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不安なときの対処方法

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トラウマについて~生きづらさから解放されて自分を愛する力を取り戻すために~(前編)

2022年12月28日

今回からは「トラウマ」について書いていきたいと思います。

トラウマのメカニズムについての理解を通じて、なぜトラウマの解消が心身の不調や生きづらさからの解放につながるのかを理解していきたいと思います。

シリーズ1回目の今回は、トラウマがどのようにできるのか、そしてそのトラウマがどうして残り続けるのかについて見ていきたいと思います。

トラウマとは

トラウマとは、心に傷を残すようなつらい体験によって、その経験が、時間とともに単なる過去のひとつの記憶として消えずに、「トラウマ記憶」として残り続けることを言います。危険が去っても、トラウマ体験時に感じた思いや感情が、身体の中にとどまって、元に戻らない状態のことを指します。

そして、このトラウマによって、心が本来もつ機能や役割を果たせなくなることはよく知られているかと思います。この状態は、心身に様々な影響を及ぼします。不安障害や、パニック障害、うつ、依存症、摂食障害などの症状となって出たり、人間関係を構築していくことに難しさを感じたりと、生きづらさと深く関係するのです。

 

心に傷を残すつらい体験とは

「心に傷を残す辛い体験」とは、どのようなものでしょうか?

それらは色々に分類できますが、一つの例としては、一過性の非日常的な体験と、継続的にくりかえされる体験に分けることができます。以下はその例です。

 

<一過性の非日常的な体験の例>
・事故に遭った・事件に巻き込まれた
・自然災害、火災を経験した
・リストラに遭った
・暴力的な犯罪に遭った
・レイプなど望まない性行為を強いられた
・親しい人、大切な存在が亡くなった
・自分は経験していないが、他者がこれらを経験しているのを目撃した
・手術や何等かの医療処置において怖い思いをした

<継続的に繰り返された体験の例>

・暴言・暴力など、精神的・肉体的な虐待に遭っていた

・親や養育者から適切で十分なケアを与えられずニグレクトの状態にあった

・性的な虐待に遭っていた

・両親の仲が悪く、親同志の喧嘩、暴力を目撃していた

・長期にわたるいじめに遭った

 

危険な状況におかれたときに起こる生理的反応 3つのFパターン

私たちは、危険と感じたとき、命の脅威を感じるような状況に遭遇した際に、私たちの心と体はどのような反応を起こすのでしょうか?

 

安全が脅かされると感じた時は、私たちはとっさに反応します。「本当に危険なものなのかどうか」といった判断をする間もなく、危険だと察知すると、脅威から命を守るためのプログラムとして、防衛反応が作動するのです。この防衛反応には、3つのパターンがあり、その頭文字をとって、「3つのF」と言われます。いずれも危険な状況から命を守るための大切な生理的反応です。

ちなみに、この時、生命の維持を司る脳幹といった脳の古い部分が使われています。

 

<3つのF>

①Fight 闘う:危険な状況に立ち向かって、その状況を打破しようとする反応。その状況、相手に対して好戦的、攻撃的になったりして闘争モードとなる。

使われる自律神経の回路:交感神経

 

②Flight 逃げる:危険な状況から命を守るために取る反応。安全でないと判断される状況から逃げる、回避する。苦手な状況、人を避けるというのもこの反応です。

使われる自律神経の回路:交感神経

 

③Freeze 凍りつく:闘うことも逃げることもできないときに用いられる反応。あまりの恐怖に身がすくんだり、立ち尽くして動けなくなったりしている状態はこの反応によるものです。動物は、捕獲者に対して闘うことも逃げることもできないときは死んだふり(仮死状態)をして、捕獲者のが興味を失わせて、命を守るという戦略をとったりします。私たちが無表情になったり、ショックな出来事についてよく覚えていなかったり、記憶が抜け落ちるというのは、この反応によるものです。

使われる自律神経の回路:副交感神経の2つの回路のうち、背側迷走神経

自律神経についての記事

 

「過去のひとつの記憶」とならずに「トラウマ記憶」としてとどまり続けるメカニズム(理由)

それでは、単なるつらい経験ではなく、「トラウマ体験」になるのはどういう要素が関係をしているのでしょうか?

 

要素として、

・体験そのものの大きさ(よくある体験なのか、生命を脅かす体験なのか)

・体験のしかた(誰も気づいてくれず、誰にも助けてもらえない、繰り返しつらい出来事を体験するなど)

が挙げられます。

 

「トラウマ体験」となる4つの要素UDINからの考察

例えば、ドイツ新医学の分野では、以下の4つの要素が重なると「トラウマ体験」である、と言うのですが、これはまさに上記の体験の大きさ、体験のしかたという要素ともマッチするなと思います。

 

4つの要素

U:予期していなかった(Unexpected)

D:劇的でショックが大きかった(Dramatic)

I:一人で対処するしかなかった(Isolated)

N:対処する術、方法がなかった(No Strategy)

 

これらの4つを、例えば、地震などの自然災害や、事故などを例にとると、これらの4つがわかりやすいかと思います。これらは突然起きます。だからこそ、そのショックは大きい。たとえ周りに人がいたとしても、気が動転していたり、パニック状態になっていると、助けを求めることも難しくなり、目の前の事態にどうすることもできないと感じる、といった風にです。

 

トラウマレベルに影響を及ぼす3つの因子

またさらに「トラウマ体験」の傷の深さに影響を及ぼす因子として以下の3つがあると言われます。

 

①一つは、トラウマ体験にさらされた時間の長さです。それが、一回もしくは短期間だったのか、長期間にわたったあるいは、日常的に繰り返されたのか。

 

②もう一つは、大人になって経験したものなのか、心も脳や神経系も含めて発達の途中である子どもの頃に体験したものなのか。

 

③最後の一つは、自分と相手との間にどれぐらいの関係性の近さがあったのか、です。
例えば、日常生活の中で、親や養育者との関係が不安定だったり、学校でいじめにあっていっていたなどは、自分と近いい関係がある人との間で起きた問題として捉えることができ、それがトラウマのレベルに影響を与えるということです。

 

凍らせたままになる感情―感覚―思い

先に、防衛反応の3Fについて述べましたが、そのうちの一つであるFreeze反応は、危険で恐ろしい経験に対して命を守るという意味では大切な反応なのですが、同時にその時に感じた感情―感覚―思いを切り離して閉じ込めることもします。解離と言ったりします。その経験とよく覚えていない、記憶が抜け落ちているといったことがあるのはこのためです。生命の維持のために、その時のショックを感じないようにしているわけです。

ちなみに自然界の野生動物は、死んだふりをしたことによって、捕獲者が興味を失って退散し、安全を取り戻すと、ゆっくり起き上がって、深い呼吸をし、体を震わせて体内に閉じ込めていたエネルギーや恐怖、緊張を解放して通常の状態にリセットするということをします。そうすることで、トラウマ体験として残らないのです。

 

しかしながら私たち人間は、野生動物のように、体内にためたエネルギーや感情―感覚―思いなどを自然に解放することができません。

その体験で感じたこと(光景、におい、光など五感で感じ取っていたことも含みます)をそのまま閉じ込め、凍らせることになるのです。

さらに、そこに体験の大きさや体験のしかたといった要素も加わった場合、閉じ込めるものがどれだけ大きいものになるか、想像に難くないかと思います。

 

レジリエンスを低める幼少期の体験

前述のトラウマレベルに影響を与える3つの因子(時間の長さ、時期、関係性の近さ)は、私たちの、ストレスや逆境に対応したり、そこから回復する力(レジリエンス)にも影響を及ぼします。そして、その力が未発達であることによって、トラウマ体験がトラウマ記憶として残ることにもつながっていきます。

対応したり、回復したりできる力は、子ども時代に親や養育者と安定した関係があったり、守られている、ケアされているという感覚が十分に持てていると健全に育まれていきます。

 

そして、それは、その子の世界と自分自身を見る土台にもなっていきます。ですので、この土台が不安定であったり、脆弱であると、成長する中で経験することが、傷(トラウマ記憶)として残りやすくなってしまう要因の一つとなります。

 

 

このように見てくると、様々な要素や因子が影響したり、組み合わさったりすることで、体験がトラウマ記憶としてとどまることを理解できるのではないでしょうか。

 

 

次回は、トラウマによる凍らせたままのものから見える世界と、トラウマからの回復について書いていきたいと思います。

 

 


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人間関係のしんどさを解決する健全な境界線③~自分を大切にしながら相手も大切にできる~

2022年11月3日

今回はこれまでシリーズで書いてきた境界線についての最後の回です。

 

今回も前回と同様に、個別のケースを出しながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見ていきたいと思います。

また最後に、境界線を越えない、越えられるのを許さないために私たちはどうしたらいいのかについても触れていきたいと思います。

 

今回は、相手に言ったり、したりしたことが良かったのか? と気になったり、自分のせいだと思ってしまう時を例に、その時の心の状態について心の仕組みから解説していきます。

 

自分の言ったこと、行ったことを相手がどう考えるか不安に思ってしまう

 

メールやラインを送って、返信がこないことに不安になったことは誰しもあるのではないかと思います。また、自分の発言やふるまいについて、後になって「あれはあの場にふさわしかっただろうか?」とか、「相手は気を悪くしているのではないか?」「相手を傷つけていないだろうか?」と疑心暗鬼になったり、いろいろ詮索してしまうという経験もあるのではないかと思います。

こうしたケースも境界線の観点から見ることができます。

相手がどのタイミングで返信をするのか、相手がこちらの言動についてどのような解釈を持ったり、反応をしたりするのかは基本的に相手の領域のことであり、相手が決めることです。しかし、それらをこちらがコントロールしたいとなってしまうと、境界線を越えることになり、不安や猜疑心などに苦しむこととなってしまいます。

 

例えば、これは私の経験談ですが、ふいに口をついて出た言葉が相手を傷つけてしまったのではないかと思い悩む時があるのですが(それはたいがい杞憂に終わるのですが)、これは、自分が他者の言葉で傷ついてきたという経験があるからなのです。自分が傷ついたことで自分を力ない存在と見てしまい、それを相手に投影するので、相手を自分と同じように力ない傷つきやすい存在として見てしまうのです。自分が気になって考えを巡らせている時、その考えやイメージの中にいる相手は、決まって弱い力ない存在と見えているはずです。ですから、誰かを傷つけないように言葉に気を付けようなどという風な、自分を監視するという動きにもなってしまうのです。

 

このケースで私が、相手がどのような反応をするのか、どのような解釈をもつのかについて、「相手の領域で起きることなので、相手に任せるよ」「それは100%相手の自由だ」と健全な境界線を引けるようになるには、どうしたらよいのでしょうか。

それは、私自身の「他者の言葉で傷ついてきた」という経験を癒していくことです。その時に感じた感情(悲しみや、怒り、恐怖感などなど)や感覚、思いがありますから、それらに向き合って感情解放をしていくのです。なぜなら、これらの感情や感覚、思いが、自分のことを力ない存在と思わせてしまうのですから。感情や感覚、思いが解放されていくと、傷ついていた私から、自分の中に力を感じられる私に変わっていきます。その結果、相手のことも弱い力ない人とは見えなくなりますので、自然と境界線も健全に引けるようになり、無駄に思い悩んだり、自分の言動を見張ることもしなくてよくなるわけです。

 

自分のせいだと思ってしまう

また、なんでも「自分のせいだ」と自分が責任を負ってしまって苦しくなっているというパターンもありますね。こちらが悪気や傷つけてやろうという意図など全くない言動に対して、相手から「傷ついた」と言われたり、責められたりしたときに、それは「私のせいだ」と自分が相手の感情の責任を引き受けてしまうケースです。

 

相手が「傷ついた!」と怒っていたとしても、その感情の責任をとれるのは(感情のケアができるのは)、基本的に相手本人です。なぜなら、怒りなどの反応を生み出すものがその人の中にあるからですね。例えば、相手がトラウマなどでの傷がある、あるいは、たまたまその時何らかの事情で不安や焦りなどがあったのかもしれません。そして、そのケアをしたり、向き合ったりすることができるのは、その人です。

他の人がするべき仕事の責任を負ってしまうと、今度は自分が窮屈になったり、不満がたまってきて、関係そのものがぎくしゃくし始めて、難しいものとなってしまうことでしょう。

 

このように誰の領域で起きていることなのか、その責任をとれるのは誰なのかを見極めることはとても大切になってきます。どうしても「自分のせいなのではないか」と境界線があいまいになって引き受けそうになってしまう場合は、今度は、健全な線引きを難しくさせるものは何なのか、自分を力なくさせるものは何なのかを自分の中に探っていくとよいですね。

 

まとめ~健全な境界線をひけるようになるためには~

前回、今回といくつかの個別のケースを挙げながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見てきました。

 

境界線は目に見えるものではないですし、断れば境界線を引けましたとか、何かの行動をしたら引けていませんとかといったようなものではありません。つまり「行動」ではなく、自分の中で、精神的な軸や自立があるかどうか、に依るのです。

 

自立ができにくくなるのは、「自分には力がないのだ」と信じているからで、それはなんらかのトラウマや傷つきの体験が原因となっています。ですから、健全な境界線を引くためには、そのトラウマや傷つきの体験を癒して、低まってしまった自己価値を回復していくことが大切です。(具体的には、これまでの記事でも書いていますが、経験は、感情―感覚―思いで構成されていますから、それらの解放をしていきます。前述の「他者の言葉で傷ついてきた」という私のケースも参考になるかと思います。)

 

 

今シリーズ最初の回でトマス・ゴードン博士の

「健全な境界線の境界は、通り抜けができるぐらい浸透性があり、危険物は閉め出しておける程度の強度がある」

という言葉を引用しました。

自分に力を取り戻していくことで、このような境界を、状況、状態ごとに柔軟に設けることができるようになります。そしてこの境界は、愛や信頼がベースの境界なので、自分も尊重しますし、相手も同じように大切にすることができます。このような精神的に自立した者どうしが、お互いに関わり合い、刺激をしあっていける関係を築いていきたいですね。

 

 


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人間関係のしんどさを解決する健全な境界線②~自分を大切にしながら相手も大切にできる~

2022年10月23日

今回は前回からの続きの境界線についてです。

前回は、私たちが自分の中で起きていることに責任をもてるかという精神的な自立が、健全な境界線を引けることに関わっていることや、それを難しくさせる理由として、自我の性質と人生の中での傷つきについて解説してきました。

 

今回と次回は、いくつかの個別のケースを出しながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見ていきたいと思います。

 

また、次回の最後には、境界線を越えない、越えられるのを許さないために私たちはどうしたらいいのかについても触れていきたいと思います。

 

今回は、DVなど自分を傷つける人と関係を切ることができないケースと、親の過干渉で自分で決めることができなくなった子どものケースを題材に、健全な境界線を引きにくくさせる理由を心の仕組みから解説していきたいと思います。

 

自分を傷つける(DVなど、言葉や身体的な暴力、虐待)人と関係を切れない

親子関係や夫婦関係において、傷つけられているのにその関係を断ち切れず、その関係の中にとどまり続け苦しむというケースについてです。

 

この時、傷つける側、そして傷つけられる側の心の中ではどのようなことが起きているのでしょうか?

 

傷つけたいという衝動の奥にあるのは「自分には力がない」という思い

最初に、傷つける側を見ていきましょう。

 

相手を傷つける態度として現れる形の例として、

 

・相手に自分の思いどおりの行動をさせる
・自分と違う考え方、意見などを持つことを許さない
・相手が離れようとすると、離れていかないように、相手の怖れを刺激して(脅しなどはその例)相手を支配下に置き続けようとする

 

などがあります。

 

また、傷つける側は、「お前が悪い」「お前のせいだ」「お前がわかっていない」と口汚くののしったり、攻撃をし、相手の領域を越えてきます。

 

私たちが、相手を攻撃する時というのは、私たちの中に何らかの感情、感覚、思いが抑圧されている時です。そして、それらを刺激されるような事態が起きると、自分を守るために(抑圧している感情、感覚、思いに向き合わないために)、攻撃という形を取るのです。

例えば、自己肯定感の低い夫が、ある朝、Yシャツにアイロンがかかっていないことを見て烈火のごとく怒ったとします。これは、もともと自分の中にあって触れられたくない「自分の願いは受け止めてもらえない」といった傷があるからなのですが、それに向き合おうとせずに、反対にそれを刺激した犯人を外に探して(投影)、「自分をないがしろにしているからだろ!お前が悪い!」と問題のすり替え(防衛・攻撃)をしているのです。

 

トラウマや傷つきによって自己価値が低まっていると、「自分には力がない」というものがベースになりますから、自分の中にある様々な怖れや不安、不全感、欠如感といったものに向き合うなど、怖すぎてできないものです。ですから常にすり替えをして、誰かのせいにする必要があったり、相手や周りを服従させたりすることによって、自分の不全感、欠乏感を埋めるということをしなければいけなくなります。これは、自分の中で起きていることへの責任を持つことを放棄しているのです。そのことに心の深いところではうっすらと気づいているのですが、無力な自分ゆえに、それをどうしたらいいのかわからないので、誰かや何かのせいにしないとやっていけないのです。

 

このように、私たちの心はいつも抑圧→投影→防衛・攻撃という仕組みで動きます。

それゆえに、傷つける側は、いつも攻撃の対象を必要とするのです。

 

傷つけられる側の中にもある「自分には力がない」という思い

では、一方の傷つけられる側の心理はどうなっているのでしょうか?

傷つけられる側の人たちがよく思っていることは、「誰も助けてなんかくれない」ということです。自分のことを「無力で小さな自分」と見てしまうので、外に助けを求めるという発想自体がない(という世界観を持ちやすい)のです。ゆえに、たちまち境界線を越えられることを許してしまいます。

さらにひどいときには、越えられていても、むしろ「私が悪いからそうされて当然」、「私は尊重される資格がないのだから」「私は悪い人間だから」と自己卑下をベースにして相手の行為を正当化したり、「相手の役に立てている」「私がいないとあの人は生きていけないから」と自身の不全感を埋めるために、無意識にこの関係を利用したりもします。

 

このように、傷つけられる側にも、傷つける側と同じように、怖れ、無力感、不全感、欠如感があるのです。

自分に価値があると思っている人は、こちらに非がないのに暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたりしたならば、それは相手の問題だ、相手がおかしいと、きちんと切り分けができて、自分の領域の中に留まることができます。

 

この傷つける・傷つけられる関係は、一見、傷つける側が力を持っているような関係に見えますが、いずれも、「自分には力がない」という思いをベースに惹かれ合っている関係です。お互いに精神的に自立しているという感覚が薄いため、共依存となり、どちらかがこの関係から抜け出すというのは、なかなか難しいものになってしまいます。ですから、はたから見て離れた方がいいと思える関係であっても、本人たちはその関係にとどまり続けてしまうのです。

 

親の過干渉で自分で決められなくなった子ども

最近は、過保護、過干渉の親のことを「ヘリコプターペアレント」と呼んだりします。子どもがつらい思いをしたり、不安を感じたりしないようにと、先回りをして、子どもが解決すべき問題、子どもが考えて判断したり、決断したりする事柄を全て引き受けようとするのです。こうした親子関係では、親が境界線を越え、子どもが越えられる立場となります。

 

「あなたのためを思って」「あなたのためだから」「私の言うことを聞いておけばいいのよ」という言葉は、過保護や過干渉な境界線を越えている親からよく聞かれる言葉ではないかと思います。

 

親子ですから、愛情で結ばれている関係ではありますが、実はこれは、親自身の中にある「他人の目にいい親と映っているだろうか」「子どもの能力を伸ばせない親と思われていないか」「親失格と思われないか」といった子育てへの不安や自信のなさを、子どもを使って解消しているのです。子どもが考えたり、判断したり、決定したりという精神的な成長の機会や可能性を奪うとしたならば、一見愛情をベースにした言葉がけや行動に見えたとしても、それは、境界線を越えた対応と言えるでしょう。

 

一方で、過保護や過干渉な対応を受けて育った、つまり境界線を越えられて育った子どもはどんな風になるのでしょうか? 一つケースを見ていきましょう。

 

Aさんは、30代前半の女性ですが、小さい頃から習い事などでは何を習うのか、どこで学ぶのか、どの学校に行くのか、何を着るのか、どういう友達と付き合うのかなどをすべて母親が決めてきたと言います。先んじて色々なことをやってもらえた分、楽ではあったのですが、一方では自分がどうしたいかをわからなくさせられている感じがずっとあったとのことです。

 

そんな彼女は大人になった今、相思相愛の相手と出逢えたのですが、いつもどこか相手のことが信じられなく、自ら関係を壊したくなってしまう、という悩みを抱いています。

 

Aさんのように過保護や過干渉な環境で育った子供は、いつもどこか「理解されていない」「わかってもらえていない」「人は自分の思い通りに人を動かす」といった不満を抱えたり、「自分が信頼されていないのではないか」といった自己不信を持つことになります。さらに自分自身で何かを成し遂げたという経験が少ないので、自信も育ちません。

 

そして、これらの自信の欠如や不満感の蓄積は子どもの心の中で無力感を深め、自分で自分の人生を選んで決めている、「自分が自分を生きている」という感覚を弱めてしまいます。それにより、自分の領域はここからここまで、という風に境界線を引くことを難しくさせるのです。特に愛情が絡む関係であると、境界を越える親の行為を愛情だと勘違いするために、なおさらわかりにくくなります。

 

その結果、
・自分が何が好きなのか、本当は何がしたいのかがわからなくなる
・何かを決めたり、判断したりするときに怖くなってしまう
・相手を試して、本当に大丈夫だと思えない限りは判断や行動がしにくくなる
・誰かの判断をいつも仰ぎたくなる

ということが起きることになるでしょう。

 

Aさんが今、パートナーと関係を深めていくにあたって、抵抗感がでてきてしまうのも、理解ができますね。

 

 

今回は境界線を越える、越えられるのを許すことで起こる共依存の関係をパートナーシップと親子関係を例に解説をしました。

次回は、相手に言ったり、したりしたことが良かったのか? と気になったり、自分のせいだと思ってしまう時を例に、その時の心の状態について見ていきたいと思います。

 

 


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人間関係のしんどさを解決する健全な境界線①~自分を大切にしながら相手も大切にできる~

2022年9月15日

今回から、新しいシリーズとして、境界線について書いていきたいと思います。

健全な境界線が引けると、おおかたの人間関係の悩みが解決すると言われているほど、円滑な人間関係を築いていくことと、健全な境界線が引けるかどうかとは密接な関係があります。

今回は、まずは境界線とは何なのか?を理解します。その上で、次回からは2回にわたって、健全な境界線を引けない場合、どんなことが起きているからなのか?を心のしくみから見ていきたいと思います。

 

境界線って何?

まずは、境界線とは何なのか?を見ていきましょう。

 

国語辞典「大辞泉」には、「境界線とは、土地のさかい目の線。また、物事のさかい目」とあります。

 

例えば、空間や土地などは、契約や登記といったルールによって線引きされた形として、壁があったり、塀や線があったりして、境界線がわかりやすく存在します。

また、物事のさかい目は、例えば、扇風機とサーキュレーターは、モーターで動いているという点は共通ですが、人の体に風をあてて涼しくさせるという目的と、一方は空気を撹拌するためのものといった風に、「目的の違い」によって、境界ができるわけですね。

 

つまり、このさかい目は、区分線や境界線が自然にあるわけではなく、何らかのルールや定義、基準によって「どこまでがこっちのもので、どこまでがあっちのものなのか」が明らかになり区別され決められるということです。

また、一旦、区別され、境界ができると、境界線で区切られたそれぞれの所有地(エリア)で起きることについては、各自が責任を持つことになります。自分の庭の芝が枯れそうになれば、自分が水や栄養を与えたり、芝が伸びれば自分が刈り取って整えたりするようにです。

そしてこのように各自がそれぞれの所有地(エリア)で責任を持てている限り、関係性は安定的なものとなります。

 

人間関係で境界線を決めるものとは?

これを自分と他者という関係に当てはめることができます。

自分と他者との間の境界はどのように決まるのでしょうか?

 

それは、

 

「感情や思いといった各自の中で起きることについて、どこまでが私のもので、どこからが相手のものなのかが見極めること」によって決まってきます。
 
「見極める」というのは、「それらに責任が持てるのは誰なのか? コントロールできるのは誰なのか? がわかっていること」

と言ってもよいかと思います。

 

つまり、自分と他者との間で健全な境界線がひけるのは、

 

「自分の中で起きることについて、それらに責任をもてると思えているかどうか、コントロ―ルすることができるのは誰かがわかっている」時である

ということです。

 

境界線に関する私の事例

私もこれまで(そして、今でも!)、たくさん境界線を越えたり、越えるのを許してきたりしました。

 

私が境界線を越える事例

私には、姪っ子がいるのですが、彼女は、部活道以外に書道やダンス、楽器の演奏に取り組みながら学生生活を送っています。
その彼女に対して、「学校の勉強は大丈夫?ちゃんとやっている?」とついつい電話口で確認したり、発破をかけたくなってしまうのです。しかしながら、どういうペースで勉強を進めていくのかは、本来、姪っ子の所有地(エリア)のことで、彼女が決めることです。それなのに、「おばちゃんの言うとおりにやった方がいいよ」とか、「勉強以外のことも大切だけど、勉強もコツコツとやらないとダメだよ!」などと私のやり方や提案を押しつけたとしたならば、それは、境界線を越えることになります。

 

また、もう一つ、越えた例として、今でも苦笑いしながら思い出すことがあるので、そちらもご紹介しますね。

 

それは、イギリスにいた2010年頃だったと思うのですが、その頃はまだまだ不安感が強くてパニック障害の症状も出たりと不安定な状態で過ごしていた時期で、週に1度カウンセリングのセッションに通うのがルーティンとなっていました。そして、そのカウンセラーさんが何かの講座をされるということで、そちらに参加することを決めたのですが、会場がロンドンから電車で数時間という場所でした。乗り物恐怖がある私は、当然不安感で一杯で、特に日本と違って接続が悪いイギリスでは、どうやったら混まない電車に乗っていけるだろうとそのことばかり考える毎日です。

いよいよ講座の日が近くなったあるセッションの日に、私がしたことは、頼まれてもいないのに、講座の時間に間に合う電車の時刻表をリスト化したものをカウンセラーさんに渡すということでした。もしかしたらカウンセラーさんは前乗りで前日から現地に向かうかもしれないですし、電車でなく車で向かうかもしれないですし、いつどうやって行くのかを決めるのは、カウンセラーさんなのに!です。

ですが、その時は、不安でしょうがなく、その不安感に本当の意味で気づいていないので、それを相手に投影し、「相手も電車でスムースに行けることを望んでいるのではないか?」と勝手に想像して、作った時刻表を渡すということをしてしまうわけです。自分の不安感からこのような行為をしているとは全く気がついていないので、むしろ「親切なよい行いができた」とまで思っているぐらいでした(笑)。その時刻表をどうされたかはわかりませんが、恐らく「境界線を越えられたな」とカウンセラーさんは気づいていたと思います。

 

しかし当時もし自分が「私が不安なんだな」と気づいて、その不安感に向き合ったり、解消したりしてケアすることができていたら、全く違った行動になっていたことでしょう。

このように、私は私の中で起きた不安感について責任を放棄した結果、境界線を越えるということになってしまったのですね。

 

越えられるのを許す事例

心のことをやっていたり、自分を見つめましょうといったことを発信していると、私が「全部癒されていて、楽に生きているのではないか」と思われたり、言われたりすることが時々あります。しかしそんなことはありません。私なりに、悩みがあったり、自分を見つめるためのネタにはことかきません。

ところが、もし私が、相手の私への解釈やイメージを壊さないようにといかにも「楽に生きている私でいるように」と頑張ったり、無理をしたとしたなら、それは「境界線を越えられることを許した」ということになります。

反対に、「この解釈やイメージは、相手の中(所有地)で起きていることだな」と気づいて、私は自分の所有地(エリア)からは出ていかなければ、相手がいわば勝手に(!^^)抱いた解釈やイメージについてもリラックスした対応ができます。それは、例えば、懸命に否定することをしないとか、逆に相手のイメージに合わせようとしないといったようにです。

 

バイロン・ケイテイの三つの領域と境界線

スピリチュアルティチャーのバイロン・ケイテイは、私たちには三つの領域があると言っています。

それは、

・私の領域

・彼・彼女の領域

・神の領域

 

です。

ちなみに、神の領域というのは、天候、自然災害、事故、社会現象といった、個人の力の及ぶ範囲を超えた領域のことを指しています。

 

それぞれの領域を越えようとするとき、私たちは、苦しみを感じます。

 

例えば、今雨が降っている状況に対して、「晴れてくれないと困る!」と神の領域で起きていることに対して闘おうとすると、決して勝つことはできないので、自分を天候の犠牲者と感じて苦しくなってしまいます。

あるいは、母親が、娘が結婚をしないことをいくら心配しても、いつ誰と結婚するかは娘が決めることなので、母親はストレスに感じて苦しむことになりますし、娘の中にも結婚に対する焦りなどがあった場合は、母親からのプレッシャーはやはり苦しみとなります。

 

私たちは、自分の中で起きることについて、それらに責任をもてると思えていて、コントロ―ルすることができる(何かを選択したり、決めたりすることができる)のは誰なのかがわかっていると、「雨が降っていること」、「娘がまだ結婚をしていないこと」、「母が心配をしてあれこれ言ってくること」は、心地は良くないかもしれなくても、苦しみにはならないのです。

 

自分の領域(所有地、エリア)の中に留まることがもたらすもの

健康な境界線を引くことができると、犠牲者、加害者というものが出現しないので、3つの関係性が安定します。

 

それ以外にも、次のようなことがもたらされます。

・自分主導で、自分が自分の人生を所有、生きているという感覚をもてる
 
・他者や何かに依存せずに、自分で自分の問題、人生を管理していると実感できる
 
・自分の能力がわかっており(自分が何ができ、何ができないかがわかっている)、その範囲内において自由や可能性を行使したり、楽しんだりすることができる
 
・自分と他者を優劣で見ず、愛や信頼をベースにした互いに尊重し合う対等な関係で関わることができる

 

境界線を越える例、境界線越えを許す例

逆に、領域の中に留まることができないときに起きることを、越える場合と、越えられることを許す場合とで、例を挙げてみたいと思います。

 

境界線を越える例

・私が幸せになれるためには、あなたが必要
 
・私の思い通りに動いてくれたら私は安心、幸せ
 
・私があなたの代わりに決めてあげる、やってあげる
 
・私の都合やニーズに合わせてちょうだい
 
・誰かのためにやってあげることで自分の価値が上がる、保てる
 
・私が希望するやり方で私を認めて

 

境界線越えを許す例

・自分で決めない、相手の都合や希望に従う
 
・自分は我慢する、自分の都合やニーズを抑圧する、断れない
 
・波風が立たないように、このまま自分が黙っていたり、何もしないでおこうとする
 
・決めれられてしまうのは嫌だが、自分で考えたり動いたりしなくていいので楽だと思う

 

境界線を引くことを難しくさせるもの

それでは、健康な境界線を引くことを難しくさせるものは何なのでしょうか?

自我という性質

以前の記事でも書きましたが、私たちの根源には、本質(ありのまま)から離れてしまったという“誤解”があり、そこから生じる、怖れや不安、欠如感といったものが、いつもあります。それゆえに、根源的に、自分のことを小さい存在、無力な存在という風に無意識的に思っていたりするのです。

 

人生の中での傷つき

そんな元々の性質をもちながら、人生を歩む中で何等かの傷を負った場合、自己価値が低まり、さらに小さい私、無力な私を強化してしまうでしょう。すると、そんな私にとっては、自分の領域の外のものを使って、自分を満たしたり、安心したりできるのではないか、という思いをさらに強めることになります。

これは、境界線を越える場合は、自分の領域外のものを自分の思い通りにして一時の優越感や満足感を得たいといった衝動やふるまいとなりますし、境界線越えを許す場合は、最初から従って、事を荒立てないことで安心感を得たいという風になります。

ですが、無力な私という思いを出発点にして、自分の領域外のものに依存するという意味では共通です。

 

このように、元々の自我という性質と、さらに人生の中での刷り込みや経験などで自己価値が弱められた結果の、「自分は小さくて無力な存在」という“誤解”を信じている私にとっては、いつも何かに依存していなければならないので、境界線を引いて、自分の人生のイニシアティブを握るということは難しいものとなってしまうのです。

 

ですが、これは裏を返せば、自分から自分への誤解を解いていければ、自然と健康な境界線を引いていくことができるということでもありますね。

 

 

まとめ

人間関係についての著書で有名な臨床心理学者のトマス・ゴードン博士は、健全な境界線が引けるとその境界は「通り抜けができるぐらい浸透性があり、危険物は閉め出しておける程度の強度がある」と言っています。

 

越える、越えられることを許す例を出しましたが、自分から自分への誤解を解いて、ゴードン博士の言うような健全な境界線が引けるヒントとなるように、次の回からは、越える、越えられるときにどのようなことが起きているからなのか? を個別のケースを出しながら見ていきたいと思います。

 

 


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心身の健やかさをもたらす3つの自律神経と安心安全の感覚(後編)

2022年8月19日

前回は、自律神経についての新しい発見について理解するとともに、心身の健康にとって、腹側迷走神経がきちんと機能していること、その鍵は安全と思える状況や環境が必要であることを解説してきました。

 

今回は、腹側迷走神経を機能させたり、整えていくことと、「安全な環境」とはどういうことなのかを、心との関係から見ていきたいと思います。

 

セルフイメージがネガティブだと安心安全な環境ととらえにくい

 

私たちには、潜在意識にあるビリーフやセルフイメージを通して、世界を見る(投影する)というしくみがあります。

一方、自律神経システムは、いつもここが安全なのか、危険なのかというのを検出して、どの神経系を優位に働かせるかを無意識下で、自動的に調整し、働くのでした。

 

つまり、ビリーフがネガティブであれば、世界は怖いと感じたり、人は優しくないという世界観になってしまいます。そして、この世界観は自律神経にも影響を与えます。それは、腹側迷走神経系が機能してのつながりや関わりの方に、というよりは、交感神経優位の緊張状態や、背側迷走神経がより優位に働いて消極的な状態(避けたり、億劫に感じたり、閉じこもったり)の方になるといったふうに、です。

これはつまり、どんなに物理的に安全な状況、環境を用意されたとしても、内側の状態が変わらない限り、危険や脅威だという世界観の中にいることになり、腹側迷走神経がうまく機能できず、交感神経や背側迷走神経が日常的に用いられてしまうことが起きるということです。

 

それでは、内側の状態を変えて、安心安全の感覚を回復していくためにはどうしたらよいのでしょうか?

 

安心安全の感覚の回復のために必要なこと

過去の物語、過去の自分との同化から抜けて、今ここに戻る

私たちが苦しんでいる時というのは、ビリーフやセルフイメージをすっかり信じ、同化している時です。ビリーフやセルフイメージを信じている時というのは、ある意味、そのビリーフを持つに至った過去の体験(物語)を生きていて、「今ここにいない状態」という言い方をしてもよいかと思います。それは例えば、いじめにあった経験から「私は迷惑な存在だ」というビリーフを持つに至った人がいた場合、今冷房のきいた快適な安全な空間にいるにもかかわらず、いじめられた体験(物語)の中の自分になっていて、周りは私を受け入れてくれているのか?と不安を感じ、自律神経も巻き込んで緊張をしているようなものです。

 

このような状態は、今、実際に起きていることを完全に見過ごしている状態とも言えるでしょう。ですから、過去の体験(物語)から出るためには、「今」に戻る必要があるということです。

そのためには、今実際に体験していることに目を向けることです。

例えば、

・ソファに座っている時の背中が背もたれにあたっている感覚とか、
 
・コーヒーの匂いが鼻腔一杯に広がっている感じとか、
 
・呼吸のリズム
 
に注目をしてみるのです。

 

身体の中にあるエネルギーを解放する

また、私たちが、過去の体験(物語)を信じてしまうのは、その時に感じていた感情―感覚―思いを身体に保持しているからでした。

 

ちなみに、野生の動物たちは脅威に遭遇し、闘うことも逃げることもできないとなった場合、背側迷走神経系の凍りつきモードを作動させて、「仮死状態・死んだふり」をして生命を維持します。そして、脅威が去ると、身体を震わせて、凍りつきのときに身体にためこんだエネルギーを放出して、背側迷走神経系からニュートラルな状態に戻すのです。

しかしながら、私たち人間の場合は、文化的背景などから、震えはよくないものとみなし、脅威を感じた際に閉じ込めた感情―感覚―思いを解放せずに、とどまらせてしまうのです。よく、フラッシュバックで、当時をありありと思い出したりするのは、身体に解放されていない感情ー感覚ー思いがあるためです。

 

このような心のしくみの観点からも、神経系システムの観点からも、心も身体も「脅威は終わった」と感じるためには、身体に働きかけて、身体にたまったエネルギー(感情―感覚―思い)を解放することが必要であることが理解できるかと思います。

 

ちなみに私は、身体にある経絡を刺激しながら、抑圧された感情―感覚―思いを解放していけるEFTやマトリックスリインプリンティングといったセラピーをセッションで使いますが、上記のしくみからも理にかなっているなと思います。

 

腹側迷走神経系が未発達だと、安心安全の感覚があまりよくわからない

前回の記事にも書きましたが、腹側迷走神経は、生れながらに持っているものではなく、生育の過程で発達していくもので、養育者から十分なケアを受けられたという感覚があったかどうかがこの発達に関連があるのでした。

また、私たちは生まれてから6、7歳までの間に、家庭内の雰囲気、エネルギーをスポンジのように吸い込んで育つとも言われます。ですので、何かはっきりとわかる形でのニグレクトや虐待などがなくても、腹側迷走神経の発達が阻まれた場合、自分自身の中に安心安全な感覚が持ちにくいままとなり(そもそもわからない、ということもあるでしょう)、それが生きづらさにつながってしまいます。安心安全な感覚がよくわからない中で、それでもなんとか自分一人で生き残れるようにと、背側迷走神経による防衛反応を優先的に作動させるので(こうした中で、なんらかのビリーフやセルフイメージも持つことにもなるでしょう)、「生命の維持」は確保はできますが、社会的交流のモードなどからは遠ざかってしまいますから、人との関わりが難しくなったり、孤立感が高まったりと「いつもなんだか生きづらい」ということになってしまうのですね。

 

また、このような安心安全な感覚が脆弱だと、「危険なことに遭遇したとしても、いつかは安心を感じられるところに自分は戻ることができる、いつかはこの不安感は終わる」という確信や信頼を持ちにくくなるとも言われています。自分自身の中での「自分は大丈夫だ」という感覚がうすいと、安心を与えてくれるものを外に求めることをし続けないといけなくなります。そしてそれをしている限り、自分自身の中に安心安全な感覚を得ることはできないのです。このことからも、生きづらさや苦しみから解放されるために、自分の中での安心安全な感覚がわかっているかどうかが鍵になることも理解できるかと思います。

 

では、このような腹側迷走神経系が十分に発達しなかった場合、どのようにしたらよいのでしょう?

 

安心安全の感覚を育てなおすために必要なこと

それには、腹側迷走神経複合体」に注目してみるのです。

腹側迷走神経複合体は、腹側迷走神経だけでなく、顔や、喉、耳、頭に分布される神経類と形成されているのでした。

つまり、横隔膜から上の部分にある部位を活性化していくのです。

 

例えば、

・顔のマッサージ
 
・バーボーブーと口、表情を動かしながら声を出す
 
・ハミングする
 
・深い呼吸を意識する(特に吐くのを長くする)
 
・自分にとって快適と思える音楽や音に触れる
 
・安心感や安全だなという感覚を与えてくれるものと接する(自然に触れることかもしれませんし、安心できる人やペットとの交流などかもしれません。)

 

いくつかご紹介をしましたが、浅井咲子さん著「不安・イライラがスッと消え去る『安心のタネ』の育て方」にたくさんのエクササイズが紹介されています。参考にされてみるとよいかと思います。

 

まとめ

2回にわたって、自律神経のしくみと心がもつしくみとの関係から「安全な環境」とは何なのかを理解するとともに、安心安全の感覚をどう回復したり、育てなおしていくのかについて見てきました。

 

私たちの中に、安心安全の感覚を持てていると(持てるようになると)、(これまで)防衛(闘うか逃げるかの防衛や、凍りついての防衛)のために奪われていたエネルギーを、本来使うべきところに充てることができます。

それは、苦手な状況や嫌いな人が減って、臆せず人との関わりがもてるようになったり、
リスクを恐れずにチャレンジしてみようというやる気がわいてきたり、
安心して一人寛ぐことができる(凍りつきの休息とは違う休息のしかたで休める)
といったように、です。

 

このように、心も身体も「安心」を感じられるところから立ち現れてくる自分らしさから、他者と関わったり、物事にあたったりしていきたいですね。

 

参考文献:
「『ポリヴェーガル理論』を読む からだ・こころ・社会」津田真人著(星和書店)

ポリヴェーガル理論入門」ステファン・W・ポージェス著(春秋社)

「不安・イライラがスッと消え去る『安心のタネ』の育て方」浅井咲子著(大和出版)

 

 


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心身の健やかさをもたらす3つの自律神経と安心安全の感覚(前編)

2022年8月9日

今回は、自律神経と心の働きについて2回にわたって書いていきたいと思います。

最近、自律神経についての新しい発見があり、注目を集めています。なぜなら、その新しい発見によって、トラウマ、鬱、発達障害、不安障害などの様々な症状や状態について、自律神経の働きとの関連で、容易に説明がつくようになったからです。これは、私たちがどうして苦しむのかの謎を解き明かし、そして、そこからどう回復していくのか、何をすればよいのかの道筋も与えてくれるのです。

 

第1回目の今回は、まず、「自律神経」の新しい発見について見ていきましょう。

 

身体に働きかけるボトムアップのアプローチという潮流と新しい発見

 

「心と身体はつながっている」とよく言われますが、特に、昨今の心理学や心理療法の世界では、身体に働きかけるアプローチが、これまでの認知や思考に働きかける頭へのアプローチに代わって、「第4の波」とも言われたりしています。

 

これまでの認知や思考に働きかける頭へのアプローチが「トップダウン」のアプローチだとすれば、身体に働きかけるそれは「ボトム」からのアプローチだと言えます。

例えば「自分はもう大丈夫」といった新しい思いや解釈を持てるのは、不安感や落ち着かない感覚などが解消されて、新しい思いや解釈とマッチした身体の感覚や感情が伴うときです。そして、これまでの記事でも書いてきたとおり、感情や思いを解消したり、動かすには、それらを感じている身体への働きかけが必要でした。

 

また、私たちは、潜在意識にある普段気づいていない思い(ビリーフや思い込み)や感情に支配されていますので(それらを生きているので)、新しい思いや解釈を持てるようになるには、できるだけ意識の深い層にある思いや感情にアプローチをして、変容を起こした方がよいのでした。その際にも働きかけるのに必要なのは、身体をよく感じるということでした。

 

このように、自己の変容には身体に働きかけるアプローチが有効であり、「頭で納得しよう」といった形ではない、自然で、深い変容を可能にさせるという点において、ボトムアップのアプローチが注目されているということなのでしょう。

 

こうした潮流の中にあって、今回の自律神経についての発見は、心身の健やかさをどう保つのかについて、身体の機能という切り口からも裏づけたという意味でも「新しい」発見だと言えるのです。

 

自律神経についての新しい発見

 

それではまず自律神経の新しい発見から見ていきましょう。

 

これまで自律神経には、活動や緊張のモードと関係がある交感神経とリラックスやくつろぎと関係がある副交感神経があって、それらが互いに調整をしながら働いていると考えられてきました。

しかし最近、副交感神経には2つの真逆な働きがあると提唱する「ポリヴェーガル理論」が登場しました。

それによると、副交感神経は、その80%を迷走神経が占め、あらゆる臓器に広がっているそうなのですが(※下記図を参照)、この理論の名前にあるように副交感神経の多くの部分を占める迷走神経は多重(「Poly」)であり、「背側迷走神経」と「腹側迷走神経」に分けられる、というのです。

※元々、迷走神経は、この図にあるように、脳幹から出て、頭部(顔)、首、喉、胸、お腹まで広く分布している(迷走している)ので、このような名前がついているそうです。

つまり、自律神経系は、
交感神経系背側迷走神経(複合体)腹側迷走神経(複合体)という3つからなり、
それぞれが補完しあいながら、環境に適用できるよう作用しているのだそうです。

 

ひとつずつ順を追って見ていきましょう。

 

背側迷走神経は、延髄の背中側から出て、主に横隔膜から下の器官に到達します。

背側迷走神経複合体は、背側迷走神経と、求心性迷走神経(内臓から延髄内の孤束核に入ってくる神経ネットワーク)から形成されており、背側迷走神経は、危険に遭遇にしてどうすることもできないときに働き、私たちはフリーズします。「フリーズ」というと一見ネガティブに聞こえるかもしれませんが、フリーズすることにより生命を守ることができるので、大切な働きでもあるのです。

 

一方、腹側迷走神経は、延髄のお腹側を起点として、横隔膜より上にある器官(心臓、肺、喉)に到達します。

そしてこの腹側迷走神経は、顔面神経や三叉神経、舌咽神経、聴神経などと連動して「腹側迷走神経複合体」を形成しているのですが、これによって、豊かな表情をつくったり、声のトーンを変えたり、人の目を見たり、人の話を聴いたりしながら円滑な社会的交流を図ることができるのです。

 

また、この理論では、それぞれの神経系を進化の過程からも説明をしています。

 

一番古いのが「背側迷走神経系」で脊椎動物の始めから存在し、
2番目が「交感神経系」なのですがこれは魚たちの誕生とともに登場し、
一番新しい「腹側迷走神経系」は哺乳類以降の動物が獲得した神経系だそうです。
哺乳類は、相手の声のトーンや、表情を見たりしながら関係性を構築していきますが、これを可能にするのが、この腹側迷走神経であることから、この神経系は「社会神経系」とも呼ばれています。

3つの神経系の働きは?

 

腹側迷走神経は、「社会神経系」と言われるように、人や環境に対して安全と感じられる環境で、「社会的な交流、関わりをもった休息や緩み」の時に働きます。例えば、家族や親しい仲間と会話をしたり、楽しい時間を共有している時などにこの神経系が作動しています。

また、腹側迷走神経は、生れてから18カ月は存在しないため、その期間は、親や家族などの養育者からのケアを十分に受けていると感じられているかどうかが、この神経系を発達に大いに影響があるとされています。

 

一方、安全な環境から一転して「脅威だ」と感じられた場合、「闘うか、逃げるか」のモードに切り替わりますが、その際に作動しているのが、交感神経系です。腹側迷走神経から、交感神経が優位になり、緊張が起こります。動悸が早くなったり、血圧が上昇したりなどは、この作用によるものです。脅威ある環境の中で、文字通り、闘うのか、逃げるのかという「能動的な」防衛をするために使われる神経系と言ってもよいかと思います。

 

さらに危険な状況の中で、闘うことも逃げることもできない「生命の危機」となった場合、背側迷走神経が交感神経に代わって優位となり、私たちは、「フリーズ」します(凍りつき)。「生命の維持」という「受動的な」防衛反応に切り替わるので、「社会的な交流や関わりをもたない休息(人との関わりを避け、閉じこもる)」となります。いわゆる鬱や引きこもりといった状態の時はこの神経系が支配的に働いている時と言えるでしょう。

 

このように、3つの神経系は、「安全な状況、環境」、「脅威のある状況、環境」、「生命を脅かされる状況、環境」を感知、検出して(ポリヴェーガル理論では、「ニューロセプション」が選択しているという言い方をします)作動しており、安全→危険→生命の危機に応じて、上記の順番(腹側→交感→背側)のように階層的に出現します。

 

「階層的に出現する」と書きましたが、例えば、腹側迷走神経から交感神経への移行は以下のように出現します。腹側迷走神経は交感神経の急激な高まりを抑えるブレーキの役目も持っているので、「本当に危険だ」とわかるまでは、交感神経を抑制し、危険とわかった時点で初めて、このブレーキを緩めて、交感神経を作動させるという働きをします。私たちは、日ごろ、安全な環境だと判断される場合、安心して人と関わったり、活動をしたりしていますが、これは、腹側迷走神経複合体が作動した「社会交流のシステム」と、ちゃんとブレーキがかかった状態の交感神経系が上手くバランスがとれた状態で作用しているからなのですね。

 

このことを心と身体の苦しみという観点からとらえるならば、

安全な状況、環境で作用する腹側迷走神経優位の状態から、

危険な状態で作用する下層の交感神経、背側迷走神経系優位の状態への移行が急激なほど

 

また、腹側迷走神経優位の状態から遠ざかれば遠ざかるほど~つまり、交感神経系の「闘うか逃げるか」の防衛システムが優位になったままの状態や、背側迷走神経複合体の「凍りつき」の防衛システムが支配する状態から戻ってこれないほど~

 

心身の苦しみは深まるということです。

 

このように、私たちの心と身体の健康を維持するためには、3つの神経系が上手く制御したり、拮抗しあったりしてバランスよく機能していることが重要であるということです。特に、闘うか逃げるかの交感神経系優位の状態やフリーズ(凍りつき)の背側神経系モードから戻ってくるうえでも、社会神経系(腹側迷走神経)がうまく働いていることが大切であり、さらに、その社会神経系がきちんと働くかどうかは、状況や環境が安全であると判断されているかどうかにかかっている、ということもわかるかと思います。

 

ここまで、自律神経の新しい発見についてと、心身の健康にとって、腹側迷走神経がきちんと機能していること、その鍵は安全と思える状況や環境が必要であることを3つの神経系の出現の仕方から解説してきました。

 

次回は、さらに、腹側迷走神経を機能させたり、整えていくことと安全な環境とはどういうことなのかを、心との関係から見ていきたいと思います。

 

参考文献:
『「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会』津田真人著(星和書店)

 

 


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苦しみを解決するには感情をみてみよう! その2 思い込みやビリーフの解体に必要なこと

2022年1月28日

前回の記事では、苦しみから解放されるには、「能力がある自分になる」「繊細でない私になる」という方向ではなく、どうして私は「能力がないとダメだ」「制裁だとダメだ」と信じているのか? どんな経緯、理由があったのか? を自身が理解していくことがカギとなる、ということから、まずは、私たちの中になぜこのような思い込みやビリーフが生まれるのか、その仕組みを見ていきました。

 

私たちの思い込みやビリーフは、体験を通して形成され、その体験の中にあるものは、思いや感情、感覚、ストーリー、イメージなどとともに客観的な判断をされることなくダイレクトに潜在意識へと埋め込まれていくものであることを、発達の観点や脳波との関係からも理解していただけたかと思います。

 

 

今回は、いよいよ、その思い込みやビリーフが自分を苦しめている場合、どうやってその思い込みやビリーフから自由になっていくのか、それをみていきたいと思います。そのために、体験の中にある思い/解釈や感情、感覚、ストーリー、イメージをどのように解体していくのかについて、【感覚―感情―思い/解釈】の関係を紐解きながら解説していきたいと思います。

 

ビリーフを構成する【感覚―感情―思い/解釈】

ビリーフは、経験した事実に対しての、感覚、感情、思い/解釈が合わさってできています。

前回の両親が不仲の家庭の例で考えてみましょう。例えば、自分の目の前で、お父さんがお母さんに対して「〇〇と言っている」。それに対してお母さんが「△△だと言った」、という状況に対して、子供は、ビクビクし(感覚)恐怖感(感情)を感じながら、「お父さんとお母さんが喧嘩している」(思い/解釈)ととらえながら見ます。

 

これらの感覚―感情―思い/解釈の発動は瞬時に、そして同時に起きています。このビクビク(感覚)―恐怖感(感情)―両親が喧嘩をしている(思い/解釈)から、例えば、「世界は安全ではない」といった思い込みや、「自分は守ってもらえない存在」といった自分への解釈/セルフイメージを持つに至っていくのです。

 

ちなみに、物事をとらえる際に、私たちは、体感型、感情型、思考型といった風に優位に働くチャンネルの違いがあり、どれが優位に働くかのタイプの違いによって、思考よりも感覚を先に感じるとか、思考で捉えるのが先など、感じ方の順番の違いが生じます。とはいえ、基本的に事実や状況に対して、感覚―感情―思い/解釈が同時に起こり、捉えている、というのは共通です。

 

 

このように、ビリーフの形成には、経験した事実に対して、その状況に対するセットで起こる【感覚―感情―思い/解釈】が関係している、ということです。

 

【感覚―感情―思い/解釈】の関係

思い/解釈を強める感情、感覚

次にこのセットの中の【感覚―感情―思い/解釈】の関係について、考察をしてみたいと思います。

 

私たちが感動したり、楽しさや充足感を感じたりしている(た)時、あるいは、ショックを受けたり、傷ついたりしている(た)時、これらには必ずそれ相応の感情や感覚の量が伴っていないでしょうか? ポジティブ、ネガティブ関わらず、心が動いた、心に残っている(った)というものは、その時に感じた(ている)感情や感覚が共にあるはずです。

 

私たちが、状況をとらえるときに起きる、【感覚―感情―思い/解釈】のセットですが、このセットの中の感情や感覚が大きいと、思い/解釈は、比例して真実味が強まります。

例えば、何かの演奏を聴いてものすごく胸が熱くなったり、鳥肌が立ったりして感動すると、「この演奏は素晴らしい」という思いになるでしょうし、両親の会話から怖さや恐れを感じると、「両親が喧嘩をしている」という思いを持つでしょう。逆に、高揚感をあまり感じていないときに「この演奏は素晴らしい!」とはならないでしょう。

また、いくら頭で「そんなことはないだろう」と納得しようとしても、どうしてもある考えから抜け出せない、という経験が誰しもあるかと思います。これも、感情や感覚が大きいために、思い/解釈を変えることが難しいことの例です。逆に言うと、この感情や感覚の量が減ったり、解消したりできれば、無理なく、自然に、この思い/解釈が変わるということです。(これを「認知のシフト」と呼びます。)

 

ちなみに、「量」という表現を使っていますが、怖さと悲しさなど様々な「種類」の感情や感覚が伴うことも含みます。様々な感情や感覚があることきも、思い/解釈の真実味は強まります。

 

つまり、私たちが状況をとらえる時には、【感覚―感情―思い/解釈】がセットで動き、その中で感情や感覚の量や種類が多いと思い/解釈の真実味が強まり、ひいては、そこから持つことになる思い込みやビリーフをあたかも真実かのようにさらに信じていく、という流れ、つながりになっている、ということです。

 

思いと感情と感覚は、栄養を与え合う

【感覚―感情―思い/解釈】の関係について、世界的に有名な精神的リーダーであるエクハルト・トールは、その著書『ニュー・アース』の中で、思いと感情と感覚との連動作用の観点からも述べています。

 

「思考と不可分なものとして、もう一つのエゴの次元がある。感情だ。・・・・(中略)・・・身体は頭の中の声が語る物語を信じて反応する。この反応が感情である。そして今度は感情が、感情を生み出した思考にエネルギーを供給する。これが観察も検討もされない思考と感情の悪循環で、感情的な思考と感情的な物語づくりにつながる」(『ニュー・アース』サンマーク出版、p.147)

 

 

例えば、ある人に「これ知ってる?」と言われたとき、「あの人は私をバカにしている!」という頭の中の声を信じている(思考)と、怒りや辱めを受けたような反応(感情や感覚)が起き、これらの反応がさらに自分の頭の中の声を信じ込ませて、「ほら、やっぱり私をバカにしている!」とさらに自分のストーリーにはまっていってしまう、という状態のことです。

 

このように、感覚、感情、思い/解釈は、お互いに連動して、栄養を与え合う、という性質があるのです。これが、ポジティブな場合はよいのですが、ネガティブな連動の場合は、相当苦しくなってしまいます。ですから、思考と感情、感覚の連動作用を緩やかなものにして、悪循環にならないようにしていくことが、苦しみから抜けるカギの一つである、ということもわかるかと思います。

 

 

このように、感情や感覚の量や種類が多いと思い/解釈の真実味を強めること、感覚―感情―思い/解釈はお互いに連動して栄養を与え合う、ということからも、苦しいビリーフ(解釈)を形成する【感覚―感情―思い/解釈】のセットの解体には、感情、感覚にアプローチしていくことが大切だ、ということが見えてくるかと思います。

 

感覚や感情を解放するには体に働きかける

それでは実際に、感覚、感情にはどのようにアプローチをしていけばよいのでしょうか?

 

私の行っているセラピーでは、【感覚―感情―思い/解釈】が発動している「体」そのものに働きかけることを行います。なぜなら、何かの体験をするとき、私たちは体(頭も含む)を通してそれを体験しているからです。例えば、両親の言い合いの状況についての、ビクビク(感覚)―恐怖感(感情)―両親が喧嘩している(思い/解釈)のセットは、体がなければ何を感じ、思っているかがわからないはずです。

 

体が感覚を感じる媒体であることは、わかると思いますが、体と感情とも、密接な関係にあります。

このことは、私たちの感情と姿勢の関係を考えてみるとわかりやすいと思います。

例えば、嬉しい時は、自然と笑みが出て飛び回りたくなったり、小躍りしたくなったりし、 一方で、悲しい時は、肩が落ちたり、うつむきかげんになったりするといった具合です。逆に、下を向いて背を丸めて嬉しさを味わえといっても、なかなか難しいですし、小躍りしながら悲しさを感じろといっても、これも難しいと思います。

また、例えば、災害のトラウマなどがある場合、頭ではもう終わったことだ、時間がたったのだから、と思っていても、本当の意味で解決していないのは、「それはもう終わったこと」「自分はもう大丈夫」といった新しい思い/解釈を持つための体の感覚や感情が伴っていないからだと考えられます。

 

 

このように、苦しみを生み出している思い込みやビリーフがあればあるほど、感覚や感情を解放するために、体に働きかける必要がある、ということが、このことからもわかるかと思います。

 

そのために、私の場合は、体の所定の経絡(つぼ)をトントンと刺激しながら、感覚や感情を解放し、【感覚―感情―思い/解釈】のセットの解体ができるEFT(Emotional Freedom Technique:感情解放のテクニック)というセラピーを使用したり、EFTの発展型のマトリックスリインプリンティングという療法も使用しています。

 

現在、多くの心理療法が開発され、利用することができる環境になってきていると思います。

 

その中で、私たちが苦しくなるときに、

 

・苦しみをもたらす思い込みやビリーフは体の奥深くにある
 
・思い込みやビリーフは、【感覚―感情―思い/解釈】のセットによって成り立っている
 
・感情、感覚の量や種類の多さが、思いを強めたり、連動してストーリーへと発展させていく

 

という仕組みがある、ということをベースに、体に働きかけながら、思い込みやビリーフを形成している【感覚―感情―思い/解釈】のセットにアクセスでき、感情や感覚を解放、変容できる療法を選んでいくとよいでしょう。

 

解体のプロセスは自分への愛

今回は、その1,その2と二部に分けて、苦しみとなる思い込みやビリーフをどのように解体していくのかについて解説してきました。

 

解体のプロセスは、気づいていなかった感覚、感情、思い/解釈に気づいていく、理解していくという、自分へと向けられる愛がベースになっているとも思います。

私たちは、苦しい時ほど、「能力のある私になる」や「繊細でない私になる」といった外に求める方向、言い換えるとさらに自分を痛めつける方向に行きがちですが、上記の自分の内側を見るという自分へ愛を向けることをベースにして、自分がなぜ信じてしまっているのか、どんな経験があったからなのか、それらの中身(【感覚―感情―思い/解釈】のセット)は何なのかを、自分がまず自分の理解者になる方向で、自分に向き合っていってあげたいですね。

 

ビリーフから生まれる悩みと実際のセッションではどう扱うのか?
 

ちなみに、思い込みやビリーフ、例えば「私は能力がない」、「私は醜い」、「私は嫌われ者」、「私は繊細」などというのは、潜在意識の深いところにあるので、普段は気づいていません。そして、悩みとして表れる時には、「嫉妬してしまう」、「比較が走ってつらい」、「みんなが私を受け入れてくれない(他者ばかりが受け入れられているように思える)」、「いつも自分でいられなくなる」などといったようなものになります。

 

ですから、悩みから解放されるためには、悩みを生み出すコアな思い込みやビリーフを見つけていく必要があります。そのためには、潜在意識にアクセスするために、前回の記事でも書いた心の階層を下りることを可能にする「気づきの問いかけ」を使ったり、体に働きかける心理療法(セラピー)が必要となるのです。

 

 


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苦しみを解決するには感情をみてみよう! その1 思い込みやビリーフはどう作られるのか

2022年1月12日

前回の記事では、自分の中に自己否定があると苦しむメカニズムについて見てきました。今回は、さらに一歩進めて、そのメカニズムで大きな役割を果たす「思い込み」や「ビリーフ」について、見ていきます。

 

自己否定で苦しむメカニズム

前回の記事では自己否定は、自分がよしとしない思いや感情を自分が持っていること自体を受け止めたくないために起きるということをお話ししました。

 

自分にとって持っていたいか、いたくないか(否定するかしないか)は、これも、以前の記事で書きましたが、私たちの中に根源的に死への怖れがあるため、どれぐらい死への怖れが刺激されるか、によって決まるのでした。例えば、「私は能力がない」、「私は醜い」、「私は嫌われ者」、「私は繊細」などという思い込みやビリーフがあったとして、これらが生き残りの可能性を低めると解釈されると、持っていたくないものになる、否定したいものになる、というわけです。

 

ある人は、「私は繊細だ」という思いがあっても、あまりネガティブにとらえていないのに、ある人にとっては、とても否定的に響いてしまう、という違いがあるのは上記の怖れが刺激される度合いの違いなのです。

 

「私は〇〇だ」という思いが人によってとらえ方、響き方が違うということは、これは、絶対的なものではなく、「能力がない」「繊細だ」といっても何をもって「能力がない」「繊細」というのかも人によって違うでしょうから、私たちは、それぐらい、相対的で、非常にあやふやなものを信じていると言ってもよいかと思います。

 

ですから、苦しみから解放されるには、「能力がある自分になる」「繊細でない私になる」という方向ではなく、こんなに相対的であやふやな思い込みであるにもかかわらず、どうして私はそれを信じているのか? どんな経緯、理由があったのか? を自身が理解していくことがカギとなります。

 

そこで、今回は、まずは、私たちの中になぜこのような思い込みやビリーフが生まれるのか、その仕組みを見ていきたいと思います。

そして、その仕組みがわかれば、どのように思い込みやビリーフを解放していけばよいのかについても理解ができます。一緒に見ていきましょう。

 

体験を通して作られる思い込み、ビリーフ

私たちは、自身が経験したこと、見たこと、聞いたことなどを通して、思い込みやビリーフを形成していきます。
子供から、大人へと成長していく過程の中で、私たちを取り巻く家庭や学校の環境での体験、友人・交友関係での経験、社会にある常識や価値観などが、私たちの思い込みやビリーフの形成に影響を及ぼします。

 

子供時代というのは、家庭や幼稚園、保育所、学校での生活というのが、子供の世界の大半を占めている時期であり、様々な情報や価値観、世界観に触れられる機会が少ない時期です。そのために、起きた事柄への判断が客観的にできにくく、誤った解釈、認識などもストレートに信じこんでしまう時期とも言えます。

 

例えば、両親の間でのケンカが絶えないなど、家庭の雰囲気がピリピリした中で育った場合、安心安全の感覚が養われないままとなり、「社会は安全ではない」といった思い込みや、親が不仲なのは自分のせいだと思いこみ、その結果、「私は愛されない存在、いらない子」といったビリーフ(セルフイメージ)を持ちやすいことになる、ということです。もし、虐待やニグレクトがあった場合など、ビリーフ形成にどれだけの影響があるかは想像に難くないでしょう。

 

それに加えて、特に発達の段階では脳波も大きく関与していると言われています。
私たちの脳波ですが、4つの状態に分けられ、通常の状態は、ベータ波。リラックスしている時は、アルファ波が出ています。瞑想状態や浅い眠りの時はシータ波で、深い眠りの時の脳波はデルタ波です。

 

私たちが生まれてから6,7歳までの脳波は、
生まれてから2歳までは、主にデルタ波と言われ、2歳から6,7歳にかけてはシータ波が増えてくる時期と言われています。
つまり、6,7歳までの期間、デルタ波とシータ波が占める子供の脳は、催眠状態のようにあらゆる情報を吸収し、刷り込みや主観的にとらえた信念や考えを潜在意識にダイレクトに蓄積していくのです。

 

このように、6,7歳までの時期と思い込みやビリーフ形成には、深い関係があることが理解できるかと思います。

 

思い込みやビリーフを形成する体験の中にあるもの

思い込みやビリーフは各自の体験をもとに形成されるということを考えると、「私は愛されない存在だ」という一見同じビリーフを持っている2人の人がいたとしても、そのビリーフとともにある思いや感情や感覚、ストーリー、イメージなどはそれぞれ違うものである、と言えるでしょう。

 

前述の「私は繊細」というビリーフのとらえ方が、ある人はあまりネガティブにとらえていないのに、ある人には否定的に響いてしまうと書きましたが、それは、このように、このビリーフを形成した体験の中にあるものが違うためなのです。そして、体験の中の思いや感情、感覚、ストーリー、イメージが、死への可能性に近ければ近いと解釈されるほど、思い込みやビリーフは、苦しいもの、否定したくなるもの、持っていたくないものになってしまう、ということです。

 

このような仕組みがあることを踏まえると、私たちに苦しみをもたらすと思える思い込みやビリーフから自由になるカギは、思い込みやビリーフを形成した体験の中にある思いや感情、感覚、ストーリー、イメージを解体していくことなんだな、ということも理解できるのではないかと思います。

 

ちなみに、この記事内で挙げている「私は能力がない」、「私は繊細」、「社会は安全ではない」「私は愛されない存在だ」などの思い込み、ビリーフ(セルフイメージ)は、潜在意識の中にあるため、普段は全く気づいていません。
これらの思い込みやビリーフを見つけるために、心の階層を下りていきながら、これらを探ることができる問いかけ(「気づきの問いかけ」と言います)を使用しています。

 

次の記事では、どのように体験の中にある思いや感情、感覚、ストーリー、イメージを解体していくのかについて、思いー感情―感覚の関係を紐解きながら解説していきたいと思います!

 


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苦しみの根本の原因がわかると、本当に楽になる

2021年12月12日

私たちは、自分の中に自己否定があると苦しむ、というしくみを持っています。
基本的に不快な感情や感覚は感じたくないと思っていますので、ネガティブな思いや感情、反応が出ている時に、そんな自分を否定したり、バッシングしてしまいがちです。そして、それによりさらに苦しみが増す、ということになってしまいます。

では、こうした、ネガティブなや感情、反応がでたときに、抵抗したり、否定的に見ないでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?

まずは、私たちの心の仕組みを、詳しくみていきましょう。

 

 

私たちの心は構造的で論理的

みなさんは心のことってどんな風にとらえていますか?なんとなくふわっとしたものととらえている方も多いのではないかと思います。

ですが、実は、心は、この思いがあるから、この思いが生まれて、その思いに従うからこういう言動になる、といった風に、すごく構造的(階層になっている)かつ論理的なものなのです。

例えば、潜在意識で「私は人を不快にさせる存在だ」と信じていれば、「自分の主張はしない方が安全だ(主張は控えるべき)」といった思いが生まれ、主張や表現をしなくてもよいような、浅い人間関係を築いていく、という傾向になるでしょう。

ちなみに、こういう傾向の中ででてくる悩みの例としては、「人との関係が深まる感じになると怖くなってしまう」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」とか、「(こんな私と)つきあってくれた人のことがどうしても忘れられない」といったようなものです。

 

一方で、「私は受け入れてもらえる存在だ」と信じていれば、そこから生まれる思いや、その思いからの言動は、前者とは全く違ったものになることがわかるかと思います。

 

このように、心は潜在意識にある思い(ビリーフやセルフイメージ)から、顕在意識4%の部分へと階層的につながっていて、このビリーフやセルフイメージとマッチする形で、4%の領域に私たちの行動、判断、世界や人の見え方が表れるのです。

 

 

わかっていないから苦しい

その一方で、前回の記事でも書いたとおり、私たちは、4%の領域の思いや感情にしか気づいていないので、それらがどのビリーフやセルフイメージから生まれていて、どんな階層の思いで構成されているのかについてわかっていません。

つまり、「人との関係が深まる感じになると怖くなる」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」、「つきあった人のことがどうしても忘れられない」という反応についてはわかるのですが、どうしてそのような反応になるのかの本当の理由には気づけていないのです。

 

私たちは、基本的にわからないものに振り回されるというのは、非常に気持ちが悪いと感じます。

そこでこの気持ち悪さをなくしたいという思いが働いて、気持ち悪さを感じている自分に抵抗したり、否定したりする力が働くので、苦しくなってくるのです。

 

これは、言ってみれば、雨漏りで部屋が水浸しになっているから、雨漏りの原因や場所を特定して修繕をしないといけないのに、この物件を紹介した不動産会社に文句を言ったり、この物件を選んだ私がバカだったと自己憐憫に浸るばかりで、雨漏りの対処をせず、雨漏りがさらにひどくなって水浸しになっている(苦しくなる)、といったことと同じかもしれません。

 

苦しんでいる自分自身に優しくしてあげることができればいいのに、それがなかなかできにくいのは、こうした心の動きによるものです。

 

ですが、反対に、その苦しみの理由がわかれば、自分に影響を与えていたビリーフやセルフイメージは、振り回す力を失い、単純に「向き合う対象」へと変わります。雨漏りの原因や箇所が特定できれば、雨漏りが力を失うのと同じです。

 

スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分が何がほしいのかわからないものだ」と言っています。実際、自覚されていなかったものが、見えたときに、「あ~そうそう、これこれ!」とか、「そう言えばそうだったかも」と思って、妙に納得できたり、ストンと腑に落ちた感覚になった経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。

それと同じで、ネガティブな感情や反応が起きる本当の理由がわかると、自分の言動や動きがビリーフやセルフイメージに基づいたものだったということが理解できますし、そう理解できると、怖かった私、腹を立てていた私、忘れることができなかった私に対して、「だったらしょうがないよね」と自然と受容の気持ちが起きていきます。

 

 

ピンポイントの原因特定が苦しみからの解放につながる

このように私たちの心は、顕在意識4%の部分に悩みや反応となって現れる「潜在意識にある思い込み」(ビリーフやセルフイメージ)をピンポイントに解き明かせれば、これを変容させていけばよいのだな、とわかるので、落ち着くことができます。

 

では、心の階層的な構造を辿りながら、ピンポイントのビリーフやセルフイメージを見つけるためには、どうしたらいいのでしょうか?

 

それには、まず階層の一番上に出てきている4%のものに気づくことから始まります
自分の言動、反応、解釈に気づくことです。

例えば、捻挫の場合は、筋がどんな風にねじれたかがレントゲンなどでわかりますが、心は、心を映し出すレントゲンがないので、自分がレントゲンの目にならないといけません。

 

そして、「階層」を意識するということも大切です。つまり、「今この反応、解釈がでているけれども、ということは、何か前提としている解釈や思いこみがあるということだな」と立ち止まったり、「ということは、どういうことなのだろう?」という問いを立ててみたりすることです。そのことにより、心の下の階層へとおりていくことができます。

 

 

私たちは根源的にどんなものも赦している

「なぜ苦しかったのかの理由はわからないけど、なんとなくラクになりました」はもちろんよいですし素晴らしいことです。でも、本当の意味でラクになるのは、苦しみを生んでいた原因を見つけ、また、それをなぜ信じていたのかを理解できた時だと思います。

なぜなら、そうすることで、雨漏りの原因が取り除かれ、それが再び水浸しになることを防ぐことができるばかりだけでなく、雨漏りや水浸しという状況の被害者意識からも抜けだせるからです。

私たちは根源的にはどんなものも赦すことができるクオリティを持っているはずなのです。しかし、ビリーフやセルフイメージを信じることから生まれる怖れが大きいと、そのクオリティは見えにくくなっています。「どんなものも赦している」というクオリティへ至るには、「見つけ」、「理解していく」が大切になってきます。なぜなら、私たちの中にある怖れは、見つけられ、理解され、赦しや愛へと変容することをずっと待っているのですから。

 

 


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今の自分にOKが出せない理由

2021年11月19日

自分自身を振り返ってみても、私たちは、今の自分にOKを出すことが難しく、自分の足りないところを埋めようと、知識やスキルをつけようと懸命になったり、解決策を見つけようと必死になったりしがちです。でも、いくらそれをやってみても、本当の意味での安心感は得られません。
どうしてそんなことが起きるのでしょうか?そして、本当の安心感を得るには、どうしたらいいのでしょうか?

 

思い込みを強める「怖れ」の正体

たとえば、あなたが、「自分は気がきかない」と心の深いところで信じているとしましょう。

この思いを信じているあなたが仕事をする場合、どのような行動になるでしょうか?

 

・抜けがないように気をつけようとする

・機転がきく部下が気になってしまう

・全ての仕事の依頼を引き受けようとする

・困っている人がいないかいつも周りを気にしている……などをするかもしれません。

 

この行動へと向かわせるのは、潜在意識にある「自分は気がきかない」という思い込みです。思い込みなので、事実ではありません。事実は、「私がオフィスのデスクに座っている」「私が〇〇の仕事をしている」「私が△△のプロジェクトに関わっている」といったことです。一方で、こうした思い込みを信じ込む背景には、私たちが持つ「怖れ」の存在があります。この怖れの正体は、実は「死」なのです。

 

この「死」には、2つの種類があります。一つは「肉体の死」もう一つは「精神の死」です。肉体の死とは、文字通りに肉体を失うことで、現在の先進国では、動物に襲われたりすることはない反面、かなりの部分は経済的に食べられなくなってしまうことを指しています。精神の死は、仲間から受け入れられなくなったり、評価されなくなり、自分の存在価値がなくなったと感じて精神的に死ぬことを意味します。

 

気がきかない、ということは、仕事を失って稼げなくなって肉体的に死ぬことにつながりますし、役に立てず、評価を失って精神的にも死ぬことにつながります。ゆえに、気がきかない状態から脱出したい、そう思われることを避けたいと、必死になるわけです。

 

 

消えない不足感、不安感を埋めるために私たちがすること

「死」への怖れによって「気がきかない私はだめだ」という自己否定は強められ、これがないから幸せではない、これが手に入るまでは自分を認められない、といった「不足のストーリー」も生まれます。

 

・なぜ自分はできないのだろう。もっと自分に能力があったなら→資格を増やそう

・なぜこんな会社を選んじゃったんだろう。もっと自分にあった会社があるのではないか→転職活動をしようか

・もっと上司が評価してくれる人だったらよかったのに→部署変えを申請しようか

・マウントをとらない部下だったらよかったのに→あの部下とはあまり付き合わないようにしよう

・・・・・・

 

などなど、自分や相手、状況に対する不満や要望は数えだすときりがありません。

 

しかし、根本に怖れがある限り、「私は気がきかない」という思い込みから抜け出すことができないので、このようにいくら不足感を埋める行動をしても、自分では満足感や達成感を得ることができず、常に不安感が消えずに、やがて疲れ果ててしまいます。

 

 

「怖れ」から「愛」に

こうした不足感や不安感から抜け出して、本当の安心感を得るには、どうしたらいいでしょうか?

 

大切なのは、出発点を「怖れ」から「愛」に変えてみることです。それにより、間違った解釈に立った思い込みから抜けだすことができます。

 

もし「死」への「怖れ」がなければ、つまり気がきかなくても、肉体的にあるいは精神的に絶対に死なないと保証されているとしたならば、私たちはどんな風に職場に存在し、どんな行動をとるでしょうか。

 

おそらく、仕事を失わないように、や、評価を失わないようにといった視点の行為から、より「私はどうありたいか」の視点に変わるのではないでしょうか?

例えば、なぜ私はこの仕事と関わっているのかといった自分のビジョンや、このプロジェクトに携わる動機やミッション、情熱、といったことが、立ち現れてくるかもしれません。相手中心の状態から、自分主体の状態へと、変化が起きてきます。

 

 

「愛」の感覚を思い出す

ここでちょっと、「怖れ」がない状態をイメージしてみたいと思います。

 

すごく感動したり、気持ちが動いた瞬間、映画や本、芸術、食べ物などに感銘を受けた時、心を奪われるような景色や情景に触れた時のことを覚えていますか?

その瞬間、身体はどうなっていたでしょうか? 何をとらえていたでしょうか?

 

周りの音が耳に入ってこないくらいに全身でその瞬間にただいたかもしれないですね。

頭の中が真っ白、言葉を失うぐらいの何かが体を充満していたかもしれないですね。

 

この時、思考はうるさく何かを語っていたでしょうか?

怖れや欠如感がこの瞬間、存在していたでしょうか?

 

おそらく思考が限りなく鎮まっていて、ただその感動や感銘が体を通した感覚として経験されていただけではないでしょうか?

 

素晴らしくて細胞が目覚めるような感じ

わぁ~とため息が漏れるような、圧倒されるような感じ

 

などのように。

 

この限りなく思考を通さない、ただこの感覚の連続の経験、またそれを経験することができる部分が私たちの中にある、私たちそのものであるということを思い出し、そちらをベースにしてみるのはどうでしょうか?

 

苦しければ苦しいときほど、命なき命を生きる状態から、この命の輝き、生命の流れそのものであるということを思い出したいと思うのです。

 

 

イエズス会の司祭であり心理療法家でもあったアンソニー・デ・メーロが「愛とは対象がない 愛は存在そのもの」と言います。
一般的には、愛するとは、誰かや何かという対象に向かう感覚であり、対象がなければ起きないこと、というイメージかと思いますが、彼はそうした対象がなくても自分の中から湧き上がるものが愛、なぜなら私たちが愛そのものである、ということを言っていたのではないかと思います。

 

ここで、「対象」という言葉を「条件」という言葉に変え、「愛」を「感動」や「感銘」に変えてみると、わかりやすいかもしれません。私たちが感動や感銘の中にいるとき、全く条件を出すことなく、思考も通す必要もなく、ただ、命の流れや生きる力の源に手が届いていると感じることができますが、これが「愛」の感覚に近いかもしれません。

この時、怖れや思い込みの実体はすっかり薄れてしまうことでしょう。そしてまた、この時、本当の意味で、今の自分や自分が直面している状況を受け入れることもできることでしょう。

 

ワークのご紹介もしておきます♪

○○がないと、△△があれば・・といった「不足のストーリー」や不安感から抜け出すワーク
実際に起きていることに目を向けたり、感じたりしてみましょう
今ここの体の感覚に意識を向けるとやりやすいでしょう例えば、手の平を触っている感覚、椅子に座っている時の感覚に集中する

 

○○がないと、△△があれば・・の思いから自己像を見つけるワークのヒント

「それがないとどんな自分になってしまうのか?」、また「それはどんな自分だからか?」という自己像を探る問いかけをしてみます。あたかもこの自分像がいると信じているために、これがあれば、こうあってくれればという要望が生まれているからです。

 

※信じてしまうのは、そこに感情―感覚―思いがくっついているからなので、感情解放のセラピーなどが役に立ちます。

 

例えば、「誰かに助けてもらわないと無力な自分(だから)」という自己像が見えてきたとしたら、この自己像(自分)が感じている感情―感覚―思いを解放をしていくと、変容していきます。

 


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