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ブログ 心のしくみを理解し安心をとりもどす 親子関係

すごく疲れているのに、弱音を吐けない

2022年3月31日

今回は、すごく疲れているのに、弱音を吐いたり、助けてほしいと表現することができないというテーマです。

私たちは時に自分が感じていること、思っていることを表現してはいけない、出してはいけないと我慢してしまうことで、つらくなってしまうものです。

その状態から楽になっていくには、「頑張って表現していきましょう」ということではなく、どうして表現することが難しいのか、出しにくくさせているのは何なのか、の理由を理解していくことです。

 

Aさんは、2年前に離婚し、小学生の息子さんと実家に戻り両親と生活を送っている女性です。
パートをしている間、お子さんの面倒をみてくれている母親が最近体調がすぐれず、検査入院を繰り返す状態が始まりました。そんな中Aさんには、疲れがたまってきて、気分がふさぎ、眠れないなどの状態になっているとのこと。「疲れがとれずしんどくて、休みたいのだけれど、家のこともあるし・・・」と重たい体をひきずるようにして仕事に行ったり、母親の病院への付き添いや家事をこなしています。
 
最近は、これ以上母親の状態を見るのがつらくなってきて、いっそのこと家を出ようかという考えまで出てきてしまうのだそうです。一方でそれは母親を見放す感じがしてそれもできない、一体自分はどうしたらいいのかわからなくなっているというのです。

 

感じていることにフタをすると起きること

私たちの本来の自然な状態とは、基本的に自分が感じていること、思っていることをきちんと自分が受けとめ、それらを表現できている時のことを言います。嬉しさや喜びを感じているときに、それらを表現できるととてもすっきりとして気持ちがよいものです。それと同じで、辛さや悲しさも、表現できるのが自然な状態です。このAさんの場合、「自分が疲れている、今は休みたい」などの思いを表わすことが、本来の自然な状態です。

 

ところが、Aさんは、そうした気持ちを素直に表現することができません。それどころか、そうした気持ちを感じていないように、その事実に蓋をしているのです。

 

すると、徐々に誰も理解してくれないといった怒りや不満、孤立感が出てきたり、自分を責める思いや後悔の念が出てきます。Aさんの場合は、離婚したこと、結婚したことを悔いるということも起きます。フタをして抑圧した思いは、ある時に一気に爆発することがあります。相手にあたってしまうとか、急に人間関係全てを切りたくなるということがあると思うのですが、それはこのフタをしつづける状態が続く結果、起こることのひとつの例です。

 

このように自分が感じていることを抑えることは、ある意味自分自身との断絶でもあるので、それがひいては、他者や世界との分断も深めてしまうということにもつながっていくのです。

 

 

また感じていないようにするには、本当の気持ちを抑圧しておくための相応の力やエネルギーを要します。フタをすることにエネルギーを使い続けるので、私たちの中には、疲れがたまってきます。しかしそれをも抑圧するのです。その結果、気力がなくなる、やる気が起きなくなる、鬱っぽくなる、眠れないなど、心や体にも影響が出てきます。生命力を閉じる方向へ向けさせるので相当つらい状態に陥っていくのがわかるかと思います。今まさにAさんが直面している状態ですね。

 

そして、上記のような状態になってまでも感じていることを表現してはいけないのは、何らかの理由がある(何らかのビリーフをすごく信じている)、ということでもありますね。

ですから、この理由の部分を理解していくことが、楽になっていく道すじである、ということもわかるかと思います。

 

フタをしないといけない理由をみてあげよう

私たちが本当は感じていることにフタをする時、それはどんな時でしょう?

 

例えば、
・遠慮があるとき
 
・(もう傷つきたいくないので)自分や相手に対して期待することをあきらめているとき
 
・引け目や負い目があるとき
 
・自分が表現できる立場にない、表現するに値しない(存在だ)、など自分を低く見ているとき
 
・相手が強く見えたり、怖く見えているとき

 

このようになっている時、自分の感情を押し込めてしまう、言わないでおいてしまうなどが起きるのではないでしょうか?

 

Aさんの場合:「頑張らないと両親の愛情をもらえない」

Aさんは言います。

「離婚して実家に戻ったことをすごく責めていました。
小さい頃から他の兄姉に比べられて育った私は、いつも、兄姉たちに負けないようになんとかして親の関心をひくように頑張っていました。末っ子の私はなにかいつも愛情をもらえていないような気がしていたものです。
 
そんな私が結婚生活がうまくいかなくなって、実家に世話になることは私にとっては『人生に失敗した』とまで思える出来事であり、兄姉の中でも『やっぱりダメな子』ということを実感しないといけない体験でもありました。
ですから、実家に戻ってからの生活では、なるべく両親に迷惑をかけないように、両親の思いをかなえてあげなきゃと努めて生活をしていました。なのに、親孝行をしようと思って頑張ってきたのに、今母がこんな状態になってしまって……。」

 

Aさんには、「末っ子の私は、頑張らないと、愛情を与えてもらえない」といった思いがあり、だからこそ、愛情をもらうためにも、「いい娘であろう」、「親に誇らしく思ってもらえる子であろう」と頑張らないといけませんでした。子供の頃からある意味自分を鼓舞しながら生きてきたのです。

 

そのAさんが今回離婚をして、実家に戻ってきたわけですが、それは「人生の失敗」という言葉が象徴するように、「愛情をもらえなくなる私になってしまう」ことを意味し、Aさんにとっては脅威となります。

 

ですから、実家にいても、「ダメな娘」にならないように、無意識に仕事や家事、両親の面倒をしっかりやる、という動きへと駆り立てられるのです。ですが、「愛情を他の兄姉よりももらえない私」と信じている限りは、やってもやっても達成感を感じられませんし、もし誰かがほめてくれたりしたとしても自分の中には響いてもこないでしょう。
そしてもちろん、どんなにしんどくても、どんなに疲れていても、「疲れた、休みたい」と言うことを自分に許すことはできないのです。

 

このような状態の中で、母親の検査入院という出来事は、「ダメな娘」を証明しないようにしないといけない場となるので、Aさんはますます頑張らないといけなくなるわけです。これではますます疲弊が進むため、Aさんが「もうお母さんの状態を見たくない」と思ったり、「もう家から出ていきたい」という思いがでてくるのも理解ができますね。

 

 

フタをしなければいけない理由が見えたら

このように、Aさんがどんなに疲れていても、弱音を吐けないのは、「末っ子の私は、頑張らないと、愛情を与えてもらえない」というビリーフ(またそういう私であるというセルフイメージ)からだ、ということがわかりました。

Aさんが本当に楽になっていくには、「末っ子の私として愛情をもらえる私になる」ことではなくて、Aさんが「このままで存在していても大丈夫なんだな」と思えることですね。

 

ちなみに、これまでに記事でも書いてきていますが、ビリーフやセルフイメージは、経験や刷り込みによって作られた思い込みでしかありません。思い込みなのですが、あたかも本当であるかのように思えるのは、感情―感覚―思いが伴うからでした。
ですから、この思い込みから自由になっていくには、信じるに至ったどんな経験があったのか、そこで何を感じていたのかを問いかけたりしながら、感情―感覚―思いの解体、解消をしていくことです。

 

そして、実体のない思い込みがはがれていけば、自分が信じていたビリーフを怖れ、そのビリーフから逃げる必要がなくなります。そうすると、必ず、Aさんらしい、Aさんの存在やこのままでいいんだなという自分から自分への信頼、安心感も感じることができていきます。

周りの評価や賞賛を得るために動く必要がなくなるので、我慢や無理がない実家での生活や純粋にお母さんを想っての愛あるサポートができるようにもなるでしょう。

 

 


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夫、妻、パートナーの厚意を素直に受けとれないのはなぜ?

2022年2月25日

誰しも、パートナーシップについては、なんでも言えたり、自分の素を見せることができたり、不満がない、風通しのよい楽な関係というものを望んでいると思います。

ところが、そうなれずに苦しんでいる例も少なくありません。

 

今日取り上げるのは、パートナー(夫、妻)が家事を手伝ってくれるが、それをイヤイヤやっているのではないかと思ってしまう、そのまま素直に受けとれない、というテーマについてです。

 

Aさんは、結婚して7年。夫の転勤で引っ越した地方での生活にも慣れ、共働きしながら小1の男の子を育てているお母さんです。夫とは同棲を経て結婚をしたという経緯もあることから、それなりにお互いの好き嫌い、スタイルを把握しているつもり……と思っているのですが、夫がテレワークが多くなり、以前よりも家事に参加してくれるようになったのに、なぜか気が重くなってしまい、何もしてくれない方がいいとまで思ってしまいます。
 
例えば、夕飯を作ってくれたりするのですが、仕事と家事を両立したいAさんにとっては、とても助かるはずなのに、心のどこかで「夫は、本当はやりたくないのに無理してやっているのではないか」といつも顔色を窺ってしまうのです。特に、率先して黙って動いてくれるとなおその思いが強まって、本当は怒っているのではないか?とさえ思ってしまい、夫に対する態度もぎこちなくなってしまいます。
 
家事や育児に参加してくれるのだから恵まれていると思えばいいのに、そんな風に思えないことに自分でも不思議で、一方で感謝できないなんて、「なんて自分は傲慢なんだろう」と自分のことを責めてもいます。

 

「楽な関係」と「自分をどう見ているのか?」のこと

相手との関係性で「楽な関係」でいられることと、自分が自分をどう見ているのかは密接につながっています。

楽な関係とは、変な遠慮がなかったり、お互いに尊重しあったりができている関係ですので、それぞれの主張や意見、選択に対して自由でいることを認め合える関係であるいう言い方ができるかと思います。そして、お互いに自由を認めることができるのは、自分の中に怖れがなく、心の中の相手と自分との間が「対等な状態」にある時に、それが可能となります。

つまり、心の中で、どちらかがどちらかの上や下になっていない状態なのです。

たとえ、年齢や地位や、収入などに違いがあったとしても、存在の価値としては、上とか下とかがなく、自分が自分で立っている感覚がある状態のことを指しています。

 

ところが、対等とは感じられない状態、たとえば自分が相手よりも下の存在、小さな存在、と思っているときは、私たちは思いと感情や感覚を同時に経験する存在なので、怖れや不安、無力な感じをもれなく感じています。

 

この「自分は下だ」という思いやそれに付随する感情があると、関係性の中では次のようなふるまいや思いが現れてきます。

 

・「私にはできないからあなた・君が、やって」になる。
 
・自分で決められない。
 
・相手の意見や意向が気になる、またそれに従う。
 
・評価されたり、ほめてもらえないと不安になる。また、そのためにすごく頑張る、無理をする。
 
・承認が欲しくなって、相手をためしたくなる。
 
・自分が何ができたかよりも、相手が自分のためにどれだけやってくれたかが大事になる。また、それを自分の価値と結びつける。
 
・相手からの厚意、評価に自分が見合わないと思っている、好意的に受け取れない。
 
・相手からの厚意や評価をそもそも受けられると思っていない。

 

また、相手より自分が上の・大きい存在だと示したくなる形で現れることもあります。

しかしながら、自分を相手より大きく見せておかないといけないと感じる時は、実は自分のことを下と見ている時です。自分を小さな存在と信じていなければ、そもそも大きくみせる必要はないのですから。

そんなときは、次のような振る舞いや思いが現れてきます。

 

・相手に対して、高圧的・支配的になる。
 
・自分の思い通りにしようとする。
 
・問題が起きたときに、問題改善や解決のための実務的な方向に動くのではなく、誰のせい、何のせいといった犯人探しをして自分の不安や怖れを紛らわそうとする。

 

このように、「自分は下だ(上だ)」という思いとそれに付随する感情は、自分や相手を歪めて捉え、結果、「楽な関係」から遠ざけていってしまいます。

 

 

「私は下だ」を信じ込ませるもの

本来は、人は、存在の価値として、対等である、というのが、ベースです。

ですが、下記のような価値観、社会常識、刷り込み、過去のトラウマ経験などは、自身の存在価値や自分をどうみるのかに大きく影響を及ぼします。なぜなら、これらの価値観などがセルフイメージの形成や、またそのセルフイメージを持つことへの否定と関係しているからです。

 

・価値観(「妻(夫)とは・・・」、「40代の大人とはこうあるべき」)、

・社会常識(「人に迷惑をかけない方がよい」、「卒業したら就職するのが当たり前」)

・家庭の中で刷り込まれたもの(「働かざるもの食うべからず」、「料理は得意な方がよい」)

・過去のトラウマ経験(家庭、学校、友人関係での経験など)

 

これらが自分に力を与えてくれるものであれば問題はないですが、これらがないと、あるいはこれがある限り、私は一人ではやっていけない、自分の存在意義はこれらによって決まる、と思い込んでいる場合は、自分の力を弱めてしまいます。弱まった自分、自分らしさを失った状態で、夫婦関係、パートナーシップを築いていく、となった場合、そこで「対等な関係」を、とはなりにくいでしょう。

 

 

自分を相手と対等と思えなくさせているものを見つける

ここで、今回取り上げているケースに戻ってみましょう。

 

この方は、「お前は秀でたところがないのだから、せめて、うちのことはできるようになりなさい」とかなり厳しくしつけられて育ったそうです。この刷り込みによって、この方にとっては、「どれだけ家事が上手くできるのかどうか」というのが、自身の価値を決めることになっていました。(ちなみに、この方のセルフイメージは、「私は欠点だらけ」というものでした。)「家事がちゃんとできるかどうかが、私の欠点をどれだけカバーできるのか」ということになるので、すごく頑張ることになったりするわけです。

 

夫が料理をしてくれるようになることは、この方にとっては自分の欠点をカバーできる機会がなくなるということを意味しますので、「欠点だらけ」を突きつけられる感じがして、結果気が重くなる、ということが起きていたわけです。

 

この方にとって「私は欠点だらけ」が自分を表す真実になっていて、これが自分にとって引け目を感じる部分になります。夫婦関係の中でも、この負い目、引け目によって、自分は弱められたまま、力を奪われた状態になってしまいます。

ちなみに、自分の中に負い目、引け目があると、相手が単に手伝ってくれているだけでも、無理をして(手伝ってくれて)いるように(無理をさせているように)見えたり、自分が責められているように感じてしまうという風に作用します。この方の場合は、「料理もダメ→何をやってもダメだね」と感じてしまう。まさに、「私は下」という世界ですね。

 

このように、セルフイメージと「私は下だ」という自分の見え方とは関係があること、そしてそこには価値観や体験からの刷り込みが作用している、ということです。

 

「対等」の回復に大切なこと

さて、それではどうやって「対等だ」と思えるようにしていけばよいのでしょうか?

このブログでいつも言っていることですが、決して、「欠点がない自分になる」方向ではありません。そうではなくて、「欠点がある自分」という思い自体から解放されることが大切です。なぜなら、「欠点がある」ということ自体が、そもそも客観的事実ではなく、その人の解釈でしかないからです。

ですから、「対等」の回復には、どうしてこの思いを持つに至ったのか、どんな体験があったからなのかを理解し、またその体験の中で何を思い、感じていたのか、に気づいていくということです。

 

例えばこの方の場合、親に厳しく言われていた時に色々感じていたこと、したかったのにできなかったこと、言いたかったのに言えなかったことなどがあるはずです。それらに自ら耳を傾け、共感し、未解消の感情を解放していってあげることで、「欠点ばかりの私」という思いこみが解体され、この方本来がもつ“らしさ”、力、輝きが自ずと立ち現れてきます

 

怖れや不安がない、ありのままの自分から見える世界は、「対等な世界」になってきます。

そうすると、家事を手伝ってくれる夫の厚意を素直に受けとれるようになり、感謝の気持ちも自然と湧いてくるでしょう。また、これまでは自分の欠点をカバーするための義務のようであった料理も、純粋に好きだと思えるようになるかもしれません。

二人の関係は愛をベースに、尊重や思いやり、信頼が循環しているものとなるでしょう。

 

 

 


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苦しみの根本の原因がわかると、本当に楽になる

2021年12月12日

私たちは、自分の中に自己否定があると苦しむ、というしくみを持っています。
基本的に不快な感情や感覚は感じたくないと思っていますので、ネガティブな思いや感情、反応が出ている時に、そんな自分を否定したり、バッシングしてしまいがちです。そして、それによりさらに苦しみが増す、ということになってしまいます。

では、こうした、ネガティブなや感情、反応がでたときに、抵抗したり、否定的に見ないでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?

まずは、私たちの心の仕組みを、詳しくみていきましょう。

 

 

私たちの心は構造的で論理的

みなさんは心のことってどんな風にとらえていますか?なんとなくふわっとしたものととらえている方も多いのではないかと思います。

ですが、実は、心は、この思いがあるから、この思いが生まれて、その思いに従うからこういう言動になる、といった風に、すごく構造的(階層になっている)かつ論理的なものなのです。

例えば、潜在意識で「私は人を不快にさせる存在だ」と信じていれば、「自分の主張はしない方が安全だ(主張は控えるべき)」といった思いが生まれ、主張や表現をしなくてもよいような、浅い人間関係を築いていく、という傾向になるでしょう。

ちなみに、こういう傾向の中ででてくる悩みの例としては、「人との関係が深まる感じになると怖くなってしまう」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」とか、「(こんな私と)つきあってくれた人のことがどうしても忘れられない」といったようなものです。

 

一方で、「私は受け入れてもらえる存在だ」と信じていれば、そこから生まれる思いや、その思いからの言動は、前者とは全く違ったものになることがわかるかと思います。

 

このように、心は潜在意識にある思い(ビリーフやセルフイメージ)から、顕在意識4%の部分へと階層的につながっていて、このビリーフやセルフイメージとマッチする形で、4%の領域に私たちの行動、判断、世界や人の見え方が表れるのです。

 

 

わかっていないから苦しい

その一方で、前回の記事でも書いたとおり、私たちは、4%の領域の思いや感情にしか気づいていないので、それらがどのビリーフやセルフイメージから生まれていて、どんな階層の思いで構成されているのかについてわかっていません。

つまり、「人との関係が深まる感じになると怖くなる」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」、「つきあった人のことがどうしても忘れられない」という反応についてはわかるのですが、どうしてそのような反応になるのかの本当の理由には気づけていないのです。

 

私たちは、基本的にわからないものに振り回されるというのは、非常に気持ちが悪いと感じます。

そこでこの気持ち悪さをなくしたいという思いが働いて、気持ち悪さを感じている自分に抵抗したり、否定したりする力が働くので、苦しくなってくるのです。

 

これは、言ってみれば、雨漏りで部屋が水浸しになっているから、雨漏りの原因や場所を特定して修繕をしないといけないのに、この物件を紹介した不動産会社に文句を言ったり、この物件を選んだ私がバカだったと自己憐憫に浸るばかりで、雨漏りの対処をせず、雨漏りがさらにひどくなって水浸しになっている(苦しくなる)、といったことと同じかもしれません。

 

苦しんでいる自分自身に優しくしてあげることができればいいのに、それがなかなかできにくいのは、こうした心の動きによるものです。

 

ですが、反対に、その苦しみの理由がわかれば、自分に影響を与えていたビリーフやセルフイメージは、振り回す力を失い、単純に「向き合う対象」へと変わります。雨漏りの原因や箇所が特定できれば、雨漏りが力を失うのと同じです。

 

スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分が何がほしいのかわからないものだ」と言っています。実際、自覚されていなかったものが、見えたときに、「あ~そうそう、これこれ!」とか、「そう言えばそうだったかも」と思って、妙に納得できたり、ストンと腑に落ちた感覚になった経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。

それと同じで、ネガティブな感情や反応が起きる本当の理由がわかると、自分の言動や動きがビリーフやセルフイメージに基づいたものだったということが理解できますし、そう理解できると、怖かった私、腹を立てていた私、忘れることができなかった私に対して、「だったらしょうがないよね」と自然と受容の気持ちが起きていきます。

 

 

ピンポイントの原因特定が苦しみからの解放につながる

このように私たちの心は、顕在意識4%の部分に悩みや反応となって現れる「潜在意識にある思い込み」(ビリーフやセルフイメージ)をピンポイントに解き明かせれば、これを変容させていけばよいのだな、とわかるので、落ち着くことができます。

 

では、心の階層的な構造を辿りながら、ピンポイントのビリーフやセルフイメージを見つけるためには、どうしたらいいのでしょうか?

 

それには、まず階層の一番上に出てきている4%のものに気づくことから始まります
自分の言動、反応、解釈に気づくことです。

例えば、捻挫の場合は、筋がどんな風にねじれたかがレントゲンなどでわかりますが、心は、心を映し出すレントゲンがないので、自分がレントゲンの目にならないといけません。

 

そして、「階層」を意識するということも大切です。つまり、「今この反応、解釈がでているけれども、ということは、何か前提としている解釈や思いこみがあるということだな」と立ち止まったり、「ということは、どういうことなのだろう?」という問いを立ててみたりすることです。そのことにより、心の下の階層へとおりていくことができます。

 

 

私たちは根源的にどんなものも赦している

「なぜ苦しかったのかの理由はわからないけど、なんとなくラクになりました」はもちろんよいですし素晴らしいことです。でも、本当の意味でラクになるのは、苦しみを生んでいた原因を見つけ、また、それをなぜ信じていたのかを理解できた時だと思います。

なぜなら、そうすることで、雨漏りの原因が取り除かれ、それが再び水浸しになることを防ぐことができるばかりだけでなく、雨漏りや水浸しという状況の被害者意識からも抜けだせるからです。

私たちは根源的にはどんなものも赦すことができるクオリティを持っているはずなのです。しかし、ビリーフやセルフイメージを信じることから生まれる怖れが大きいと、そのクオリティは見えにくくなっています。「どんなものも赦している」というクオリティへ至るには、「見つけ」、「理解していく」が大切になってきます。なぜなら、私たちの中にある怖れは、見つけられ、理解され、赦しや愛へと変容することをずっと待っているのですから。

 

 


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