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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~#4 回復への道

2022年6月23日

ここまで3回にわたって「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき」というテーマで、3つのケースをご紹介しながら、私たちは「ビリーフを生きている」ということについて心の仕組みとビリーフとの関係から読み解いてきました。

シリーズ最後の今回は、このようなビリーフからどのように自由になっていくのかについて書いていきたいと思います。

 

ケース毎のアプロ―チ

ケース#1:婚約を破棄されたお母さんの場合

 

「人は去っていくものだ」「幸せは長続きしないものだ」という思いを強く持ったであろうお母さんですが、小さい頃に生みの親が次々と亡くなったという経験は、お母さんにとって、生き残れるかどうかという恐怖を非常に刺激された出来事であったろうことは容易に想像できます。このお母さんの場合は、親を失う経験で感じたであろう感情や感覚、思いを、解放をしていくことがポイントになります。実際には、親の死に直面している当時の小さい頃の自分をイメージし、その時に感じていた感情や思いを当時の自分に現在の自分が聞き出していきます。その際、タッピングを使うのですが、現在の自分がイメージの中で、当時の自分をタッピングして、当時の自分の感情や感覚、思いを解放していきます。

 

ここで感じた感情などが解消されないまま、婚約者が去っていったという経験が重なることで、さらに傷が深まることになったことでしょう。だからこそ、お母さんは諦める、我慢するという人生を生きるしかなったということでもありますね。

すでにお母さんは、90歳近いとのことですので、感情の解放などをするためにセラピーを受けようと考えるのは難しいかと思いますが、親を失うという経験での感情などを「解放」しない限り、このビリーフを生きることがずっと続くことになるのです。

 

ケース#2:仲間に選ばれるかどうかをいつも案じてきたAさんの場合

 

Aさんは、「班割り、係ぎめ、遊びやスポーツのグループぎめがあるとき、いつも緊張と情けなさで生きた心地がしなかった」と言っていますが、Aさんの場合も、まさにこの時の感情や感覚、思いを解放していくことが大事です。やり方はケース#1と同様、自分は選ばれるのかどうなのかと、他人の判断を待っていた当時の自分をイメージして、その自分が感じていた感情をタッピングしながら解放していきます。それはものすごい緊張感やいたたまれないような心地の悪さ、怒りなどといったものかもしれません。どんな感情や感覚、思いを感じていたのかは、イメージした当時の自分に問いかけるとちゃんとわかるのです。

そして、こういったものが解放されていけば「頼れるのは私だけ」といったビリーフが緩むでしょう。それによって、無理な頑張りもしなくてすみ、頑張りのはけ口としての「寝る前にネット動画を観ずにはいられない」という依存的行動が要らなくなっていくでしょう。

 

ケース#3:悪いことをしたと自分を責めているBさんの場合

 

Bさんは、自分がいじめをしていたことに罪悪感があるわけですが、自ら好んでいじめをしていたとしたら、罪悪感は感じないはずです。しかし、罪悪感があるということは、好んでいないのに、それをしなければならなかった「理由」があるということです。この理由がわからない間は、「自分が悪い」とずっと自分を責め続けることになってしまいます。この罪悪感から解放されるには、決してしたいことではないのに、他者をいじめることでどんな自分の感情や思いに向き合わなくてすんだのか? 他者をいじめることを選択するほど、本当はどんな気持ちがあったのか? を理解し、そしてそれらを解放していくことが必要です。

ここも上記2つケースと同様に、当時の自分の感情を解放していくことになるのですが、イメージする自分というのは、他者にどんなに感情をぶつけていても、決してすっきりしていない自分、になります。Bさんの場合、不安感やさみしさがずっとあった小学生の自分でした。Bさんのご両親はいつも忙しく(地域の名士だったお父さんは平日も休日も自宅いなかったとのこと)、学校から帰ってきても一人おうちで帰りを待っていなければいけなかったそうです。他者を傷つける行為は、この不安感やさみしさからのものだったのだということを理解できたことで、罪悪感に苦しまなくてよくなりますし、ひいては、強迫観念や行為によって自分に罰を与えなくてよくもなりますね。また、小学生のBさんが抱いていた不安感やさみしさを解放していくと、どんなに両親が忙しくても自分は愛されているといった感覚や安心感が自然と出てくるので、昇進の話に対しても「愛されている自分」という自分の視点から、この話を聞くことができる、という風にもなっていくのです。

 

自我の性質とビリーフ

「私たちは、ビリーフを生きる存在である」ということを書いてくるとあたかもビリーフが悪者なんだ、そういったものを持たない方がよいのではないか、といった思いが出てくるかもしれません。

しかし、わたしたちは生まれてから成長していく過程で、多かれ少なかれ、必ず何らかのビリーフを持つものであり、そのことから免れることはできないのです。それは、私たちの「自我」の性質と関連があるからです。この「自我」について触れておきたいと思います。

 

「自我」とは普段の私たちのことです。

私たちの根源には、本質(ありのまま)から離れてしまったという“誤解”があり、そこから生じる、怖れや不安、欠如感といったものが、いつもあるのです。

これまでの記事でも書いてきていますが、いつも肉体として生き残れるのか、精神的に生き残れるのか(=どれだけ周りに受け入れてもらえるかなど)のサバイバル(生き残り)の怖れストーリーが常にあります。

 

普通にしていても愛をベースにした状態ではなく、怖れをベースにした状態がデフォルトとなっているのが「自我」である、ということです。そしてそれがそもそもの「根源的な苦しみ」なのです。

 

そして、この“誤解”がある以上、「自分とはこういうものだ」「〇〇とはこういうものだ」といった自分や物事を定義づけるものが必要になります。それがビリーフです。「ビリーフから免れない」と先に書いた理由がここからも理解できるかと思います。

 

元々のベースが不安や怖れがある上に、人生を生きていく中で、生き残りの不安を刺激される出来事に私たちは遭遇します。その時に、人はその苦しさを和らげ、自分を守ることを考えます。それは、何らかのビリーフを形成し、信じるという方法で、です。

 

ケース#1のお母さんが「私は一人ぼっちと信じておけば、もう傷つかない」、ケース#2のAさんが「人とは自分の基準で選んでくるものなんだと信じておけば、もうさらに傷つかなくてすむだろう」、ケース#3のBさんが「自分は悪い子としておけば、不安感やさみしさに向き合わなくてすむ」と思うのは、まさにこれです。Bさんの強迫行為は、この不安感やさみしさから自分を守るための行き過ぎた形とも言えます。

 

私たちが究極に求めている本質への回帰

 

私たちは、もちろん傷つきから回復したいと求めます。一般的なカウンセリングや心理学はここを目的としていると言えるでしょう。しかし、自我の性質という観点から考えた場合、私たちが深いところから希求していることは、さらに踏み込んだ「本質から離れてしまったという“誤解”を解いていきたい」ということなのです。

 

では、それにはどうしたらいいのでしょうか?

 

まず前提となるのは、私たちが特に苦しくなっている時や、その苦しみが何かの症状として出ている時は、普段ですら意識されていない本質が、傷つきによって、なおさら見えなくなっている時だということです。ですから、この傷つきにある感情や感覚、思いを入り口に、そこから本質を覆っているものを解放していくことで、ビリーフや怖れのストーリーを変容させていくことが必要ですし、それが、本質(ありのまま)に近づいていく、回帰していくことにもつながっている、ということです。

 

また、感情や感覚、思いは、生来変化する性質のものであるという点で、非常に実体のないものである、ということもポイントです。傷つきによってできたビリーフや、それを支える怖れのストーリーもこれらで構成されているのですから、実体がないのです。だからこそ、こうした感情、感覚、思いが解体されていくと、見えなくなっていた私たちの本質というものが立ち現れてくるのです。それは、怖れがなく、なんらかのビリーフや定義、概念にもはや規定をされていませんし、それらに依拠する必要もないのです。そういう意味で「真の自己」と言ったり、「愛そのもの(愛ベース)」と言ったりできるかと思います。最も安定し、安心があり、受容があり、静かな場所でもあるでしょう。

 

まとめ:ネガティブなビリーフから自由になるには

今回は、冒頭にケースごとにアプローチを説明するとともに、私たちの苦しみの元と関連がある自我の性質や“誤解”について解説をしてきました。

 

ビリーフを生きることで生じる苦しみから解放され、ネガティブなビリーフから自由になっていくには、

 

・そのビリーフを持つことになった経験は何なのか(どんな怖れのストーリーなのか)
 
・またその経験(ストーリー)の中にはどんな感情、感覚、思いがあるのか、を探り、それらの感情、感覚、思いを解放したり、変容させていくことが必要である

 

ということが理解できたかと思います。

 

 

一見、表面にでてくる悩み、苦しみ、症状といったものは、やっかいなものと見えがちですが、それらが、傷つきを癒すきっかけとなるのみならず、本質や愛への回帰へとふり向かせてくれるものなのです。悩みや苦しみをきっかけに、ビリーフや定義づけから限りなく自由になって、本質や愛をベースに動いていきたいですね。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~ #3ケースC 「悪いことをした私は幸せになってはいけない」

2022年6月9日

今回はシリーズ最後のケースのご紹介です。

 

昇進を素直に喜べないBさんと強迫性障害

Bさんは、40代の女性です。Bさんは、外出するとき、何度も戸締りを確認しないと外出できなかったり、何か不安を想起させる思いが出たときに「おまじまい」をして想念を打ち消さないとすっきりしない、ひどい時は、その想念に取りつかれて不安定になってしまうという生活を送っていらっしゃる方です。その一方で、仕事について、それなりにキャリアを積み重ねてきた方で、そういう状態に自負もあるだけに、この強迫観念が浮かばなければずいぶん楽になるのにと思っていらっしゃいます。

 

そんなBさんの前に、昇進の話が持ち上がりました。ところが、嬉しいはずなのに、最近は強迫観念が強まり、不安感や恐怖感は高まり、眠れなくなるなど、疲労困憊の状態です。このまま昇進の話を受けてよいのだろうかとまで思ってしまう、ということでセッションにいらっしゃいました。

 

 

本来喜ばしいはずの昇進なのに、素直に受け取ることができないことと、強迫観念が浮かんだり、それを打ち消すための行動をすることとの間に何か関連はあるのでしょうか?

 

 

Bさんの話を聞いていくと、Bさんには自分の中で「汚点」「黒歴史」と思っていることがありました。

Bさんは小学生の頃いじめっ子だったそうです。イライラしたりすると、だれかをのけ者にしたりして、自分の気持ちのはけ口を求めていじわるをしていたそうです。しかしそういうことをしているということを親(ちなみに、お父さんは、地域での名士だったそうです)にも先生にも言えず、弱いものいじめを止められない悪循環の中にいたそうです。憂さ晴らしができたような一時の快感がある一方で、そういう自分であることを恥じてもいましたし、罪の意識もあったと言います。特に、大人になって、自分がしていたことについて冷静に判断できるようになってからは、さらに否定感が伴うようになって、後悔や罪悪感が強くなったそうです。大学進学と同時に故郷を離れたBさんでしたが、自分のこういう行動を知っている人に会いたくないので、実家にもあまり帰らず疎遠になっているとも。

「汚点」からは物理的に距離を取れていて、かつて自分がそんなことをしていたと知っている人は誰もいない環境にいるのに、自分自身に嘘っぽさや、自分をごまかしているような感覚を感じ、自分の人生が上手く運んでいても、だれかの不幸のもとに今の自分の人生があるかのようにさえ思えて苦しいのです。

 

このBさんのビリーフと、ビリーフからとる行動

 

このような経験があるBさんに強迫観念や強迫行為が始まったのは、小学3年生ぐらいの頃だと言います。初めは、通りの角で直角に曲がったり、本やノートの角を触る、鉛筆などの長さを順序良く揃えるといったものだったそうで、それができないと気持ちがすっきりしない、といったようなものだったそうです。道徳の「善い行い、悪い行い」といった内容の授業で、自分の行いについて改めて自分は悪いことをしているんだ(いたんだ)と認識したときからだそうです。「この授業は、すごく自分がわがままで悪いことをしているんだと思わされた出来事だった」と言います。そして、これがBさんの中に「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」という思いを持つきっかけになったようです。そしてそれ以来、自分のことを罰し続けなければいけないことになりました。自分がしたことについて、親や先生に告白することもできず、一人自分が罪の意識を抱え続けていたことになります。ちなみに、それ以来、いじめることはしなくなったそうなのですが、クラスの中で引っ込むような感じになり、のびのびできない居心地の悪さも感じていたそうです。

 

 

Bさんのように罪の意識があって、恥の意識や罪悪感に苦しむ人の場合、どのように世界を見たり、行動をしたりするのでしょうか?

 

例えば、

・周りの目が気になる。・周りに遠慮をする。・相手、周りが自分をコントロールしてくるように感じる。
 
・自分が主張したり、我が出る、我を出すことを怖れる。またそのような行動をしている人を羨ましく思ったり、逆にうとましく感じる。
 
・自分が誰かを傷つけていないか自分監視をする。また他者が誰かを傷つけていると見えた場合、怒りが出たり、傷つけられている人に対して同情心が起きる。
 
・「幸せ」や「満足度」について、自分が決めた、自分にふさわしい度合いにこだわる(それ以上のものが手に入ったり、訪れることになると怖くなる)。
 
・自分を赦してくれるような状況、相手に惹かれる。エスカレートすると依存的になることもある。
 
・誰も自分のことはわかってくれないだろうと孤独感、分断感を感じ、苦しむ(あきらめや孤独感を通して周りを見る)。
 
・自分は罪深いと信じているので、自分を罰する行動や、償いをするための行動へと自身を駆り立てる。

 

Bさんの場合は、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」と信じているために、そんな自分に何かいいことが舞い込んできた場合は、なんらかの「罪滅ぼし」(自分を罰し、制御をかける)をしないと、それを受け取れないと思っていると考えられます。その罪滅ぼしの一つが、強迫観念を持ち、強迫行為ということになっているということです。

 

強迫観念がでたり、「おまじない」といった強迫行動をとらなければいけないのは、生活を多いに制限されますので一見不自由さを伴う不快なものではあるのですが、一方では、「悪いことをした」、「罪を犯した」と信じているので、自分が罪を償うために必要な行動となっており、頭ではなんとかしたいと思っているけれども手放しにくいものになってしまうということです。

 

今回、昇進の話が出てから、強迫観念・行動が強まった理由が、Bさんのビリーフとの関連で改めて理解ができるかと思います。

 

 

 

さて、このBさんが、昇進の話など自然と受け取れるようになるには、これまでも書いてきていますが、やはり、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」というビリーフから自由になっていくことでしょう。

 

では、どのようにビリーフから自由になっていくのかを、次回、シリーズ最後の回として書いていきたいと思います。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~#2 ケースB「私に幸せはマッチしない」

2022年5月25日

今回は前回に引き続き、シリーズの2つ目のケースのご紹介です。

 

仲間に選ばれるかどうかをいつも案じてきたAさんがやめられないこと

 

Aさんは50代の女性です。「頼れるのは自分しかいない」という思いのもとに、学生時代からも勉強、仕事に励んで生きてきた方です。

 

この方にとって、学校という場は、とても苦痛な場所でした。班割り、係ぎめ、遊びやスポーツのグループぎめがあるとき、いつも緊張と情けなさで生きた心地がしなかったと言います。足の速い子、明るく快活な子から班やグループに選ばれていき、おとなしくて、運動が苦手な自分はいつも残りもののように扱われて、毎回ドキドキして、逃げ出したい気持ちで一杯だった、と。

 

このAさんが解決したいと持ってこられたテーマは、「疲れているのに、ネット動画を観ないとどうしても寝られない」というものでした。どんなに忙しくて、くたくたになっていても、どうしても観ずにはいられない、と言うのです。

 

このAさんのビリーフと、ビリーフからとる行動

 

このような学校での経験によって、Aさんの中では、「人とは、いつも、その人の基準でしか人を見ない」「私は(その基準では)選んでもらえない」「私はお荷物な存在」というビリーフが、埋め込まれることになりました

Aさんは、「お荷物な存在」と言われないようにと、誰にも頼らずに(頼ることが悪、弱さの証明とまでも思っています)自分の力だけで生きていく、という生き方をしてきました(中学、高校と尋常じゃないほど勉強したそうです)。

しかしそこには深い孤独感や孤立感、心細さや不安なども伴うため、相当しんどい「頑張り」だったことと思います。

 

ちなみにこのような「ビリーフ」というものに普段は私たちは気づいていません。その代わり「悩み」として、次のようなものが意識されています。例えば、「疲れているのに休めない。休むことに罪悪感を感じてしまう」とか、「仕事や家事、育児について、やってもやっても達成感が得られず、周りが楽をしている、あるいは、上手くやっているように見えて、うらやましくてつらい」といったようなものです。

 

 

さて、学校での上記のような経験を持ち、それによってできたビリーフを信じているAさんの、今回のテーマである「幸せ」に対する関わり方はどういうものだったのでしょうか?

 

 

例えば、恋愛や結婚についておっしゃるには、「私は選ばれない」と思っているので、「相思相愛なんて、はなっから自分とは関係がない」とまで思っていたと言います。そして、「たとえ、別れたとしても自分が痛くない人を選ぼう」というふうに思っていたそうです。

 

Aさんは、結婚、離婚を経られたのですが、頼ること(「お荷物な私」になること)を許していないので、本心や本音をさらけ出すことも難しい結婚生活だったと言います。

 

「本心でぶつかったときに拒絶されたら生きていけない、と思っていた」と、Aさん。

 

Aさんにとっては、「お荷物な私」だからこそ、痛くならない人を選んだのに、その相手にまで拒絶されてしまったならば、それは自分が「お荷物以下」になることを意味しますので、そうならないように、決して好ましくはないけれどもせめて「お荷物」のレベルは最低限キープしようという動きになるわけです。

ですから、実際の夫婦関係では、夫婦間のやり取り、交流というのも最小限にして、できるだけお荷物のレベルから落ちてしまうリスクを避けよう、ということにもなってきます。(意識上に出てくる思いとしては、「二人でいても、上っ面な関係な感じがしてモヤモヤする。二人でいる意味があるのか?と思ってしまう」といったものであり、「私はお荷物」というビリーフに基づいての振る舞いや対応をしている結果である、ということには無意識です。

 

 

ちなみに「私はお荷物な存在」、「頼れるのは自分しかいない」という思いで突き動かされているAさんにとって、孤独感、孤立感、寂しさを抱え続けながら、頑張り続けるのはしんどくなります。どこかで息抜きをしたいという欲求もでてきます。息抜きが、「ネット動画を観ること」ということになっていたということです。頑張れば頑張るほど、この息抜きは手放しにくいものになってしまうでしょう。

 

 

この方が本当の意味で、疲れや、無理な頑張りをするということから解放され、生き方を信頼をベースにしたものに変換していくには、「その人の基準でしか自分を見てらもらえない」というこの方の世界観から抜け出す必要があるでしょう。

 

そのためにはどうしていったらよいのでしょうか? 今回のシリーズ最後に書いていきたいと思います。

 

 

今シリーズの次回では、「悪いことをした私は幸せになってはいけない」というテーマのケースを書いていきたいと思います。

 

 


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幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき ~ビリーフを生きる私たち~ #1 ケースA「幸せは長続きしない」

2022年5月16日

今回からは、シリーズで「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき」というテーマでいくつかのケースを見ていきたいと思います。

 

というのも、先日、ある方と話をしていて、その方のお母さんのお話を聞く機会がありました。そのお話は、この方のお母さんは幸せになることを選べないでいたのではないだろうかと感じるお話だったからです。

それを聞いて、私たちは頭では幸せになりたいと願っているけれども、それをどこか選べなかったり、幸せになることを自分に許していないことがあるなぁと思いました。
ということで、これから数回にわたって、そうしたケースについてご紹介しながら、どうしてそのようなことが起きるのか、心の仕組みやビリーフという観点から読み解いていってみたいと思います。

 

婚約破棄をされたお母さんの結婚生活

第1回のケースは、前述のお母さんのケースです。

この方のお母さんには婚約をしていた方がいらしたそうです。お相手の方とは、相思相愛のもとの婚約だったそうで、お母さんは、「婚約が決まった時、亡くなった両親の仏壇に手を合わせながら、『幸せだなあ』と初めて感じた」そうです。ところが、その婚約が、突然破棄されるということが起きます。その理由は、相手の方に別に好きな人ができたからというものでした。そうした話を、その方は大人になってからお母さんから聞いたそうです。

 

その後、お母さんがお見合いで最終的に結婚相手に選んだ方(つまり私がお話をしていた方のお父さん)は、耳に障害がある方でした。

しかも結婚相手となったお父さんは耳の障害だけでなくいくつかの持病も持たれていたために、時に癇癪を起こしたり、感情のコントロールが難しい方だったようなのですが、お母さんはお父さんがどんなに理不尽な行動をとっても、ひたすら我慢して、家族の間に入って仲を取り持つ役目をされていたそうです。

 

また、結婚生活や子育てをしていく中で、このお母さんは、着飾ったり、パーマをかけたり、お化粧をすることや、何か贅沢をすることは、あまりされなかったそうです。

 

このお母さんのビリーフと、ビリーフからとる行動

お母さんが目の前にいらっしゃらないので、本当のところはわからないですが、このような生き方をされたお母さんが持っていたビリーフはどんなものだったのだろうかと思いをめぐらせてみたいと思います。

ビリーフは、私という存在を形成し、そして私たちの解釈や判断、行動に影響を与えるものなので、お母さんが実際にとられた行動や対応、生き方から、お母さんが持っていたであろうビリーフを想像することができるからです。

 

このお母さんは、小さい頃に生みの親を相次いで亡くされ、継母に育てられたそうです。そうしたお母さんが経験した体験や環境からも、このお母さんには「人は去っていくもの」「幸せは長続きしないもの」というビリーフがあると考えられます。それが、婚約が破談になったことで、「やっぱり人(幸せ)は私から去っていく」「やっぱり幸せは長続きしないものだ」とビリーフが強化され、さらに深く刻まれたのではないかと思います。

 

では、こうしたビリーフを持っていると、どんな行動を取るのでしょうか?

 

私たちはビリーフに則った生き方をしますので、上記のような経験やそれによるビリーフがあると、幸せを感じるということに対して臆病になったり、怖れたりするようになっていきます。その結果、頭では幸せになりたいと思っていても、幸せになるために積極的に人生の中でのチャレンジ、挑戦というものがしにくくなったり、そういったものを遠ざけたり、最初からあきらめるということをし始めます。期待が裏切られた時のショックを和らげ、自分を守るために、全体的に、自分や人生に期待しないという態度で自分の本心や本音を出さないように処理をしようとすることも同じしくみです。

 

 

 

また、こうしたビリーフを持っていると、無意識に人が去っていかないように行動することも考えられます。その結果、その人を繋ぎ止めるために、自分より人のことを優先しがちになるかもしれません。

 

 

このお母さんは、「継母に育てられた中で、精神的、経済的な負担をかけないようにと、日ごろから遠慮をしたり、必要以上に我慢をしていた」そうですが、こうした行いになったのも、また、結婚生活で理不尽な夫に我慢し続けたのも、そもそもそういう人と結婚したことも、上記のビリーフが関連していることが推察できます。

 

その方は、お母さんがお父さんを選んだことも「母に確認したわけではいし、母の中で、意識的か無意識的かはわからないけれども、『この人なら自分から去っていかないだろう』という人を選んだのではないだろうか」と話してくれました。

 

 

 

次回は、この「幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき ~ビリーフを生きる私たち」のシリーズの続きで、「私は幸せとマッチしない」というケースについてご紹介したいと思います。

 

またシリーズの最後には、どのように信じているビリーフ、思い込みから自由になっていくのか、その回復の道についても触れていきたいと思います。

 

 


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