。「頼れるのは自分しかいない」という思いのもとに、学生時代からも勉強、仕事に励んで生きてきた方です。

 

この方にとって、学校という場は、とても苦痛な場所でした。班割り、係ぎめ、遊びやスポーツのグループぎめがあるとき、いつも緊張と情けなさで生きた心地がしなかったと言います。足の速い子、明るく快活な子から班やグループに選ばれていき、おとなしくて、運動が苦手な自分はいつも残りもののように扱われて、毎回ドキドキして、逃げ出したい気持ちで一杯だった、と。

 

このAさんが解決したいと持ってこられたテーマは、「疲れているのに、ネット動画を観ないとどうしても寝られない」というものでした。どんなに忙しくて、くたくたになっていても、どうしても観ずにはいられない、と言うのです。

 

このAさんのビリーフと、ビリーフからとる行動

 

このような学校での経験によって、Aさんの中では、「人とは、いつも、その人の基準でしか人を見ない」「私は(その基準では)選んでもらえない」「私はお荷物な存在」というビリーフが、埋め込まれることになりました

Aさんは、「お荷物な存在」と言われないようにと、誰にも頼らずに(頼ることが悪、弱さの証明とまでも思っています)自分の力だけで生きていく、という生き方をしてきました(中学、高校と尋常じゃないほど勉強したそうです)。

しかしそこには深い孤独感や孤立感、心細さや不安なども伴うため、相当しんどい「頑張り」だったことと思います。

 

ちなみにこのような「ビリーフ」というものに普段は私たちは気づいていません。その代わり「悩み」として、次のようなものが意識されています。例えば、「疲れているのに休めない。休むことに罪悪感を感じてしまう」とか、「仕事や家事、育児について、やってもやっても達成感が得られず、周りが楽をしている、あるいは、上手くやっているように見えて、うらやましくてつらい」といったようなものです。

 

 

さて、学校での上記のような経験を持ち、それによってできたビリーフを信じているAさんの、今回のテーマである「幸せ」に対する関わり方はどういうものだったのでしょうか?

 

 

例えば、恋愛や結婚についておっしゃるには、「私は選ばれない」と思っているので、「相思相愛なんて、はなっから自分とは関係がない」とまで思っていたと言います。そして、「たとえ、別れたとしても自分が痛くない人を選ぼう」というふうに思っていたそうです。

 

Aさんは、結婚、離婚を経られたのですが、頼ること(「お荷物な私」になること)を許していないので、本心や本音をさらけ出すことも難しい結婚生活だったと言います。

 

「本心でぶつかったときに拒絶されたら生きていけない、と思っていた」と、Aさん。

 

Aさんにとっては、「お荷物な私」だからこそ、痛くならない人を選んだのに、その相手にまで拒絶されてしまったならば、それは自分が「お荷物以下」になることを意味しますので、そうならないように、決して好ましくはないけれどもせめて「お荷物」のレベルは最低限キープしようという動きになるわけです。

ですから、実際の夫婦関係では、夫婦間のやり取り、交流というのも最小限にして、できるだけお荷物のレベルから落ちてしまうリスクを避けよう、ということにもなってきます。(意識上に出てくる思いとしては、「二人でいても、上っ面な関係な感じがしてモヤモヤする。二人でいる意味があるのか?と思ってしまう」といったものであり、「私はお荷物」というビリーフに基づいての振る舞いや対応をしている結果である、ということには無意識です。

 

 

ちなみに「私はお荷物な存在」、「頼れるのは自分しかいない」という思いで突き動かされているAさんにとって、孤独感、孤立感、寂しさを抱え続けながら、頑張り続けるのはしんどくなります。どこかで息抜きをしたいという欲求もでてきます。息抜きが、「ネット動画を観ること」ということになっていたということです。頑張れば頑張るほど、この息抜きは手放しにくいものになってしまうでしょう。

 

 

この方が本当の意味で、疲れや、無理な頑張りをするということから解放され、生き方を信頼をベースにしたものに変換していくには、「その人の基準でしか自分を見てらもらえない」というこの方の世界観から抜け出す必要があるでしょう。

 

そのためにはどうしていったらよいのでしょうか? 今回のシリーズ最後に書いていきたいと思います。

 

 

今シリーズの次回では、「悪いことをした私は幸せになってはいけない」というテーマのケースを書いていきたいと思います。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき ~ビリーフを生きる私たち~ #1 ケースA「幸せは長続きしない」

2022年5月16日

今回からは、シリーズで「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき」というテーマでいくつかのケースを見ていきたいと思います。

 

というのも、先日、ある方と話をしていて、その方のお母さんのお話を聞く機会がありました。そのお話は、この方のお母さんは幸せになることを選べないでいたのではないだろうかと感じるお話だったからです。

それを聞いて、私たちは頭では幸せになりたいと願っているけれども、それをどこか選べなかったり、幸せになることを自分に許していないことがあるなぁと思いました。
ということで、これから数回にわたって、そうしたケースについてご紹介しながら、どうしてそのようなことが起きるのか、心の仕組みやビリーフという観点から読み解いていってみたいと思います。

 

婚約破棄をされたお母さんの結婚生活

第1回のケースは、前述のお母さんのケースです。

この方のお母さんには婚約をしていた方がいらしたそうです。お相手の方とは、相思相愛のもとの婚約だったそうで、お母さんは、「婚約が決まった時、亡くなった両親の仏壇に手を合わせながら、『幸せだなあ』と初めて感じた」そうです。ところが、その婚約が、突然破棄されるということが起きます。その理由は、相手の方に別に好きな人ができたからというものでした。そうした話を、その方は大人になってからお母さんから聞いたそうです。

 

その後、お母さんがお見合いで最終的に結婚相手に選んだ方(つまり私がお話をしていた方のお父さん)は、耳に障害がある方でした。

しかも結婚相手となったお父さんは耳の障害だけでなくいくつかの持病も持たれていたために、時に癇癪を起こしたり、感情のコントロールが難しい方だったようなのですが、お母さんはお父さんがどんなに理不尽な行動をとっても、ひたすら我慢して、家族の間に入って仲を取り持つ役目をされていたそうです。

 

また、結婚生活や子育てをしていく中で、このお母さんは、着飾ったり、パーマをかけたり、お化粧をすることや、何か贅沢をすることは、あまりされなかったそうです。

 

このお母さんのビリーフと、ビリーフからとる行動

お母さんが目の前にいらっしゃらないので、本当のところはわからないですが、このような生き方をされたお母さんが持っていたビリーフはどんなものだったのだろうかと思いをめぐらせてみたいと思います。

ビリーフは、私という存在を形成し、そして私たちの解釈や判断、行動に影響を与えるものなので、お母さんが実際にとられた行動や対応、生き方から、お母さんが持っていたであろうビリーフを想像することができるからです。

 

このお母さんは、小さい頃に生みの親を相次いで亡くされ、継母に育てられたそうです。そうしたお母さんが経験した体験や環境からも、このお母さんには「人は去っていくもの」「幸せは長続きしないもの」というビリーフがあると考えられます。それが、婚約が破談になったことで、「やっぱり人(幸せ)は私から去っていく」「やっぱり幸せは長続きしないものだ」とビリーフが強化され、さらに深く刻まれたのではないかと思います。

 

では、こうしたビリーフを持っていると、どんな行動を取るのでしょうか?

 

私たちはビリーフに則った生き方をしますので、上記のような経験やそれによるビリーフがあると、幸せを感じるということに対して臆病になったり、怖れたりするようになっていきます。その結果、頭では幸せになりたいと思っていても、幸せになるために積極的に人生の中でのチャレンジ、挑戦というものがしにくくなったり、そういったものを遠ざけたり、最初からあきらめるということをし始めます。期待が裏切られた時のショックを和らげ、自分を守るために、全体的に、自分や人生に期待しないという態度で自分の本心や本音を出さないように処理をしようとすることも同じしくみです。

 

 

 

また、こうしたビリーフを持っていると、無意識に人が去っていかないように行動することも考えられます。その結果、その人を繋ぎ止めるために、自分より人のことを優先しがちになるかもしれません。

 

 

このお母さんは、「継母に育てられた中で、精神的、経済的な負担をかけないようにと、日ごろから遠慮をしたり、必要以上に我慢をしていた」そうですが、こうした行いになったのも、また、結婚生活で理不尽な夫に我慢し続けたのも、そもそもそういう人と結婚したことも、上記のビリーフが関連していることが推察できます。

 

その方は、お母さんがお父さんを選んだことも「母に確認したわけではいし、母の中で、意識的か無意識的かはわからないけれども、『この人なら自分から去っていかないだろう』という人を選んだのではないだろうか」と話してくれました。

 

 

 

次回は、この「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき ~ビリーフを生きる私たち」のシリーズの続きで、「私は幸せとマッチしない」というケースについてご紹介したいと思います。

 

またシリーズの最後には、どのように信じているビリーフ、思い込みから自由になっていくのか、その回復の道についても触れていきたいと思います。

 

 


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すごく疲れているのに、弱音を吐けない

2022年3月31日

今回は、すごく疲れているのに、弱音を吐いたり、助けてほしいと表現することができないというテーマです。

私たちは時に自分が感じていること、思っていることを表現してはいけない、出してはいけないと我慢してしまうことで、つらくなってしまうものです。

その状態から楽になっていくには、「頑張って表現していきましょう」ということではなく、どうして表現することが難しいのか、出しにくくさせているのは何なのか、の理由を理解していくことです。

 

Aさんは、2年前に離婚し、小学生の息子さんと実家に戻り両親と生活を送っている女性です。
パートをしている間、お子さんの面倒をみてくれている母親が最近体調がすぐれず、検査入院を繰り返す状態が始まりました。そんな中Aさんには、疲れがたまってきて、気分がふさぎ、眠れないなどの状態になっているとのこと。「疲れがとれずしんどくて、休みたいのだけれど、家のこともあるし・・・」と重たい体をひきずるようにして仕事に行ったり、母親の病院への付き添いや家事をこなしています。
 
最近は、これ以上母親の状態を見るのがつらくなってきて、いっそのこと家を出ようかという考えまで出てきてしまうのだそうです。一方でそれは母親を見放す感じがしてそれもできない、一体自分はどうしたらいいのかわからなくなっているというのです。

 

感じていることにフタをすると起きること

私たちの本来の自然な状態とは、基本的に自分が感じていること、思っていることをきちんと自分が受けとめ、それらを表現できている時のことを言います。嬉しさや喜びを感じているときに、それらを表現できるととてもすっきりとして気持ちがよいものです。それと同じで、辛さや悲しさも、表現できるのが自然な状態です。このAさんの場合、「自分が疲れている、今は休みたい」などの思いを表わすことが、本来の自然な状態です。

 

ところが、Aさんは、そうした気持ちを素直に表現することができません。それどころか、そうした気持ちを感じていないように、その事実に蓋をしているのです。

 

すると、徐々に誰も理解してくれないといった怒りや不満、孤立感が出てきたり、自分を責める思いや後悔の念が出てきます。Aさんの場合は、離婚したこと、結婚したことを悔いるということも起きます。フタをして抑圧した思いは、ある時に一気に爆発することがあります。相手にあたってしまうとか、急に人間関係全てを切りたくなるということがあると思うのですが、それはこのフタをしつづける状態が続く結果、起こることのひとつの例です。

 

このように自分が感じていることを抑えることは、ある意味自分自身との断絶でもあるので、それがひいては、他者や世界との分断も深めてしまうということにもつながっていくのです。

 

 

また感じていないようにするには、本当の気持ちを抑圧しておくための相応の力やエネルギーを要します。フタをすることにエネルギーを使い続けるので、私たちの中には、疲れがたまってきます。しかしそれをも抑圧するのです。その結果、気力がなくなる、やる気が起きなくなる、鬱っぽくなる、眠れないなど、心や体にも影響が出てきます。生命力を閉じる方向へ向けさせるので相当つらい状態に陥っていくのがわかるかと思います。今まさにAさんが直面している状態ですね。

 

そして、上記のような状態になってまでも感じていることを表現してはいけないのは、何らかの理由がある(何らかのビリーフをすごく信じている)、ということでもありますね。

ですから、この理由の部分を理解していくことが、楽になっていく道すじである、ということもわかるかと思います。

 

フタをしないといけない理由をみてあげよう

私たちが本当は感じていることにフタをする時、それはどんな時でしょう?

 

例えば、
・遠慮があるとき
 
・(もう傷つきたいくないので)自分や相手に対して期待することをあきらめているとき
 
・引け目や負い目があるとき
 
・自分が表現できる立場にない、表現するに値しない(存在だ)、など自分を低く見ているとき
 
・相手が強く見えたり、怖く見えているとき

 

このようになっている時、自分の感情を押し込めてしまう、言わないでおいてしまうなどが起きるのではないでしょうか?

 

Aさんの場合:「頑張らないと両親の愛情をもらえない」

Aさんは言います。

「離婚して実家に戻ったことをすごく責めていました。
小さい頃から他の兄姉に比べられて育った私は、いつも、兄姉たちに負けないようになんとかして親の関心をひくように頑張っていました。末っ子の私はなにかいつも愛情をもらえていないような気がしていたものです。
 
そんな私が結婚生活がうまくいかなくなって、実家に世話になることは私にとっては『人生に失敗した』とまで思える出来事であり、兄姉の中でも『やっぱりダメな子』ということを実感しないといけない体験でもありました。
ですから、実家に戻ってからの生活では、なるべく両親に迷惑をかけないように、両親の思いをかなえてあげなきゃと努めて生活をしていました。なのに、親孝行をしようと思って頑張ってきたのに、今母がこんな状態になってしまって……。」

 

Aさんには、「末っ子の私は、頑張らないと、愛情を与えてもらえない」といった思いがあり、だからこそ、愛情をもらうためにも、「いい娘であろう」、「親に誇らしく思ってもらえる子であろう」と頑張らないといけませんでした。子供の頃からある意味自分を鼓舞しながら生きてきたのです。

 

そのAさんが今回離婚をして、実家に戻ってきたわけですが、それは「人生の失敗」という言葉が象徴するように、「愛情をもらえなくなる私になってしまう」ことを意味し、Aさんにとっては脅威となります。

 

ですから、実家にいても、「ダメな娘」にならないように、無意識に仕事や家事、両親の面倒をしっかりやる、という動きへと駆り立てられるのです。ですが、「愛情を他の兄姉よりももらえない私」と信じている限りは、やってもやっても達成感を感じられませんし、もし誰かがほめてくれたりしたとしても自分の中には響いてもこないでしょう。
そしてもちろん、どんなにしんどくても、どんなに疲れていても、「疲れた、休みたい」と言うことを自分に許すことはできないのです。

 

このような状態の中で、母親の検査入院という出来事は、「ダメな娘」を証明しないようにしないといけない場となるので、Aさんはますます頑張らないといけなくなるわけです。これではますます疲弊が進むため、Aさんが「もうお母さんの状態を見たくない」と思ったり、「もう家から出ていきたい」という思いがでてくるのも理解ができますね。

 

 

フタをしなければいけない理由が見えたら

このように、Aさんがどんなに疲れていても、弱音を吐けないのは、「末っ子の私は、頑張らないと、愛情を与えてもらえない」というビリーフ(またそういう私であるというセルフイメージ)からだ、ということがわかりました。

Aさんが本当に楽になっていくには、「末っ子の私として愛情をもらえる私になる」ことではなくて、Aさんが「このままで存在していても大丈夫なんだな」と思えることですね。

 

ちなみに、これまでに記事でも書いてきていますが、ビリーフやセルフイメージは、経験や刷り込みによって作られた思い込みでしかありません。思い込みなのですが、あたかも本当であるかのように思えるのは、感情―感覚―思いが伴うからでした。
ですから、この思い込みから自由になっていくには、信じるに至ったどんな経験があったのか、そこで何を感じていたのかを問いかけたりしながら、感情―感覚―思いの解体、解消をしていくことです。

 

そして、実体のない思い込みがはがれていけば、自分が信じていたビリーフを怖れ、そのビリーフから逃げる必要がなくなります。そうすると、必ず、Aさんらしい、Aさんの存在やこのままでいいんだなという自分から自分への信頼、安心感も感じることができていきます。

周りの評価や賞賛を得るために動く必要がなくなるので、我慢や無理がない実家での生活や純粋にお母さんを想っての愛あるサポートができるようにもなるでしょう。

 

 


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夫、妻、パートナーの厚意を素直に受けとれないのはなぜ?

2022年2月25日

誰しも、パートナーシップについては、なんでも言えたり、自分の素を見せることができたり、不満がない、風通しのよい楽な関係というものを望んでいると思います。

ところが、そうなれずに苦しんでいる例も少なくありません。

 

今日取り上げるのは、パートナー(夫、妻)が家事を手伝ってくれるが、それをイヤイヤやっているのではないかと思ってしまう、そのまま素直に受けとれない、というテーマについてです。

 

Aさんは、結婚して7年。夫の転勤で引っ越した地方での生活にも慣れ、共働きしながら小1の男の子を育てているお母さんです。夫とは同棲を経て結婚をしたという経緯もあることから、それなりにお互いの好き嫌い、スタイルを把握しているつもり……と思っているのですが、夫がテレワークが多くなり、以前よりも家事に参加してくれるようになったのに、なぜか気が重くなってしまい、何もしてくれない方がいいとまで思ってしまいます。
 
例えば、夕飯を作ってくれたりするのですが、仕事と家事を両立したいAさんにとっては、とても助かるはずなのに、心のどこかで「夫は、本当はやりたくないのに無理してやっているのではないか」といつも顔色を窺ってしまうのです。特に、率先して黙って動いてくれるとなおその思いが強まって、本当は怒っているのではないか?とさえ思ってしまい、夫に対する態度もぎこちなくなってしまいます。
 
家事や育児に参加してくれるのだから恵まれていると思えばいいのに、そんな風に思えないことに自分でも不思議で、一方で感謝できないなんて、「なんて自分は傲慢なんだろう」と自分のことを責めてもいます。

 

「楽な関係」と「自分をどう見ているのか?」のこと

相手との関係性で「楽な関係」でいられることと、自分が自分をどう見ているのかは密接につながっています。

楽な関係とは、変な遠慮がなかったり、お互いに尊重しあったりができている関係ですので、それぞれの主張や意見、選択に対して自由でいることを認め合える関係であるいう言い方ができるかと思います。そして、お互いに自由を認めることができるのは、自分の中に怖れがなく、心の中の相手と自分との間が「対等な状態」にある時に、それが可能となります。

つまり、心の中で、どちらかがどちらかの上や下になっていない状態なのです。

たとえ、年齢や地位や、収入などに違いがあったとしても、存在の価値としては、上とか下とかがなく、自分が自分で立っている感覚がある状態のことを指しています。

 

ところが、対等とは感じられない状態、たとえば自分が相手よりも下の存在、小さな存在、と思っているときは、私たちは思いと感情や感覚を同時に経験する存在なので、怖れや不安、無力な感じをもれなく感じています。

 

この「自分は下だ」という思いやそれに付随する感情があると、関係性の中では次のようなふるまいや思いが現れてきます。

 

・「私にはできないからあなた・君が、やって」になる。
 
・自分で決められない。
 
・相手の意見や意向が気になる、またそれに従う。
 
・評価されたり、ほめてもらえないと不安になる。また、そのためにすごく頑張る、無理をする。
 
・承認が欲しくなって、相手をためしたくなる。
 
・自分が何ができたかよりも、相手が自分のためにどれだけやってくれたかが大事になる。また、それを自分の価値と結びつける。
 
・相手からの厚意、評価に自分が見合わないと思っている、好意的に受け取れない。
 
・相手からの厚意や評価をそもそも受けられると思っていない。

 

また、相手より自分が上の・大きい存在だと示したくなる形で現れることもあります。

しかしながら、自分を相手より大きく見せておかないといけないと感じる時は、実は自分のことを下と見ている時です。自分を小さな存在と信じていなければ、そもそも大きくみせる必要はないのですから。

そんなときは、次のような振る舞いや思いが現れてきます。

 

・相手に対して、高圧的・支配的になる。
 
・自分の思い通りにしようとする。
 
・問題が起きたときに、問題改善や解決のための実務的な方向に動くのではなく、誰のせい、何のせいといった犯人探しをして自分の不安や怖れを紛らわそうとする。

 

このように、「自分は下だ(上だ)」という思いとそれに付随する感情は、自分や相手を歪めて捉え、結果、「楽な関係」から遠ざけていってしまいます。

 

 

「私は下だ」を信じ込ませるもの

本来は、人は、存在の価値として、対等である、というのが、ベースです。

ですが、下記のような価値観、社会常識、刷り込み、過去のトラウマ経験などは、自身の存在価値や自分をどうみるのかに大きく影響を及ぼします。なぜなら、これらの価値観などがセルフイメージの形成や、またそのセルフイメージを持つことへの否定と関係しているからです。

 

・価値観(「妻(夫)とは・・・」、「40代の大人とはこうあるべき」)、

・社会常識(「人に迷惑をかけない方がよい」、「卒業したら就職するのが当たり前」)

・家庭の中で刷り込まれたもの(「働かざるもの食うべからず」、「料理は得意な方がよい」)

・過去のトラウマ経験(家庭、学校、友人関係での経験など)

 

これらが自分に力を与えてくれるものであれば問題はないですが、これらがないと、あるいはこれがある限り、私は一人ではやっていけない、自分の存在意義はこれらによって決まる、と思い込んでいる場合は、自分の力を弱めてしまいます。弱まった自分、自分らしさを失った状態で、夫婦関係、パートナーシップを築いていく、となった場合、そこで「対等な関係」を、とはなりにくいでしょう。

 

 

自分を相手と対等と思えなくさせているものを見つける

ここで、今回取り上げているケースに戻ってみましょう。

 

この方は、「お前は秀でたところがないのだから、せめて、うちのことはできるようになりなさい」とかなり厳しくしつけられて育ったそうです。この刷り込みによって、この方にとっては、「どれだけ家事が上手くできるのかどうか」というのが、自身の価値を決めることになっていました。(ちなみに、この方のセルフイメージは、「私は欠点だらけ」というものでした。)「家事がちゃんとできるかどうかが、私の欠点をどれだけカバーできるのか」ということになるので、すごく頑張ることになったりするわけです。

 

夫が料理をしてくれるようになることは、この方にとっては自分の欠点をカバーできる機会がなくなるということを意味しますので、「欠点だらけ」を突きつけられる感じがして、結果気が重くなる、ということが起きていたわけです。

 

この方にとって「私は欠点だらけ」が自分を表す真実になっていて、これが自分にとって引け目を感じる部分になります。夫婦関係の中でも、この負い目、引け目によって、自分は弱められたまま、力を奪われた状態になってしまいます。

ちなみに、自分の中に負い目、引け目があると、相手が単に手伝ってくれているだけでも、無理をして(手伝ってくれて)いるように(無理をさせているように)見えたり、自分が責められているように感じてしまうという風に作用します。この方の場合は、「料理もダメ→何をやってもダメだね」と感じてしまう。まさに、「私は下」という世界ですね。

 

このように、セルフイメージと「私は下だ」という自分の見え方とは関係があること、そしてそこには価値観や体験からの刷り込みが作用している、ということです。

 

「対等」の回復に大切なこと

さて、それではどうやって「対等だ」と思えるようにしていけばよいのでしょうか?

このブログでいつも言っていることですが、決して、「欠点がない自分になる」方向ではありません。そうではなくて、「欠点がある自分」という思い自体から解放されることが大切です。なぜなら、「欠点がある」ということ自体が、そもそも客観的事実ではなく、その人の解釈でしかないからです。

ですから、「対等」の回復には、どうしてこの思いを持つに至ったのか、どんな体験があったからなのかを理解し、またその体験の中で何を思い、感じていたのか、に気づいていくということです。

 

例えばこの方の場合、親に厳しく言われていた時に色々感じていたこと、したかったのにできなかったこと、言いたかったのに言えなかったことなどがあるはずです。それらに自ら耳を傾け、共感し、未解消の感情を解放していってあげることで、「欠点ばかりの私」という思いこみが解体され、この方本来がもつ“らしさ”、力、輝きが自ずと立ち現れてきます

 

怖れや不安がない、ありのままの自分から見える世界は、「対等な世界」になってきます。

そうすると、家事を手伝ってくれる夫の厚意を素直に受けとれるようになり、感謝の気持ちも自然と湧いてくるでしょう。また、これまでは自分の欠点をカバーするための義務のようであった料理も、純粋に好きだと思えるようになるかもしれません。

二人の関係は愛をベースに、尊重や思いやり、信頼が循環しているものとなるでしょう。

 

 

 


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苦しみを解決するには感情をみてみよう! その2 思い込みやビリーフの解体に必要なこと

2022年1月28日

前回の記事では、苦しみから解放されるには、「能力がある自分になる」「繊細でない私になる」という方向ではなく、どうして私は「能力がないとダメだ」「制裁だとダメだ」と信じているのか? どんな経緯、理由があったのか? を自身が理解していくことがカギとなる、ということから、まずは、私たちの中になぜこのような思い込みやビリーフが生まれるのか、その仕組みを見ていきました。

 

私たちの思い込みやビリーフは、体験を通して形成され、その体験の中にあるものは、思いや感情、感覚、ストーリー、イメージなどとともに客観的な判断をされることなくダイレクトに潜在意識へと埋め込まれていくものであることを、発達の観点や脳波との関係からも理解していただけたかと思います。

 

 

今回は、いよいよ、その思い込みやビリーフが自分を苦しめている場合、どうやってその思い込みやビリーフから自由になっていくのか、それをみていきたいと思います。そのために、体験の中にある思い/解釈や感情、感覚、ストーリー、イメージをどのように解体していくのかについて、【感覚―感情―思い/解釈】の関係を紐解きながら解説していきたいと思います。

 

ビリーフを構成する【感覚―感情―思い/解釈】

ビリーフは、経験した事実に対しての、感覚、感情、思い/解釈が合わさってできています。

前回の両親が不仲の家庭の例で考えてみましょう。例えば、自分の目の前で、お父さんがお母さんに対して「〇〇と言っている」。それに対してお母さんが「△△だと言った」、という状況に対して、子供は、ビクビクし(感覚)恐怖感(感情)を感じながら、「お父さんとお母さんが喧嘩している」(思い/解釈)ととらえながら見ます。

 

これらの感覚―感情―思い/解釈の発動は瞬時に、そして同時に起きています。このビクビク(感覚)―恐怖感(感情)―両親が喧嘩をしている(思い/解釈)から、例えば、「世界は安全ではない」といった思い込みや、「自分は守ってもらえない存在」といった自分への解釈/セルフイメージを持つに至っていくのです。

 

ちなみに、物事をとらえる際に、私たちは、体感型、感情型、思考型といった風に優位に働くチャンネルの違いがあり、どれが優位に働くかのタイプの違いによって、思考よりも感覚を先に感じるとか、思考で捉えるのが先など、感じ方の順番の違いが生じます。とはいえ、基本的に事実や状況に対して、感覚―感情―思い/解釈が同時に起こり、捉えている、というのは共通です。

 

 

このように、ビリーフの形成には、経験した事実に対して、その状況に対するセットで起こる【感覚―感情―思い/解釈】が関係している、ということです。

 

【感覚―感情―思い/解釈】の関係

思い/解釈を強める感情、感覚

次にこのセットの中の【感覚―感情―思い/解釈】の関係について、考察をしてみたいと思います。

 

私たちが感動したり、楽しさや充足感を感じたりしている(た)時、あるいは、ショックを受けたり、傷ついたりしている(た)時、これらには必ずそれ相応の感情や感覚の量が伴っていないでしょうか? ポジティブ、ネガティブ関わらず、心が動いた、心に残っている(った)というものは、その時に感じた(ている)感情や感覚が共にあるはずです。

 

私たちが、状況をとらえるときに起きる、【感覚―感情―思い/解釈】のセットですが、このセットの中の感情や感覚が大きいと、思い/解釈は、比例して真実味が強まります。

例えば、何かの演奏を聴いてものすごく胸が熱くなったり、鳥肌が立ったりして感動すると、「この演奏は素晴らしい」という思いになるでしょうし、両親の会話から怖さや恐れを感じると、「両親が喧嘩をしている」という思いを持つでしょう。逆に、高揚感をあまり感じていないときに「この演奏は素晴らしい!」とはならないでしょう。

また、いくら頭で「そんなことはないだろう」と納得しようとしても、どうしてもある考えから抜け出せない、という経験が誰しもあるかと思います。これも、感情や感覚が大きいために、思い/解釈を変えることが難しいことの例です。逆に言うと、この感情や感覚の量が減ったり、解消したりできれば、無理なく、自然に、この思い/解釈が変わるということです。(これを「認知のシフト」と呼びます。)

 

ちなみに、「量」という表現を使っていますが、怖さと悲しさなど様々な「種類」の感情や感覚が伴うことも含みます。様々な感情や感覚があることきも、思い/解釈の真実味は強まります。

 

つまり、私たちが状況をとらえる時には、【感覚―感情―思い/解釈】がセットで動き、その中で感情や感覚の量や種類が多いと思い/解釈の真実味が強まり、ひいては、そこから持つことになる思い込みやビリーフをあたかも真実かのようにさらに信じていく、という流れ、つながりになっている、ということです。

 

思いと感情と感覚は、栄養を与え合う

【感覚―感情―思い/解釈】の関係について、世界的に有名な精神的リーダーであるエクハルト・トールは、その著書『ニュー・アース』の中で、思いと感情と感覚との連動作用の観点からも述べています。

 

「思考と不可分なものとして、もう一つのエゴの次元がある。感情だ。・・・・(中略)・・・身体は頭の中の声が語る物語を信じて反応する。この反応が感情である。そして今度は感情が、感情を生み出した思考にエネルギーを供給する。これが観察も検討もされない思考と感情の悪循環で、感情的な思考と感情的な物語づくりにつながる」(『ニュー・アース』サンマーク出版、p.147)

 

 

例えば、ある人に「これ知ってる?」と言われたとき、「あの人は私をバカにしている!」という頭の中の声を信じている(思考)と、怒りや辱めを受けたような反応(感情や感覚)が起き、これらの反応がさらに自分の頭の中の声を信じ込ませて、「ほら、やっぱり私をバカにしている!」とさらに自分のストーリーにはまっていってしまう、という状態のことです。

 

このように、感覚、感情、思い/解釈は、お互いに連動して、栄養を与え合う、という性質があるのです。これが、ポジティブな場合はよいのですが、ネガティブな連動の場合は、相当苦しくなってしまいます。ですから、思考と感情、感覚の連動作用を緩やかなものにして、悪循環にならないようにしていくことが、苦しみから抜けるカギの一つである、ということもわかるかと思います。

 

 

このように、感情や感覚の量や種類が多いと思い/解釈の真実味を強めること、感覚―感情―思い/解釈はお互いに連動して栄養を与え合う、ということからも、苦しいビリーフ(解釈)を形成する【感覚―感情―思い/解釈】のセットの解体には、感情、感覚にアプローチしていくことが大切だ、ということが見えてくるかと思います。

 

感覚や感情を解放するには体に働きかける

それでは実際に、感覚、感情にはどのようにアプローチをしていけばよいのでしょうか?

 

私の行っているセラピーでは、【感覚―感情―思い/解釈】が発動している「体」そのものに働きかけることを行います。なぜなら、何かの体験をするとき、私たちは体(頭も含む)を通してそれを体験しているからです。例えば、両親の言い合いの状況についての、ビクビク(感覚)―恐怖感(感情)―両親が喧嘩している(思い/解釈)のセットは、体がなければ何を感じ、思っているかがわからないはずです。

 

体が感覚を感じる媒体であることは、わかると思いますが、体と感情とも、密接な関係にあります。

このことは、私たちの感情と姿勢の関係を考えてみるとわかりやすいと思います。

例えば、嬉しい時は、自然と笑みが出て飛び回りたくなったり、小躍りしたくなったりし、 一方で、悲しい時は、肩が落ちたり、うつむきかげんになったりするといった具合です。逆に、下を向いて背を丸めて嬉しさを味わえといっても、なかなか難しいですし、小躍りしながら悲しさを感じろといっても、これも難しいと思います。

また、例えば、災害のトラウマなどがある場合、頭ではもう終わったことだ、時間がたったのだから、と思っていても、本当の意味で解決していないのは、「それはもう終わったこと」「自分はもう大丈夫」といった新しい思い/解釈を持つための体の感覚や感情が伴っていないからだと考えられます。

 

 

このように、苦しみを生み出している思い込みやビリーフがあればあるほど、感覚や感情を解放するために、体に働きかける必要がある、ということが、このことからもわかるかと思います。

 

そのために、私の場合は、体の所定の経絡(つぼ)をトントンと刺激しながら、感覚や感情を解放し、【感覚―感情―思い/解釈】のセットの解体ができるEFT(Emotional Freedom Technique:感情解放のテクニック)というセラピーを使用したり、EFTの発展型のマトリックスリインプリンティングという療法も使用しています。

 

現在、多くの心理療法が開発され、利用することができる環境になってきていると思います。

 

その中で、私たちが苦しくなるときに、

 

・苦しみをもたらす思い込みやビリーフは体の奥深くにある
 
・思い込みやビリーフは、【感覚―感情―思い/解釈】のセットによって成り立っている
 
・感情、感覚の量や種類の多さが、思いを強めたり、連動してストーリーへと発展させていく

 

という仕組みがある、ということをベースに、体に働きかけながら、思い込みやビリーフを形成している【感覚―感情―思い/解釈】のセットにアクセスでき、感情や感覚を解放、変容できる療法を選んでいくとよいでしょう。

 

解体のプロセスは自分への愛

今回は、その1,その2と二部に分けて、苦しみとなる思い込みやビリーフをどのように解体していくのかについて解説してきました。

 

解体のプロセスは、気づいていなかった感覚、感情、思い/解釈に気づいていく、理解していくという、自分へと向けられる愛がベースになっているとも思います。

私たちは、苦しい時ほど、「能力のある私になる」や「繊細でない私になる」といった外に求める方向、言い換えるとさらに自分を痛めつける方向に行きがちですが、上記の自分の内側を見るという自分へ愛を向けることをベースにして、自分がなぜ信じてしまっているのか、どんな経験があったからなのか、それらの中身(【感覚―感情―思い/解釈】のセット)は何なのかを、自分がまず自分の理解者になる方向で、自分に向き合っていってあげたいですね。

 

ビリーフから生まれる悩みと実際のセッションではどう扱うのか?
 

ちなみに、思い込みやビリーフ、例えば「私は能力がない」、「私は醜い」、「私は嫌われ者」、「私は繊細」などというのは、潜在意識の深いところにあるので、普段は気づいていません。そして、悩みとして表れる時には、「嫉妬してしまう」、「比較が走ってつらい」、「みんなが私を受け入れてくれない(他者ばかりが受け入れられているように思える)」、「いつも自分でいられなくなる」などといったようなものになります。

 

ですから、悩みから解放されるためには、悩みを生み出すコアな思い込みやビリーフを見つけていく必要があります。そのためには、潜在意識にアクセスするために、前回の記事でも書いた心の階層を下りることを可能にする「気づきの問いかけ」を使ったり、体に働きかける心理療法(セラピー)が必要となるのです。

 

 


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苦しみを解決するには感情をみてみよう! その1 思い込みやビリーフはどう作られるのか

2022年1月12日

前回の記事では、自分の中に自己否定があると苦しむメカニズムについて見てきました。今回は、さらに一歩進めて、そのメカニズムで大きな役割を果たす「思い込み」や「ビリーフ」について、見ていきます。

 

自己否定で苦しむメカニズム

前回の記事では自己否定は、自分がよしとしない思いや感情を自分が持っていること自体を受け止めたくないために起きるということをお話ししました。

 

自分にとって持っていたいか、いたくないか(否定するかしないか)は、これも、以前の記事で書きましたが、私たちの中に根源的に死への怖れがあるため、どれぐらい死への怖れが刺激されるか、によって決まるのでした。例えば、「私は能力がない」、「私は醜い」、「私は嫌われ者」、「私は繊細」などという思い込みやビリーフがあったとして、これらが生き残りの可能性を低めると解釈されると、持っていたくないものになる、否定したいものになる、というわけです。

 

ある人は、「私は繊細だ」という思いがあっても、あまりネガティブにとらえていないのに、ある人にとっては、とても否定的に響いてしまう、という違いがあるのは上記の怖れが刺激される度合いの違いなのです。

 

「私は〇〇だ」という思いが人によってとらえ方、響き方が違うということは、これは、絶対的なものではなく、「能力がない」「繊細だ」といっても何をもって「能力がない」「繊細」というのかも人によって違うでしょうから、私たちは、それぐらい、相対的で、非常にあやふやなものを信じていると言ってもよいかと思います。

 

ですから、苦しみから解放されるには、「能力がある自分になる」「繊細でない私になる」という方向ではなく、こんなに相対的であやふやな思い込みであるにもかかわらず、どうして私はそれを信じているのか? どんな経緯、理由があったのか? を自身が理解していくことがカギとなります。

 

そこで、今回は、まずは、私たちの中になぜこのような思い込みやビリーフが生まれるのか、その仕組みを見ていきたいと思います。

そして、その仕組みがわかれば、どのように思い込みやビリーフを解放していけばよいのかについても理解ができます。一緒に見ていきましょう。

 

体験を通して作られる思い込み、ビリーフ

私たちは、自身が経験したこと、見たこと、聞いたことなどを通して、思い込みやビリーフを形成していきます。
子供から、大人へと成長していく過程の中で、私たちを取り巻く家庭や学校の環境での体験、友人・交友関係での経験、社会にある常識や価値観などが、私たちの思い込みやビリーフの形成に影響を及ぼします。

 

子供時代というのは、家庭や幼稚園、保育所、学校での生活というのが、子供の世界の大半を占めている時期であり、様々な情報や価値観、世界観に触れられる機会が少ない時期です。そのために、起きた事柄への判断が客観的にできにくく、誤った解釈、認識などもストレートに信じこんでしまう時期とも言えます。

 

例えば、両親の間でのケンカが絶えないなど、家庭の雰囲気がピリピリした中で育った場合、安心安全の感覚が養われないままとなり、「社会は安全ではない」といった思い込みや、親が不仲なのは自分のせいだと思いこみ、その結果、「私は愛されない存在、いらない子」といったビリーフ(セルフイメージ)を持ちやすいことになる、ということです。もし、虐待やニグレクトがあった場合など、ビリーフ形成にどれだけの影響があるかは想像に難くないでしょう。

 

それに加えて、特に発達の段階では脳波も大きく関与していると言われています。
私たちの脳波ですが、4つの状態に分けられ、通常の状態は、ベータ波。リラックスしている時は、アルファ波が出ています。瞑想状態や浅い眠りの時はシータ波で、深い眠りの時の脳波はデルタ波です。

 

私たちが生まれてから6,7歳までの脳波は、
生まれてから2歳までは、主にデルタ波と言われ、2歳から6,7歳にかけてはシータ波が増えてくる時期と言われています。
つまり、6,7歳までの期間、デルタ波とシータ波が占める子供の脳は、催眠状態のようにあらゆる情報を吸収し、刷り込みや主観的にとらえた信念や考えを潜在意識にダイレクトに蓄積していくのです。

 

このように、6,7歳までの時期と思い込みやビリーフ形成には、深い関係があることが理解できるかと思います。

 

思い込みやビリーフを形成する体験の中にあるもの

思い込みやビリーフは各自の体験をもとに形成されるということを考えると、「私は愛されない存在だ」という一見同じビリーフを持っている2人の人がいたとしても、そのビリーフとともにある思いや感情や感覚、ストーリー、イメージなどはそれぞれ違うものである、と言えるでしょう。

 

前述の「私は繊細」というビリーフのとらえ方が、ある人はあまりネガティブにとらえていないのに、ある人には否定的に響いてしまうと書きましたが、それは、このように、このビリーフを形成した体験の中にあるものが違うためなのです。そして、体験の中の思いや感情、感覚、ストーリー、イメージが、死への可能性に近ければ近いと解釈されるほど、思い込みやビリーフは、苦しいもの、否定したくなるもの、持っていたくないものになってしまう、ということです。

 

このような仕組みがあることを踏まえると、私たちに苦しみをもたらすと思える思い込みやビリーフから自由になるカギは、思い込みやビリーフを形成した体験の中にある思いや感情、感覚、ストーリー、イメージを解体していくことなんだな、ということも理解できるのではないかと思います。

 

ちなみに、この記事内で挙げている「私は能力がない」、「私は繊細」、「社会は安全ではない」「私は愛されない存在だ」などの思い込み、ビリーフ(セルフイメージ)は、潜在意識の中にあるため、普段は全く気づいていません。
これらの思い込みやビリーフを見つけるために、心の階層を下りていきながら、これらを探ることができる問いかけ(「気づきの問いかけ」と言います)を使用しています。

 

次の記事では、どのように体験の中にある思いや感情、感覚、ストーリー、イメージを解体していくのかについて、思いー感情―感覚の関係を紐解きながら解説していきたいと思います!

 


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苦しみの根本の原因がわかると、本当に楽になる

2021年12月12日

私たちは、自分の中に自己否定があると苦しむ、というしくみを持っています。
基本的に不快な感情や感覚は感じたくないと思っていますので、ネガティブな思いや感情、反応が出ている時に、そんな自分を否定したり、バッシングしてしまいがちです。そして、それによりさらに苦しみが増す、ということになってしまいます。

では、こうした、ネガティブなや感情、反応がでたときに、抵抗したり、否定的に見ないでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?

まずは、私たちの心の仕組みを、詳しくみていきましょう。

 

 

私たちの心は構造的で論理的

みなさんは心のことってどんな風にとらえていますか?なんとなくふわっとしたものととらえている方も多いのではないかと思います。

ですが、実は、心は、この思いがあるから、この思いが生まれて、その思いに従うからこういう言動になる、といった風に、すごく構造的(階層になっている)かつ論理的なものなのです。

例えば、潜在意識で「私は人を不快にさせる存在だ」と信じていれば、「自分の主張はしない方が安全だ(主張は控えるべき)」といった思いが生まれ、主張や表現をしなくてもよいような、浅い人間関係を築いていく、という傾向になるでしょう。

ちなみに、こういう傾向の中ででてくる悩みの例としては、「人との関係が深まる感じになると怖くなってしまう」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」とか、「(こんな私と)つきあってくれた人のことがどうしても忘れられない」といったようなものです。

 

一方で、「私は受け入れてもらえる存在だ」と信じていれば、そこから生まれる思いや、その思いからの言動は、前者とは全く違ったものになることがわかるかと思います。

 

このように、心は潜在意識にある思い(ビリーフやセルフイメージ)から、顕在意識4%の部分へと階層的につながっていて、このビリーフやセルフイメージとマッチする形で、4%の領域に私たちの行動、判断、世界や人の見え方が表れるのです。

 

 

わかっていないから苦しい

その一方で、前回の記事でも書いたとおり、私たちは、4%の領域の思いや感情にしか気づいていないので、それらがどのビリーフやセルフイメージから生まれていて、どんな階層の思いで構成されているのかについてわかっていません。

つまり、「人との関係が深まる感じになると怖くなる」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」、「つきあった人のことがどうしても忘れられない」という反応についてはわかるのですが、どうしてそのような反応になるのかの本当の理由には気づけていないのです。

 

私たちは、基本的にわからないものに振り回されるというのは、非常に気持ちが悪いと感じます。

そこでこの気持ち悪さをなくしたいという思いが働いて、気持ち悪さを感じている自分に抵抗したり、否定したりする力が働くので、苦しくなってくるのです。

 

これは、言ってみれば、雨漏りで部屋が水浸しになっているから、雨漏りの原因や場所を特定して修繕をしないといけないのに、この物件を紹介した不動産会社に文句を言ったり、この物件を選んだ私がバカだったと自己憐憫に浸るばかりで、雨漏りの対処をせず、雨漏りがさらにひどくなって水浸しになっている(苦しくなる)、といったことと同じかもしれません。

 

苦しんでいる自分自身に優しくしてあげることができればいいのに、それがなかなかできにくいのは、こうした心の動きによるものです。

 

ですが、反対に、その苦しみの理由がわかれば、自分に影響を与えていたビリーフやセルフイメージは、振り回す力を失い、単純に「向き合う対象」へと変わります。雨漏りの原因や箇所が特定できれば、雨漏りが力を失うのと同じです。

 

スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分が何がほしいのかわからないものだ」と言っています。実際、自覚されていなかったものが、見えたときに、「あ~そうそう、これこれ!」とか、「そう言えばそうだったかも」と思って、妙に納得できたり、ストンと腑に落ちた感覚になった経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。

それと同じで、ネガティブな感情や反応が起きる本当の理由がわかると、自分の言動や動きがビリーフやセルフイメージに基づいたものだったということが理解できますし、そう理解できると、怖かった私、腹を立てていた私、忘れることができなかった私に対して、「だったらしょうがないよね」と自然と受容の気持ちが起きていきます。

 

 

ピンポイントの原因特定が苦しみからの解放につながる

このように私たちの心は、顕在意識4%の部分に悩みや反応となって現れる「潜在意識にある思い込み」(ビリーフやセルフイメージ)をピンポイントに解き明かせれば、これを変容させていけばよいのだな、とわかるので、落ち着くことができます。

 

では、心の階層的な構造を辿りながら、ピンポイントのビリーフやセルフイメージを見つけるためには、どうしたらいいのでしょうか?

 

それには、まず階層の一番上に出てきている4%のものに気づくことから始まります
自分の言動、反応、解釈に気づくことです。

例えば、捻挫の場合は、筋がどんな風にねじれたかがレントゲンなどでわかりますが、心は、心を映し出すレントゲンがないので、自分がレントゲンの目にならないといけません。

 

そして、「階層」を意識するということも大切です。つまり、「今この反応、解釈がでているけれども、ということは、何か前提としている解釈や思いこみがあるということだな」と立ち止まったり、「ということは、どういうことなのだろう?」という問いを立ててみたりすることです。そのことにより、心の下の階層へとおりていくことができます。

 

 

私たちは根源的にどんなものも赦している

「なぜ苦しかったのかの理由はわからないけど、なんとなくラクになりました」はもちろんよいですし素晴らしいことです。でも、本当の意味でラクになるのは、苦しみを生んでいた原因を見つけ、また、それをなぜ信じていたのかを理解できた時だと思います。

なぜなら、そうすることで、雨漏りの原因が取り除かれ、それが再び水浸しになることを防ぐことができるばかりだけでなく、雨漏りや水浸しという状況の被害者意識からも抜けだせるからです。

私たちは根源的にはどんなものも赦すことができるクオリティを持っているはずなのです。しかし、ビリーフやセルフイメージを信じることから生まれる怖れが大きいと、そのクオリティは見えにくくなっています。「どんなものも赦している」というクオリティへ至るには、「見つけ」、「理解していく」が大切になってきます。なぜなら、私たちの中にある怖れは、見つけられ、理解され、赦しや愛へと変容することをずっと待っているのですから。

 

 


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今の自分にOKが出せない理由

2021年11月19日

自分自身を振り返ってみても、私たちは、今の自分にOKを出すことが難しく、自分の足りないところを埋めようと、知識やスキルをつけようと懸命になったり、解決策を見つけようと必死になったりしがちです。でも、いくらそれをやってみても、本当の意味での安心感は得られません。
どうしてそんなことが起きるのでしょうか?そして、本当の安心感を得るには、どうしたらいいのでしょうか?

 

思い込みを強める「怖れ」の正体

たとえば、あなたが、「自分は気がきかない」と心の深いところで信じているとしましょう。

この思いを信じているあなたが仕事をする場合、どのような行動になるでしょうか?

 

・抜けがないように気をつけようとする

・機転がきく部下が気になってしまう

・全ての仕事の依頼を引き受けようとする

・困っている人がいないかいつも周りを気にしている……などをするかもしれません。

 

この行動へと向かわせるのは、潜在意識にある「自分は気がきかない」という思い込みです。思い込みなので、事実ではありません。事実は、「私がオフィスのデスクに座っている」「私が〇〇の仕事をしている」「私が△△のプロジェクトに関わっている」といったことです。一方で、こうした思い込みを信じ込む背景には、私たちが持つ「怖れ」の存在があります。この怖れの正体は、実は「死」なのです。

 

この「死」には、2つの種類があります。一つは「肉体の死」もう一つは「精神の死」です。肉体の死とは、文字通りに肉体を失うことで、現在の先進国では、動物に襲われたりすることはない反面、かなりの部分は経済的に食べられなくなってしまうことを指しています。精神の死は、仲間から受け入れられなくなったり、評価されなくなり、自分の存在価値がなくなったと感じて精神的に死ぬことを意味します。

 

気がきかない、ということは、仕事を失って稼げなくなって肉体的に死ぬことにつながりますし、役に立てず、評価を失って精神的にも死ぬことにつながります。ゆえに、気がきかない状態から脱出したい、そう思われることを避けたいと、必死になるわけです。

 

 

消えない不足感、不安感を埋めるために私たちがすること

「死」への怖れによって「気がきかない私はだめだ」という自己否定は強められ、これがないから幸せではない、これが手に入るまでは自分を認められない、といった「不足のストーリー」も生まれます。

 

・なぜ自分はできないのだろう。もっと自分に能力があったなら→資格を増やそう

・なぜこんな会社を選んじゃったんだろう。もっと自分にあった会社があるのではないか→転職活動をしようか

・もっと上司が評価してくれる人だったらよかったのに→部署変えを申請しようか

・マウントをとらない部下だったらよかったのに→あの部下とはあまり付き合わないようにしよう

・・・・・・

 

などなど、自分や相手、状況に対する不満や要望は数えだすときりがありません。

 

しかし、根本に怖れがある限り、「私は気がきかない」という思い込みから抜け出すことができないので、このようにいくら不足感を埋める行動をしても、自分では満足感や達成感を得ることができず、常に不安感が消えずに、やがて疲れ果ててしまいます。

 

 

「怖れ」から「愛」に

こうした不足感や不安感から抜け出して、本当の安心感を得るには、どうしたらいいでしょうか?

 

大切なのは、出発点を「怖れ」から「愛」に変えてみることです。それにより、間違った解釈に立った思い込みから抜けだすことができます。

 

もし「死」への「怖れ」がなければ、つまり気がきかなくても、肉体的にあるいは精神的に絶対に死なないと保証されているとしたならば、私たちはどんな風に職場に存在し、どんな行動をとるでしょうか。

 

おそらく、仕事を失わないように、や、評価を失わないようにといった視点の行為から、より「私はどうありたいか」の視点に変わるのではないでしょうか?

例えば、なぜ私はこの仕事と関わっているのかといった自分のビジョンや、このプロジェクトに携わる動機やミッション、情熱、といったことが、立ち現れてくるかもしれません。相手中心の状態から、自分主体の状態へと、変化が起きてきます。

 

 

「愛」の感覚を思い出す

ここでちょっと、「怖れ」がない状態をイメージしてみたいと思います。

 

すごく感動したり、気持ちが動いた瞬間、映画や本、芸術、食べ物などに感銘を受けた時、心を奪われるような景色や情景に触れた時のことを覚えていますか?

その瞬間、身体はどうなっていたでしょうか? 何をとらえていたでしょうか?

 

周りの音が耳に入ってこないくらいに全身でその瞬間にただいたかもしれないですね。

頭の中が真っ白、言葉を失うぐらいの何かが体を充満していたかもしれないですね。

 

この時、思考はうるさく何かを語っていたでしょうか?

怖れや欠如感がこの瞬間、存在していたでしょうか?

 

おそらく思考が限りなく鎮まっていて、ただその感動や感銘が体を通した感覚として経験されていただけではないでしょうか?

 

素晴らしくて細胞が目覚めるような感じ

わぁ~とため息が漏れるような、圧倒されるような感じ

 

などのように。

 

この限りなく思考を通さない、ただこの感覚の連続の経験、またそれを経験することができる部分が私たちの中にある、私たちそのものであるということを思い出し、そちらをベースにしてみるのはどうでしょうか?

 

苦しければ苦しいときほど、命なき命を生きる状態から、この命の輝き、生命の流れそのものであるということを思い出したいと思うのです。

 

 

イエズス会の司祭であり心理療法家でもあったアンソニー・デ・メーロが「愛とは対象がない 愛は存在そのもの」と言います。
一般的には、愛するとは、誰かや何かという対象に向かう感覚であり、対象がなければ起きないこと、というイメージかと思いますが、彼はそうした対象がなくても自分の中から湧き上がるものが愛、なぜなら私たちが愛そのものである、ということを言っていたのではないかと思います。

 

ここで、「対象」という言葉を「条件」という言葉に変え、「愛」を「感動」や「感銘」に変えてみると、わかりやすいかもしれません。私たちが感動や感銘の中にいるとき、全く条件を出すことなく、思考も通す必要もなく、ただ、命の流れや生きる力の源に手が届いていると感じることができますが、これが「愛」の感覚に近いかもしれません。

この時、怖れや思い込みの実体はすっかり薄れてしまうことでしょう。そしてまた、この時、本当の意味で、今の自分や自分が直面している状況を受け入れることもできることでしょう。

 

ワークのご紹介もしておきます♪

○○がないと、△△があれば・・といった「不足のストーリー」や不安感から抜け出すワーク
実際に起きていることに目を向けたり、感じたりしてみましょう
今ここの体の感覚に意識を向けるとやりやすいでしょう例えば、手の平を触っている感覚、椅子に座っている時の感覚に集中する

 

○○がないと、△△があれば・・の思いから自己像を見つけるワークのヒント

「それがないとどんな自分になってしまうのか?」、また「それはどんな自分だからか?」という自己像を探る問いかけをしてみます。あたかもこの自分像がいると信じているために、これがあれば、こうあってくれればという要望が生まれているからです。

 

※信じてしまうのは、そこに感情―感覚―思いがくっついているからなので、感情解放のセラピーなどが役に立ちます。

 

例えば、「誰かに助けてもらわないと無力な自分(だから)」という自己像が見えてきたとしたら、この自己像(自分)が感じている感情―感覚―思いを解放をしていくと、変容していきます。

 


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