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心地よい人間関係に必要な「境界線」① 境界線とは何か?

2025年12月26日

長瀬ランダウア社様から再びお声がけをいただきましてNLだよりに、3回シリーズで『心地よい人間関係に必要な「境界線」』についてコラムを書かせていただきました。

3回シリーズの1回目は、「境界線とは何か?」です。
本文をそのままこちらに記事として載せます。

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私たち人間は、他者との人間関係を軸にして生きる社会的な存在です。誰かとの関わりは、避けようのない営みであり、人生の大きな部分を占めています。そのため、その人間関係にストレスやしんどさを抱えると、生きづらさを感じることになってしまいます。一方で、人間関係がスムーズであれば、大方の悩みは解決すると言われます。そのために重要なものの一つが「境界線」と言われるものです。

そこで、今回から3回シリーズで「心地よい人間関係」を築くヒントとなる「境界線」という概念について書いていきたいと思います。

 

1回目は、「境界線とは何なのか?」について、境界線を越えるとはどういうことかの例を挙げながら見ていきます。

2回目は、「境界線を越えたり、越えられることを許してしまう理由は何か?」について、心のしくみから解説していきます。

3回目は、その理由を踏まえて、「健全な境界線を引くにはどうすればよいか?」について書いていきます。

人間関係での境界線とは?

まず、人間関係での境界線とは何なのか? を見ていきましょう。

境界線とは、自分と相手の間にある心理的な線引きのことです。この線引きによって「どこまでが自分の責任で、どこからが相手の責任か」「どこまで関わり、どこで距離を取るか」の区別をすることができ、お互いがそれぞれの心理的な領域を守ることができます。

これを所有地になぞらえてみます。まず、境界線によって、「どこまでが自分のもので、どこからが相手のものなのか」が分けられます。そして、自身の土地(領域)で起きることについては、各自が責任を持ちます。自分の土地で花や野菜を育て、それらを採ったり、草が伸びれば、草むしりをしたりするように、です。このように各自がそれぞれの土地(領域)で起きることに責任を持つことができている限り、関係性は安定したものになります。

ところが、庭で大切に育てていた花や野菜を、相手が勝手に入ってとったりしたらどうでしょう? あるいは、自分の土地の草を取らず、伸び放題にしたため、草が相手の土地に広がっていったらどうでしょう? おそらく、どの場合も心情は穏やかではないと思います。

土地の場合は目に見えるため、ある程度わかりやすいかもしれませんが、心の境界線は目に見えないため、気づかぬうちに、越えたり、越えられたりしてしまうことがあるのです。

 

境界線を越える例、越えを許す例

境界線は、自分が越える場合と、越えられるのを許す場合があります。以下にその例を挙げます。

●境界線を越える例

①相手の気持ちや考えを、想像したり、決めつけたりする

例:「私が独身のままだと親は悲しむに違いない」

②相手の意向を伺ったり、断る自由を与えたりしない

例:「○○しておいたから」

③相手の問題を自分が解決しようとしたり、責任を持とうとする

例:「私がやった方が早いから、私がやってあげる」

④相手の痛みに過度に共感をして、自分のものとして抱え込みすぎる

例:「病気の家族がいるから、自分は遊んでちゃいけない」

 

●境界線を越えを許す例

①自分は我慢する、自分の都合やニーズを抑圧する

例:「今とても忙しいが、いつもお世話になっているから相手の意向に応えなければ」

②波風が立たないように、自分が黙っていたり、受け流す

例:「違う意見があるが、この場の空気を壊したくないから黙っておこう」

③相手を優先することが、自分の価値を保ったり、上げられると思う

例:「役に立てているなら嬉しいから、あなたの思うとおりに進めて」

④自分で決めない、責任をもとうとしない

例:「決められてしまうのは嫌だが、自分が考えたり、動いたりしなくていいから楽だ」

⑤自分の幸せを相手に依存する

例:「私が幸せになるためには、あなたが必要」

 

境界線と三つの領域

作家で、ライフコーチのバイロン・ケイティは、私たちには三つの領域があると言っています。

それは、

●私の領域:私しかできないこと。自身の思いや感情をケアできるのは私。

●彼、彼女(相手)の領域:彼、彼女(相手)しかできないこと。自身の思いや感情をケアできるのは
彼、彼女(相手)。

●神の領域:個人の力の及ぶ範囲を超えているもの(天候など自然現象、社会現象、経済情勢など)

 

それぞれが、各自の領域に留まって、「自分ができること」に責任を持っていると関係性は安定し、反対にその責任を放棄すると、領域越えが起き、苦しみが生じます。

例えば、親が、子供が結婚しないことをいくら心配しても、いつ誰と結婚するかは、子供が決めることなので、親は自分の思い通りにならないことで苦しむことになりますし、もしこの子供の中にも結婚に対する焦りなどがあった場合は、親の言葉や態度はプレッシャーとなり、子供も苦しむことになります。また、今雨が降っている状況に対して「晴れてくれないと困る!」と神の領域で起きていることに対して闘おうとすると、決して勝つことはできないので、天候の犠牲者と感じ、苦しくなるのです。

本来、子供が結婚しないことでの不安感、結婚していないことでの焦り、晴れていないことによって生まれる感情や思いなどは、「私の領域」で起きていることなので、それらに責任を持つ(ケアする)のは、私です。「この私の思いや感情は私がケアをする」と自分の領域に留まれると、「子供が結婚をしていないこと」「親があれこれ言ってくること」「雨が降っていること」は、心地は良くないかもしれませんが、決して「苦しみ」とはならず、関係性もこじれていかないのです。

 

まとめ

「自分の領域を守る」責任を放棄すると境界線越えが起き、苦しみが生じることが理解できたかと思います。次回は、この責任を放棄してしまう理由を心のしくみから解説していきます。

 

 

 

 


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人間関係のしんどさを解決する健全な境界線③~自分を大切にしながら相手も大切にできる~

2022年11月3日

今回はこれまでシリーズで書いてきた境界線についての最後の回です。

 

今回も前回と同様に、個別のケースを出しながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見ていきたいと思います。

また最後に、境界線を越えない、越えられるのを許さないために私たちはどうしたらいいのかについても触れていきたいと思います。

 

今回は、相手に言ったり、したりしたことが良かったのか? と気になったり、自分のせいだと思ってしまう時を例に、その時の心の状態について心の仕組みから解説していきます。

 

自分の言ったこと、行ったことを相手がどう考えるか不安に思ってしまう

 

メールやラインを送って、返信がこないことに不安になったことは誰しもあるのではないかと思います。また、自分の発言やふるまいについて、後になって「あれはあの場にふさわしかっただろうか?」とか、「相手は気を悪くしているのではないか?」「相手を傷つけていないだろうか?」と疑心暗鬼になったり、いろいろ詮索してしまうという経験もあるのではないかと思います。

こうしたケースも境界線の観点から見ることができます。

相手がどのタイミングで返信をするのか、相手がこちらの言動についてどのような解釈を持ったり、反応をしたりするのかは基本的に相手の領域のことであり、相手が決めることです。しかし、それらをこちらがコントロールしたいとなってしまうと、境界線を越えることになり、不安や猜疑心などに苦しむこととなってしまいます。

 

例えば、これは私の経験談ですが、ふいに口をついて出た言葉が相手を傷つけてしまったのではないかと思い悩む時があるのですが(それはたいがい杞憂に終わるのですが)、これは、自分が他者の言葉で傷ついてきたという経験があるからなのです。自分が傷ついたことで自分を力ない存在と見てしまい、それを相手に投影するので、相手を自分と同じように力ない傷つきやすい存在として見てしまうのです。自分が気になって考えを巡らせている時、その考えやイメージの中にいる相手は、決まって弱い力ない存在と見えているはずです。ですから、誰かを傷つけないように言葉に気を付けようなどという風な、自分を監視するという動きにもなってしまうのです。

 

このケースで私が、相手がどのような反応をするのか、どのような解釈をもつのかについて、「相手の領域で起きることなので、相手に任せるよ」「それは100%相手の自由だ」と健全な境界線を引けるようになるには、どうしたらよいのでしょうか。

それは、私自身の「他者の言葉で傷ついてきた」という経験を癒していくことです。その時に感じた感情(悲しみや、怒り、恐怖感などなど)や感覚、思いがありますから、それらに向き合って感情解放をしていくのです。なぜなら、これらの感情や感覚、思いが、自分のことを力ない存在と思わせてしまうのですから。感情や感覚、思いが解放されていくと、傷ついていた私から、自分の中に力を感じられる私に変わっていきます。その結果、相手のことも弱い力ない人とは見えなくなりますので、自然と境界線も健全に引けるようになり、無駄に思い悩んだり、自分の言動を見張ることもしなくてよくなるわけです。

 

自分のせいだと思ってしまう

また、なんでも「自分のせいだ」と自分が責任を負ってしまって苦しくなっているというパターンもありますね。こちらが悪気や傷つけてやろうという意図など全くない言動に対して、相手から「傷ついた」と言われたり、責められたりしたときに、それは「私のせいだ」と自分が相手の感情の責任を引き受けてしまうケースです。

 

相手が「傷ついた!」と怒っていたとしても、その感情の責任をとれるのは(感情のケアができるのは)、基本的に相手本人です。なぜなら、怒りなどの反応を生み出すものがその人の中にあるからですね。例えば、相手がトラウマなどでの傷がある、あるいは、たまたまその時何らかの事情で不安や焦りなどがあったのかもしれません。そして、そのケアをしたり、向き合ったりすることができるのは、その人です。

他の人がするべき仕事の責任を負ってしまうと、今度は自分が窮屈になったり、不満がたまってきて、関係そのものがぎくしゃくし始めて、難しいものとなってしまうことでしょう。

 

このように誰の領域で起きていることなのか、その責任をとれるのは誰なのかを見極めることはとても大切になってきます。どうしても「自分のせいなのではないか」と境界線があいまいになって引き受けそうになってしまう場合は、今度は、健全な線引きを難しくさせるものは何なのか、自分を力なくさせるものは何なのかを自分の中に探っていくとよいですね。

 

まとめ~健全な境界線をひけるようになるためには~

前回、今回といくつかの個別のケースを挙げながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見てきました。

 

境界線は目に見えるものではないですし、断れば境界線を引けましたとか、何かの行動をしたら引けていませんとかといったようなものではありません。つまり「行動」ではなく、自分の中で、精神的な軸や自立があるかどうか、に依るのです。

 

自立ができにくくなるのは、「自分には力がないのだ」と信じているからで、それはなんらかのトラウマや傷つきの体験が原因となっています。ですから、健全な境界線を引くためには、そのトラウマや傷つきの体験を癒して、低まってしまった自己価値を回復していくことが大切です。(具体的には、これまでの記事でも書いていますが、経験は、感情―感覚―思いで構成されていますから、それらの解放をしていきます。前述の「他者の言葉で傷ついてきた」という私のケースも参考になるかと思います。)

 

 

今シリーズ最初の回でトマス・ゴードン博士の

「健全な境界線の境界は、通り抜けができるぐらい浸透性があり、危険物は閉め出しておける程度の強度がある」

という言葉を引用しました。

自分に力を取り戻していくことで、このような境界を、状況、状態ごとに柔軟に設けることができるようになります。そしてこの境界は、愛や信頼がベースの境界なので、自分も尊重しますし、相手も同じように大切にすることができます。このような精神的に自立した者どうしが、お互いに関わり合い、刺激をしあっていける関係を築いていきたいですね。

 

 


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