私たちは、自分の中に自己否定があると苦しむ、というしくみを持っています。
基本的に不快な感情や感覚は感じたくないと思っていますので、ネガティブな思いや感情、反応が出ている時に、そんな自分を否定したり、バッシングしてしまいがちです。そして、それによりさらに苦しみが増す、ということになってしまいます。
では、こうした、ネガティブなや感情、反応がでたときに、抵抗したり、否定的に見ないでいられるにはどうしたらよいのでしょうか?
まずは、私たちの心の仕組みを、詳しくみていきましょう。
私たちの心は構造的で論理的
みなさんは心のことってどんな風にとらえていますか?なんとなくふわっとしたものととらえている方も多いのではないかと思います。
ですが、実は、心は、この思いがあるから、この思いが生まれて、その思いに従うからこういう言動になる、といった風に、すごく構造的(階層になっている)かつ論理的なものなのです。
例えば、潜在意識で「私は人を不快にさせる存在だ」と信じていれば、「自分の主張はしない方が安全だ(主張は控えるべき)」といった思いが生まれ、主張や表現をしなくてもよいような、浅い人間関係を築いていく、という傾向になるでしょう。
ちなみに、こういう傾向の中ででてくる悩みの例としては、「人との関係が深まる感じになると怖くなってしまう」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」とか、「(こんな私と)つきあってくれた人のことがどうしても忘れられない」といったようなものです。
一方で、「私は受け入れてもらえる存在だ」と信じていれば、そこから生まれる思いや、その思いからの言動は、前者とは全く違ったものになることがわかるかと思います。
このように、心は潜在意識にある思い(ビリーフやセルフイメージ)から、顕在意識4%の部分へと階層的につながっていて、このビリーフやセルフイメージとマッチする形で、4%の領域に私たちの行動、判断、世界や人の見え方が表れるのです。
わかっていないから苦しい
その一方で、前回の記事でも書いたとおり、私たちは、4%の領域の思いや感情にしか気づいていないので、それらがどのビリーフやセルフイメージから生まれていて、どんな階層の思いで構成されているのかについてわかっていません。
つまり、「人との関係が深まる感じになると怖くなる」とか「自分の意見を主張する人に腹が立つ」、「つきあった人のことがどうしても忘れられない」という反応についてはわかるのですが、どうしてそのような反応になるのかの本当の理由には気づけていないのです。
私たちは、基本的にわからないものに振り回されるというのは、非常に気持ちが悪いと感じます。
そこでこの気持ち悪さをなくしたいという思いが働いて、気持ち悪さを感じている自分に抵抗したり、否定したりする力が働くので、苦しくなってくるのです。
これは、言ってみれば、雨漏りで部屋が水浸しになっているから、雨漏りの原因や場所を特定して修繕をしないといけないのに、この物件を紹介した不動産会社に文句を言ったり、この物件を選んだ私がバカだったと自己憐憫に浸るばかりで、雨漏りの対処をせず、雨漏りがさらにひどくなって水浸しになっている(苦しくなる)、といったことと同じかもしれません。
苦しんでいる自分自身に優しくしてあげることができればいいのに、それがなかなかできにくいのは、こうした心の動きによるものです。
ですが、反対に、その苦しみの理由がわかれば、自分に影響を与えていたビリーフやセルフイメージは、振り回す力を失い、単純に「向き合う対象」へと変わります。雨漏りの原因や箇所が特定できれば、雨漏りが力を失うのと同じです。
スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分が何がほしいのかわからないものだ」と言っています。実際、自覚されていなかったものが、見えたときに、「あ~そうそう、これこれ!」とか、「そう言えばそうだったかも」と思って、妙に納得できたり、ストンと腑に落ちた感覚になった経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。
それと同じで、ネガティブな感情や反応が起きる本当の理由がわかると、自分の言動や動きがビリーフやセルフイメージに基づいたものだったということが理解できますし、そう理解できると、怖かった私、腹を立てていた私、忘れることができなかった私に対して、「だったらしょうがないよね」と自然と受容の気持ちが起きていきます。
ピンポイントの原因特定が苦しみからの解放につながる
このように私たちの心は、顕在意識4%の部分に悩みや反応となって現れる「潜在意識にある思い込み」(ビリーフやセルフイメージ)をピンポイントに解き明かせれば、これを変容させていけばよいのだな、とわかるので、落ち着くことができます。
では、心の階層的な構造を辿りながら、ピンポイントのビリーフやセルフイメージを見つけるためには、どうしたらいいのでしょうか?
それには、まず階層の一番上に出てきている4%のものに気づくことから始まります。
自分の言動、反応、解釈に気づくことです。
例えば、捻挫の場合は、筋がどんな風にねじれたかがレントゲンなどでわかりますが、心は、心を映し出すレントゲンがないので、自分がレントゲンの目にならないといけません。
そして、「階層」を意識するということも大切です。つまり、「今この反応、解釈がでているけれども、ということは、何か前提としている解釈や思いこみがあるということだな」と立ち止まったり、「ということは、どういうことなのだろう?」という問いを立ててみたりすることです。そのことにより、心の下の階層へとおりていくことができます。
私たちは根源的にどんなものも赦している
「なぜ苦しかったのかの理由はわからないけど、なんとなくラクになりました」はもちろんよいですし素晴らしいことです。でも、本当の意味でラクになるのは、苦しみを生んでいた原因を見つけ、また、それをなぜ信じていたのかを理解できた時だと思います。
なぜなら、そうすることで、雨漏りの原因が取り除かれ、それが再び水浸しになることを防ぐことができるばかりだけでなく、雨漏りや水浸しという状況の被害者意識からも抜けだせるからです。
私たちは根源的にはどんなものも赦すことができるクオリティを持っているはずなのです。しかし、ビリーフやセルフイメージを信じることから生まれる怖れが大きいと、そのクオリティは見えにくくなっています。「どんなものも赦している」というクオリティへ至るには、「見つけ」、「理解していく」が大切になってきます。なぜなら、私たちの中にある怖れは、見つけられ、理解され、赦しや愛へと変容することをずっと待っているのですから。