今回は、相手がすでに何かについて選択をしたり、判断したりしているにもかかわらず、それらに対して不安がわいたり、迷いが生じているときに、心で何が起きているのかを心のしくみから解説をしていきたいと思います。
不安と迷いの中にいる友人のおばさんの姿
このテーマで書いてみたいと思った理由を少し書きますね。
先日友人と話をしていたときに、友人のおじさんとおばさんの話になりました。
現在、おじさんが病床にいらっしゃって、今後自分の状態が変化したときに延命措置をしないでほしいという意思を医師や、おばさんを含む家族に伝えているそうです。そして今病状はあまり思わしくない状況にあるとのこと。
友人が正月に実家に帰省した際に、おばさんからおばさんの兄である友人のお父さんに電話があり、かなり長時間の会話にお父さんが対応をしているというのを目の当たりにしたそうです。
話題は、おじさんが希望する「延命措置をしない」ということに対して、おばさんの中の迷いや、不安についてだったようです。友人のお父さんは辛抱づよく話を聞いていらっしゃるようでしたが、「どうしようもなく不安になるとかかってくるんだよ」と言っていたそうです。
今回の延命措置をどうするかについては、おじさんは、ある意味、自分がどう生きるか(自分の生命をどう終えるのか)についての選択、判断をされていると言えます。おばさんにとっては、長く連れ添った伴侶の生死に関わることですから、不安になるのも当然です。ですが、友人が話すおばさんの長い電話の様子やお父さんの言葉から、おばさんは、おじさんの選択を受け容れていいのかどうかについて確信がもてなくて、自分の中の不安感や迷いに苦しんでいらっしゃるのだなと思いました。
そして、こうした状況の中で友人のおばさんができるだけ不安定にならずに過ごせるにはどうだとよいのだろう?何がそれを難しくさせているのだろう?ということに思いをはせました。そのことが、今回の記事を書くきっかけとなりました。
友人のおばさんが不安定になっている本当の理由とは
思いをはせる中で、心のしくみの観点からおばさんの心の状態を考えてみました。
そして、おばさんが今不安定になっているのは、「おばさん自身が、なぜ不安や迷いの中にあるのかの本当の理由を、わかっていないからなんだな」と思いました。
私たちは、一見、相手の選択や判断が、不安や迷いを生じさせて、それらが私たちを苦しくさせていると思っています。ですが、実はそうではなくて、「(自分の中に)不安や迷いを生じさせているものが(確信が持てなくさせるものが)、何なのかを本当の意味で自分自身がつかめていない」からなのです。不安や迷いといった自分の反応のその理由がわかっていないから、苦しいのです。
例えば、「ある人の顔を見ると怖くなる」という状態があったとしましょう。会うたびになぜかビクビクしたり、ソワソワするのです。ちなみに、「反応」というのは、体感覚や感情としてわかりやすく出てくる分、気づきやすいのですが、一方で、その反応が出る本当の理由は? と言われると、わからないのです。ですが、(セッションなどでよく心を見ていくと、)実は、小学生時代に担任だった厳しい先生に似ていたために、その先生を目の前の人に重ねていて、その結果ビクビクやソワソワが出ていたというのがわかったりするのです。つまり、この人の中では、厳しかった担任の先生との記憶があることで、目の前の人の顔に、「厳しくされる」「叱られる」という意味づけ(解釈)をつけてみていたということがわかるわけです。つまり、ビクビク、ソワソワの反応がでるのは、目の前の人の顔が原因ではなく、担任の先生との記憶の中で培った意味づけ(解釈)があるから、ということです。
このように、何らかの反応(ポジティブもネガティブも)が出た時には、そこにはその反応を生み出す、相手、状況、環境、自分自身への意味づけ(解釈)がある、ということです。
意味づけ(解釈)がわかると、相手、状況、環境の犠牲者にならなくてすむ
さらに、ビクビクやソワソワの反応がでていた理由がわかることの良いことは、理由がわかっていれば、自分から力を奪われないということです。なぜなら、それらの反応は自分の意味づけ(解釈)から出ているのだなとわかっている限り、相手(自分自身も含む)や状況のせいにする必要がないからです。問題のすり替えや責任転嫁をしないので、犠牲者意識がありません。犠牲者意識がなければ、苦しみにはならないのです。
意味づけ(解釈)を探る問いかけ
では、話を友人のおばさんに戻して、おばさんは、どうすれば、できるだけ、反応に振り回されず、自分の力を奪われずに安定していることができるのでしょうか?
それは、これまでお話をしてきたとおり、夫の選択や判断が、自分にとってどのような意味づけ(解釈)になっているのかを、おばさん自身が理解するということが鍵であるということです。「夫(おじさん)の選択や判断が自分にとってどんな意味があるのか?」を自身に問いかけてみるのです。
ここにおばさんがいらっしゃらないので想像の域はでませんが、
例えば、
●万に一つでもよくなる可能性があるかもしれないのに、夫が人生(命)を諦めているように思える(そう思えて、悲しさを感じる)
というものかもしれないですし、
●夫が選択や判断をする上で、自分がのけ者になったように感じる(そう感じて寂しい)(自分ともっと相談をして決めてほしい)
というものかもしれないですし、
●一人になってしまう、一人で生きていかなくてはならない(と想像すると怖い)
というものかもしれないです。
これらの意味づけによって、犠牲者意識が強まり、どんどん苦しくなってしまうのです。
以上は、あくまでも意味づけ(解釈)の例です。
ですが、もし、おばさんが、こうした意味づけ(解釈)が自分自身の中にあって、その解釈に苦しんでいるのだな、と気づくことができたとしたら、夫の選択や判断が、「自分を苦しめているのだ」という見え方ではなく、「自分が悲しかったり、寂しかったり、怖かったり、と思っているからなんだ」「自分の中で起きていることなんだ」と自分に目が向き、夫の選択や判断に対して目を背けるのではなく、改めてそれらを尊重して、正面から向き合おうと思えて、犠牲者の目線から抜け出すことができるのです。
先にも書きましたように、私たちは、相手や状況、誰かのせいといった犠牲者意識に取り込まれていない限り、苦しみませんし、相手や状況、環境に影響されずに、強くいられます。
そして、その力を奪われない状態で、おばさんは、夫の選択や判断に純粋に向き合うことができるでしょう。そのように向き合う中で、おばさんがする判断、選択、行動は、たとえその結果がどういうものになったとしても、最終的に、その結果に対して正直に、全面的に受け容れることができるのだろうとも思うのです。
まとめ
今回は、友人のおばさんの話を例にしながら、不安や迷いなどの反応がある時、そこから抜け出す鍵として、その本当の理由である、「相手や状況、環境への自分にとっての意味づけ(解釈)」を自分が理解することだよ、ということをお話ししてきました。
自分の中の意味づけ(解釈)に気づくと、自分がその意味づけ(解釈)や感情と同化している状態から、解釈や感情と自分とが別のものになって、客観的に自分の状態を把握ができます。それによって、反応の渦から抜け出して、改めてどうしたいか、何ができるかに目を向けることができるのです。
「〇〇は私にとってどんな意味があるのだろう?」この問いかけは、自分の中のもの(意味づけ、解釈)に出会い、自分への理解へと導いてくれます。そして、自分への理解は、「自分には力がある」ということを必ず思い出させてくれるのです。